雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

政務活動費 改善策は?

2016-09-29 21:06:31 | 昨日の風 今日の風

政務活動費・改善策は?
         (政務活動費№13)
  
公金を扱う議員のやることとは思えない乱脈の実態がマスメディアで取り上げられている。
 議員の質の低下が、貰えるものは何でも貰い、悪習慣でも誰もがやっていることは、
 やらないと損をするという感覚。
 自分だけ「良い子」になるのは嫌だ等々、議員の質もここまで落ちてしまったかと憤慨するが、
 「その議員を選んでしまったのは誰なのか」と考えてみれば、選挙に投じる1票の重さに襟を正さなけれ
 ばならないことに気づく。
  まして、棄権するなどと、民主主義の根幹を揺るがすような、「権利」と「義務」の履行を放棄するな 
 
ど論外だ。

  不適切な政務活動費の事例は、数知れず多い。
   〇 行ってもいない出張費の請求。食料品のレシートを改ざんし事務費として計上。
                   飲食代を活動費
 として計上。
       演歌コンサートを計上した議員もいた。
       読書が好きだからと何十万もの書籍代を計上、
       市民の代表としてあらゆることに精通していなけれは職を全うすることはできないから、
       などと言う理由が通ってしまう。
       冷蔵庫を購入した議員もいた。
       極めつけは、3月の年度末に政務活動の予算が余ったからと、会は全員にパソコンを購入。


      貰った活動費は全額使わなければ損、と言う感覚。
      しかも、議員を止めた議員に、パソコンの返還を認めていない。
      公費で購入したものの所有権は個人にはない。
      廃棄処分したと言うが、その書類さえ提出させていない。

  多くの議会で、政務活動費は一定額が会派や議員に前払いされる。議員の政務活動が円滑にできるよ      
   うにと言う「前払い方式」が、主旨に反して手にしたものは「返したくない」と、不正計上を誘発
   してしまう。

 改善策 ①
  後払い方式
  
一度手にしたお金は「返したくない」と言うならば、「後払い」にすればよい。

  京都府京丹後市の場合、議員に報告書や領収書を出してもらい、議長が審査した後で支給する「後払い  
  
方式」をとっている。
   調査研究にかかった費用の補てんという政務活動費の性格上、「後払い方式」の方が理にかなってい
  る。議員個人に直接前渡しする方式が不正の温床とになるという。そのため不祥事のあった兵庫県議会      は政務活動費を会派に前渡しして、会派から議員に後払いする方式に改めている。

 改善策 ②
  領収書等の提出
  
1円以上の領収書や支払証明書の提出と例外規定を撤廃する。(公共機関利用の際の切符購入費など)

 改善策 ③
  領収書・支払証明書等のインターネット公開
  
収支報告書をネットで公開する自治体は増えています。
  さらに徹底して、添付する領収書までネット公開している自治体は、高知県、大阪府、兵庫県などが     
  る。

 政務活動費は、政策の調査研究や陳情活動などの経費を補助するために地方議員に支給される公費である。どんな活動のためにいくら使ったのかを、報告し公開するのは議員の義務として当然のここと思われます。議会に出席し、質問し採決に参加するだけが議員の仕事ではないことを、議員の皆さんはもっと自覚してほしい。
                                       (2016.09.29記)

(昨日の風 今日の風№49)

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政務活動費 不正請求は富山市議会だけではない

2016-09-28 15:59:51 | 昨日の風 今日の風

政務活動費 不正請求は富山市議会だけではない                                                       (政務活動費№12)   

   ありがたくないおくり名をつけられた号泣議員の野々村竜太郎の政務活動費不正請求がメディアを賑わしてから2年が過ぎた。一体あの時の騒ぎは何だったのだろう。
 2年前、野々村氏だけではなく、多くの地方自治体で、政務活動費の不正請求があり、改善が進んだ。だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とい箴言のように、今回も多くの地方自治体の不正請求が発覚した。
 政治家の質がここまで落ちてしまえば、過疎化による地方消滅など大問題に取り組み、我が街、わが故郷の未来を担う政策など、期待できるわけがない。

  政務活動費 地方議会、平均執行率86%(15年度調査)
  執行率の高い議会
     1. 富山市 (100%)
               2. 横浜市 (99.3%)
            3.鹿児島市 (98.0%)
        問題の富山市議会は、15年度と交付金を全額使いきっている。
   交付された7920万円を使い切っている。
   14年度もほぼ全額使いきっている。
   富山市議会では、政務活動費を巡る不正請求で9人が辞職し   
   ており、不正横行の背景に、突出した使い切り体質があるとみられる。
   

