雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内 「特殊清掃」

2015-04-19 21:50:00 | 読書案内

 読書案内「特殊清掃」

                         ―死体と向き合った男の20年の記禄―

                  ディスカバー携書2014.9 第1刷 著者 匿名

 

 混迷する社会の合わせ鏡

 なるべくなら、自分の家の畳の上で人生の最期を迎えたい。

苦しまずに穏やかに、逝きたい。

万人の願いである。

 しかし、現実には人口減少と高齢社会のはざまで「孤独死」等が増加傾向にあり、社会問題になっている。

震災以降、流行のように「絆」という言葉が、メディアを通じて賑わった。

にもかかわらず、被災者の「孤独死」が小さな記事になる。

大都市においては、老朽化した団地で高齢者の孤独死がクローズアップされる。

 高齢社会の進行、核家族化の進行、無縁社会、セルフネグレクト(生活を維持するために必要な行為を自ら放棄してしまう事)などさまざまな事が起因し孤独死は増加の傾向にあり、年間に3万人に上るそうです。

 内閣府の発表では、総人口における65歳以上の高齢者が占める割合は2042年まで増加していくと予想されています。

今後も孤独死やセルフネグレクトによる社会的孤立化は増加の傾向にある。

 誰に看取られることもなく、息絶え、肉体は腐り、蛆(うじ)が湧き、ハエが黒い塊となって遺体に群がる。

腐臭、腐敗液が遺体を取りまき、流れ出す。

強烈な臭いと、目もあけられない刺激臭。

凄惨な現場に、多くの親族はたじろぎ入室を拒む。

 黙々と特殊清掃に従事する。

非日常の凄絶な現場で仕事を敢行していく彼ら特殊清掃員にとってはこれが日常なのだ。

 望んでいたような最期の時ではなかったとしても、

「長寿の末の老衰死だけが完走ではない。事故死だって病死だって、若い死だって完走は完走。気の毒ではあっても、敗者ではない。誰に劣るわけでもなく、卑屈になる必要もない」

と筆者は思う。

 

 死は平等に訪れる。

無常ではあるが、

人生は、私たちに喜びや悲しみ、夢や希望を与えてくれる刺激に満ちた旅なのだ。

 むごたらしい現場からの報告で、時として記述はむごたらしい死後のようすを淡々と表現しているが、著者の視線はあくまでも優しく、誠実である。

  評価 ☆☆☆

 

 

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声なき詩

2015-04-12 23:00:00 | ことの葉散歩道

       ことの葉散歩道(7)        (2015.4.8)

声なき詩

わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる

堀江菜穂子

 朝日新聞4月6日朝刊は、次のように伝える。

 寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。

堀江菜穂子さん(20)。

脳性マヒのため手足はほとんど動かない。

わずかに動かせる手で紡いだ詩は約1200編。と、リード記事は紹介している。

 

 大坂発達総合療育センター長・鈴木恒彦氏は

「重度の脳性まひで話ができなくても、言葉は理解している人が少なくない」と話す。

詩を作るようになったきっかけは、高等部のころ周囲の人の会話の端々から、

自分が何も考えていないように思われていると感じた。

だから詩を書くことが「心をかいほうするためのしゅだんだった」という。

 「せかいのなかで」という詩を紹介しよう。

このひろいせかいのなかで わたしはたったひとり

たくさんの人のなかで

わたしとおなじ人げんはひとりもいない

わたしはわたしだけ それがどんなにふじゆうだとしても

わたしのかわりはだれもいないのだから

わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる 

 作者の心のおおらかさと、かけがいのないたった一人の命を詠う。

この詩を前にして「生きるとは」とか「死とは」などという議論は何の役にも立たない。

「じんせいをどうどうといきる」。

 

言葉の重みが伝わってくる。次は「ありがとうのし」から。

いつもいっぱいありがとう

なかなかいえないけれど いつもこころにあふれている 

いつもいえないありがとう いきばをうしなってたまっている

いいたくてもいえないありがとうのかたまりが

めにみえない力になって

あなたのしあわせになったらいいのにな

 彼女にとって、「ありがとう」は生きている証なのだ。

まわりのひとに「ありがとう」、そして自分に「ありがとう」。

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覚悟の死(孤高の死?)

2015-04-08 11:30:00 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道(6)

    覚悟の死 (孤高の死?)

 

「年齢(とし)をとって、他人の邪魔になりたくなかったのでしょうか」、「あの人は他人に迷惑をかけてまで生きよう、という人ではありませんからね。トイレにも満足に行けず他人の世話になって生きるより、いさぎよく死を選ぶ人ですよ」

 ※神々の夕映え 渡辺淳一著 講談社文庫 1994年第26刷刊より

 脳軟化症で倒れた彼は、右半身に麻痺を起し茶碗も満足に持てなかった。

トイレに行くときでも介助を断り、30分もかかって用を足していた。

さらに言葉が思うように喋れず、家族の者も判別に苦しむほどだった。

その彼が、死ぬ半月ぐらい前から、一切の食べ物も取らずお腹が一杯だと言って断り、

最後は水も飲まず痩せこけて死んだ。餓死である。

 

