エボラ出血熱(2) ―出現状況―
1967年6月・最初のエボラ出血熱
スーダン南部、倉庫場の男性が出血様症状を示し、3名の男性が罹患した。
人類の前に姿を現した最初のエボラ出血熱でした。この3人の患者を源とし、家族内、病院内感染を通し流行が拡大し284人が発症し、151人が死亡した(致死率53%)。
同年8月・コンゴ民主共和国(旧ザイール)北部のヤンブクで収容された患者の教会病院の治療・看護を通じ、318人の罹患者が発生、280人が死亡(致死率88%)。
1995年・コンゴ民主共和国の総合病院を中心として、315人が発症し244人が死亡(致死率77%)。
ザイール川支流のエボラ川が、ヤンブクの最初の患者の出身村だったことから「エボラ」と命名されました。
マールブルグ出血熱
最初に確認されたのは、1967年8月西ドイツのマールブルグ市で、突然、原因不明の熱性疾患が発生しました。
ワクチン製造のためにウガンダから輸入されたアフリカ緑猿の組織・血液に接触した25人が罹患したといわれています。
同時期、フランクフルト市でもウガンダから輸入されたサルに接触した7人が熱性疾患を発症しました。
のちに、最初に確認された地名にちなみ「マールブルグ出血熱」と命名されました。
エボラ出血熱を引き起こす同じ科のウイルスを原因とする疾患であり、両疾患は臨床的に非常によく似ている。高い致死率を伴って劇的な発生を引き起こすことがあり、ワクチンや特定の治療法はない(鹿児島大学・岡本嘉六)と言われています。どちらも死亡率は極めて高い(50~90%)。
(つづく)
訂正:前回「戦慄のウイルス」で、人間社会で初めてウイルス病原体に感染した患者は、1967年でした。また、「ホット・ゾーン」で描かれた最初の患者は、「エボラ出血熱」ではなく「マールブルグ出血熱」だったようです。
(昨日の風 今日の風№11)