  執行率の低い議会
     1. 函館市  (46.4%)
     2. 長崎市  (58.2%)
     3. 東大阪市 (60.6%)
   執行率が低ければいいということでもない。
   議員たちの政務活動が消極的ということにもなりかねない。
   

 都道府県議会 海外視察報告について
   議員さんの社会は、こんな馬鹿なことがまかり通る社会なんです。  

 毎日新聞記事から。
 政務活動費を使った議員の海外視察について、
 47都道府県議会の3割に当たる14議会が報告書の作成を義務付てていない。

 例えば、東京都議会の場合、議員に支給される活動費は月額60万円で、全国最高額だ。
 海外視察の報告書については、議員の手引きで「作成することが望ましい」とされている。
 つまり、裏を返せば「作成しなくても問題ない」のである。
 作成したとしても、各自が保管することになっており議会への提出義務がない。
 
  ある都議会員の発言。
 「皆が書かない中で、自分だけ書けばスタンドプレーになる」、
 だから私は書かないと言わんばかりの発言だ。いい言動には「掟破り」の冠をかぶせ、
 「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な言動が蔓延する。

  視察分として、政務活動費の収支報告書には約86万円が計上されている。
 旅行会社の領収書と、支払いに使ったクレジットカード会社の明細書が添付されている。
 「現地の地下鉄視察や大使館訪問などが目的」との記述があるのみ。
 詳細の記述は一切ない。
 何処に行って、
どんな勉強をしてきたのか。
問題点はなかったのか。
都政に反映することができるのか、と言ういちばん感じな部分が抜けていては、都民は海外視察が適切であったのかどうか、判断することができない。
 観光旅行とどこで区別するのか。
 都民の税金が、こんな杜撰(ずさん)な使い方をしていることに憤(いきどお)りを感じます。

 山梨の場合。
  2013年東京高裁判決は、米国やエジプト視察は「観光中心の私的旅行だった」として、政務活動費の
  返還を命じた。

 千葉県議会の場合。
  海外視察の報告書が、グループごとに同じ体裁、おなじ文面の報告書が提出され、問題になった。

  歯に衣着せずに言わしてもらえば、議員の中には、ある事柄をまとめ、文章にまとめて報告することが
  出来ない議員も多い。代表者である議員がこんな風だから、報告書の義務付けを求めない提案が可決し
  てしまう。だから、次のような発言がまかり通る。

 群馬県議の発言。
  「海外視察報告書の作成が義務付けられれば、生活費の使い勝手が悪くなると嫌がる議員が多くなる」
    
  地方自治法は、政務活動費を支給された議員に議長宛の収支報告書を提出するよう義務付け、議長が使
  
途の透明性確保に努めるよう規定している。
   海外視察の報告書は政務活動費の具体的な使途や視察の成果を示す書類だが、条例や手引きで作成を       義務付けるかは各議会にゆだねられている。
  
   だから、自分たちの都合のいいような条例や手引きを作成してしまう。
     
   富山市議会のように議長みずからが、不正を働く情けない議員の質の低下もある。
  また、岡山県議会・井元乾一郎議長のように全く理解していなくて、新聞社の取材に対して「報告書の
     作成が義務付けられ、みんな作っていると思います」と答えた6時間後「議会事務局に確認したとこ         ろ、義務付けられていなかった」と訂正し、「視察結果を公開する議論がされたこともなく、市民が          告書を見られないことも知らなかった」と、これで議長と言えますか。
   
   岡山県議会は、政務活動費の収支報告書をホームページで公表するよう求める陳情が出されたが、
  継続審議になっている。

 議会の不祥事と、議員の意識の低さばかりを書きましたが、政務活動費問題に積極的に取り組んでいる
地方自治体もあります。

  前回、「政務活動費を適正に使うために」を予告しましたが、今回も地方自治体議会の政務活動費に関する
  粗探しに終わってしまいました。お詫びします。「適正使用」については次回にアップします。

 


(昨日の風 今日の風№48)

 