 他者の手を借りなければ生きていけない境遇に陥り、

かつては小学校の校長をしていた彼には、「生きること」が、屈辱に感じられたのだろうか。

妻に先立たれその後退職して、娘の嫁ぎ先を頼ってこの街に来た。

娘夫婦と孫のいる家での生活は、特に不満があるわけではないが、

狭い家にいるのは何かと気がねだったから、

日がな一日の長い時間のほとんどを碁会所で過ごすことになる。

 

 こんな境遇が、彼から生きる力を徐々に奪っていったのかもしれない。

物語が描かれた1978年ごろには、ショートスティやディサービスが法制化されたのだが、

彼はこちらの「生きる道」を選択しなかった。

 

 老いるということは、喪失の過程を徐々に拡大することだ。

友人、知人を失い、親や兄弟たちを失い、伴侶を失い孤独の波がひたひたと忍び寄ってくる。

やがて、身体的機能も衰え、誰かのお世話を受け入れなければ生きていけない時が訪れる。

 

 人としての尊厳を失わずに、その人らしく人生の最後の幕を引くためには、

その人を取り巻く人々の温かいまなざしが必要であり、

それを自然体で受け入れる素直な心が必要かと思われる。

 

そして一番必要なのは、生きる希望を失わない自立する心を持つことだ。              

                                 (2015.4.7記)

   

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政務活動費(10) 議員よ襟を正せ!

2015-04-05 10:50:00 | 昨日の風 今日の風

政務活動費(10) 議員よ襟を正せ!

使途透明化は進んでいるか

 政務活動費の使途を知るのに、情報公開制度を使わなくても、収支報告書や領収書を閲覧できるのは、

同費を支給する議会の3割で、第三者委員会を設けて使途を検証する議会は2%にすぎず、

使途透明化には程遠い(朝日新聞全国自治体議会アンケートによる)。

 

 政務活動費に関する疑惑や不祥事は、数え上げたらきりがないほど多い。

 

 何故こんなでたらめなことがまかり通ることになったのか。

その原因の第一は政治家の質の問題だろう。

  主義主張を持たず、他に迎合する政治家。

議員による政策的条例提案がわずか0.17%で、なんと98.8%の原案が、そのまま通過してしまう。

地方行政の首長提案の原案がそのまま可決されているのです。

 何でも反対すればいいということではないが、

こんなことでは議会の「行政チェック機能」は果たされているとは言い難い。

地方議員の質の低下である。

 

 2012年自治法改正により、「政務調査費」から「政務活動費」と名称が変わった。

政務調査費が調査研究目的以外にも使えることになった。

議員の政策立案能力を向上させる狙いがあったはずだが、

「改悪だったのではないか」といわれても仕方ない。

 

 静岡県議柏木健は年間108回、飲食店での会食代の一部に計35万8千円を計上。

「ちょっとお酒でも飲みながら話さないと、話づらいことは聞けない」。

「あくまで意見交換が主目的だから、飲食を主とする会合への支出を禁じたマニュアルには違反していない」

と言う。

こういう発言を「歪曲」「曲解」と私たちの社会では言うのです。

 有権者に選ばれた代表であり、間接民主主義を具現化する責任を議員は担う。

選ばれた者としての重責を真摯に受け止めて欲しい。

その上で、活動をガラス張りにし、常にチェックを受けるのは当たり前のことと思う。

                      (昨日の風今日の風№27)

(2015.4.4記)

 

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読書案内「悼む人」

2015-04-02 22:00:00 | 読書案内

読書案内 「悼む人」

天童荒太著 文芸春秋2008年刊

   悼む人=静人は親友を失い、その命を救ってやれなかった自責の念からか、悼む人としての旅に出かける。

 全くの見ず知らずの人の死を悼み、手を合わせ、独特のポーズで祈る。

 死者が生前、誰を愛し、誰に愛されどんなことで感謝されたかを聞き、

そのことを忘れない様に悼みの祈りをささげる旅。

 坂築静人の母巡子:

  がんの末期症状で余命を自宅療養に切り替え悔いを残すことなく、明るく前向きに生きていこうとしている。

 巡子の夫鷹彦:

  対人恐怖症のように、人と接し話をすることが不得手だが、妻の巡子には誠実で優しい夫。 

 静人の妹・美汐:

  静人の理解しがたい行為に、破談になる。それでも、子どもを産もうとする。

 

 巡子の残された命と、生まれ来る新しい命が坂築家の中で対比されていく場面に感涙の涙。

 

 後半、旅を続ける静人に寄り添うように同行する倖世もまた、

愛するがゆえに夫を殺してしまったつらい過去を引きずって生きている。

 

 『親友の死はつらかったろうし、命日を忘れたことで自分を責める気持ちはわかるが、

人の死を求め歩いて、どんな慰めになるのか、何の意味があるのか』問う巡子に、

『何になるかなんて、今はわからないよ。それを知るためにも、(旅を)つづけたいんだ』と答える静人。

 

 彼の「悼む人」としての旅は、私には最後まで理解できなかった。

 

 年老いて、病み、次第に運動機能を失い、家族の手助けなしには生きていけない巡子。

それでも気丈に、死が訪れるまで、自分を失わずに生きる静人の母・坂築巡子の生き方は、

共感と感動をもって読むことができた。

 心に傷を持ったまま生きる登場人物たちに、

「優しさ」というスパイスを振りかけ、

この暗くうっとうしく感じる長い小説を最終章まで読者を惹きつけていく手腕は素晴らしい

評価☆☆☆+1/2☆                         2015.3.10

 

 

 

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