風の行方(27) 「仮の町構想」(11)
住民の心は……
原発被害でいち早く「帰村宣言」を出した、川内村の様子を追いかけてみた。
浮かび上がってきたのは、放射性物質による汚染の不安と、
生活基盤(医療、教育、福祉、雇用、商業)の弱体化である。
生まれ育ち、気の置けない仲間たちのいる故郷ではあるが、
「帰れる人から帰ろう」と呼びかけても、帰村を躊躇させる問題の多さに住民は戸惑っている。
さて、全村避難を余儀なくされ、2年経過した現在の自治体の現状を追ってみたい。
少なくとも、今後4年(事故から6年)は帰還できない住民は約5万4千人に上る。
(事故後に避難対象となった人が約8万4千人であるから、
事故後2年が経過してもいまだに6割超の人が避難を余儀なくされている。
放射性物質で汚染された大地がいかに回復困難かを表している)
このうち原発立地自治体である大熊、双葉町だけで約1万7千人を占め、
両町とも町全体で今後4年は帰らない方針である。
これに隣接する浪江、富岡町も今後4年間は帰らない方針を打ち出している。
4年以内の帰還が見通せる「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」も含めて
、町全体で4年間は帰らない方針である。
帰れる時期(除染等により放射線量が低くなった時)が来ても、今後4年は帰らない。
これには次のような理由がある。
区域の違いで東電による損害賠償額が異なるので、
賠償の違いで住民コミュニティが分断するのを避けようとする狙いがある。
帰還時期を揃え、どの区域も賠償で同じ扱いにする方針である。
一方、自治体の方針に関わらず、
「故郷には帰らない」と「転出」をする人もいる。
(つづく)