男おいどん 松本零士逝く
男だって 人知れず泣くことがある
いつか その夢が自分のところで
とまるときもくると信じて
おいどんは ひとり四畳半で泣いた
サルマタケがものかなしく光っていた
(「男おいどん」最終巻の一場面)
松本零士が逝ってしまった。
「男おいどん」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の名作を残して。
「鉄腕アトム」の手塚治虫(1989.2)が逝き、
「ドラえもん」の藤子不二雄Ⓐ(1996.9)が逝き、
「ゴルゴ13」のさいとう・たかお(2021.9)が逝き、
わが青春時代の一ページを彩った作品を残して、還らぬ旅に出てしまった。
残っているのは、松本零士の稼ぎの少ない駆け出しのころからの付き合いだった
「あしたのジョー」のちば てつやだけになった。
食うものにも事欠く貧乏時代に『座布団のようなビフテキを食べたい』と、
サルマタケが生えるような貧乏暮らしにも負けず、漫
画道を歩み夢を貫き通した戦友のちば てつやの回想である。
「君も行ってしまったのか。もう……体中の力が抜けていくよ」
ちば てつやよ! 日本中の若者を熱狂の渦に巻き込んだ、
「矢吹丈と力石徹」との熱い戦いのシーンが今も新鮮によみがえってくるのだ。
アル中の元ボクサー丹下ジムの会長「丹下段平」、
白木ジムの白いスーツ姿の美人葉子。
そして、最終回。
灰のように真っ白に燃え尽きたジョー。しかし、その顔には満足げな微笑みがあった。
などが今でも鮮明に思い出すことができる。
だから、ちば てつやよ元気を出してほしい。
『男おいどん』は、週刊少年マガジンに1971年5月から1973年8月まで連載された。
連載第一回から私はとりこになった。
無芸大食人畜無害で何のとりえもない貧乏男。
そのうえチビでガニ股でド近眼の醜男(ぶおとこ)で、女性にもてる要素など何もない。
貧しいけれど、正直で人生をまっすぐ見つめて歩んでアルバイトをしながら
夜間高等学校に行っている大山昇太(のぼった)。
だが、勤務先を首になり、中途退学してしまう。
学校どころではなく食うに困っての中途退学だから、
けなげに生きる彼は何とか復学しようと奮闘するが、
努力が報いられるほど世間は甘くはない。
松本零士の漫画によく登場する人語を話す、
ちょっと意地悪でガラの悪い「架空の鳥」のトリさんが出てくる。
失敗が続いても、幾たびもドジを踏んでも、
男おいどん・大山昇太は志を高く持ち、負けない。
いつか故郷に錦を飾らんと自信を奮い立たせる。
そんな時大山昇太はトリさんに向かって、
「トリよ、おいどんは負けんのど!」とつぶやく。
自分自身への励ましの言葉でもあり、
トリさんにしか心情を吐露することが出来ない彼の孤独感を哀切を持って表現される。
下宿の押し入れを開けると、洗濯していないパンツが崩れ落ちてくる。
パンツにはいつのまにかキノコまで自生している。
インキンタムシに苦しめられている、ラーメンライスが大好きな男を中心に、
ギャグとペーソスで味付けされたストーリーが大好きだった。
残念ながら、最終回をまったく記憶していない。
もしかすると、最終回はは未読だったのかもしれない。
ただ、松本の連載終了の言葉がある。
執筆を続けていくうちにどんどん話が広がっていってしまい「話が無限大になってしまった」ことから、 「ケジメが付かなくなる」として松本の方から編集部に「連載をやめさせてくれ」と
打ち切りを申し出たという
どうやら、何の前触れもなく原作者の意向により連載は打ち切られたらしい。
最終回。
「いってきますんど~!」と言って下宿を飛び出し、帰ってこなかったおいどん。
おいどんの部屋の電気を消さずに待ち続けるバーサンとラーメン屋のおやじ………。
おまけ。
映画「銀河鉄道999」の冒頭。城 達也のバリトンが旅愁をいざなう。
【人はみな 星の海を見ながら旅に出る
思い描いた希望を追い求めて 果てしなく旅は長く
人はやがて、夢を追い求める旅のうちに永遠の眠りにつく
人は死に、人は生まれる
終わることのない流れの中を列車は走る
終わることのないレールの上を 夢と希望と野心と若さを乗せて列車は今日も走る
そして今 汽笛が新しい若者の旅立ちを告げる】
ひょっとして、あの風采の上がらない大山昇太(のぼった)も、
見果てぬ夢の旅路を、「夢と希望と野心と若さを乗せて」
貧しい下宿の部屋から夢の宇宙へと旅立ったのかもしれない。
(つれづれに……№137) (2023.02.24記)