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政務活動費 富山市議会よ 恥を知れ

2016-09-24 11:52:31 | 昨日の風 今日の風

富山市議会よ 恥を知れ
   政務活動費(11)
   政務活動費の不正受給について、
「号泣議員」という不名誉な通り名で一躍有名になった野々村竜太郎氏。
判決によると野々村被告は2011~2013年度に城崎温泉や東京・福岡などの日帰り出張を計344回したほか、はがきや切手代などに費やしたとする架空の書類を作成。
収支報告書を添えて県議会側に出し政務活動費913万円を搾取した。

 以後地方議会等で同じような政務活動費不正受給が発覚し、
政務活動費の在り方が自治体ごとに検討されてきた。
号泣事件から2年が過ぎ、政務活動費は適正に運用されるようになったか。
地方議員は襟を正して政務活動を行うことになったか。

 公金を扱う議員のやることとは思えない実態が浮かびあがる。

 富山市議会、定数40のうち、政務活動費の不正受給者8人が辞職に追いこまれ、
補欠選挙が行われることになった。(補欠選挙は欠員1人を加えて9人になる)

 会派ぐるみの不正受給である。8人辞職という結果になったが、本当に不正受給したのは8人だけなのか。
不正受給が発覚されたのが8人で、未発見の議員もいるに違いない、と疑われても仕方がない。

 「気軽な気持ちで始めたら、簡単だった。チェックもなかった」
 「飲むのが好きで誘われたら断れない性格」
                    ……自民会派前会長で元議長・中川勇氏
 「(活動費を)返還するぐらいなら、将来に金を残しておけないか」と架空請求
                              ……矢後 肇県議・副議長
 「魔が差した」……自民会派・浅名長在ェ門氏

 「経済的に楽になると思った」……民進系会派幹事長・針山常喜氏

 なんとバカバカしく、情けない発言なのだろう。
どの発言を見てもこれが市民の代表として市議会に送り込まれた人なのかとあきれてしまう。
報道によれば10年も前から行われていた不正受給のようだ。
皆がやっているのだから、ばれなければいいだろうという下衆(げす)根性が許せない。
おそらくは、「市民の血税」という感覚など持ち合わせていないのだろう。

 中川勇氏によれば
 04年頃に知人の元市議(故人)から白紙領収書に金額を書き込み不正請求する手口を教わった。

 組織ぐるみで、習慣的に行われた可能性が充分にある。
手口が会派内で引き継がれていたという議員もいる。

 公然としかも継続的に行われている不正受給を議会事務局は本当に気付かなかったのか。提出された収支報告書をチェックもせずに受領する体質とシステムにも問題があるのではないか。

 不正受給は次の通り。
 民生会派・会長高田一郎   領収書を改ざん
           
(茶葉2,268円分を数字の頭に2を加え、2万2268として不正請求)                                                             
      幹事長・針山常喜 領収書を改ざん
           (茶葉2,
268円分を数字の頭に4を加え、4万2268として不正請求)
 上記2例は、領収書は同じお茶販売店のもので、ともに針谷氏が会派の事務員に改ざんを指示していた。
また、市政報告会を開催したと装い、白紙領収書虚偽の金額を記入する不正も認めている。不正取得分は個人口座に入金し、生活費や香典などに使用し可能性もある(針谷氏)。選挙資金にも使った(針谷・髙田氏)。

 浅名長在ェ門氏  自宅近くの食品会社の白紙領収書に架空金額
               別の商店の白紙領収書で架空金額

 白紙領収書による不正受給は、多くの議員に利用され、
議員と業者のなれ合いという構図も浮かび上がってくる。
ある業者は、普段世話になっている議員に頼まれ、断り切れなかったとの証言もある。

 自民会派・前会長中川勇氏
        印刷会社からの白紙領収書で架空請求を多用する。飲み代、自宅リホームの借金返済、生命保険料、さらに、議員年金に変わる老後の備えとしてドル積み立て(月7万)等が負担になり、やりくりが困難になり、自宅を手放すようになった。
 不正受給を繰り返す一方、議員報酬引き上げを訴え続けていた。

 一連の不正発覚の発端は、
 富山市議会が6月に議員報酬を月10万円増額することを決め、
 「議員とカネ」の問題に関心が高まったことから浮かんできたと報道は伝える。

 なぜ、一気に10万円の議員報酬引き上げなのか。
 理由はこうだ。
  議員年金廃止前、各議員の掛け金(月約10万円)に加え、市が月約10万円の公費負担をしていた。
  「廃止分を報酬に上乗せしてもいいのではないか」と考え、今年6月の市議会で議員報酬を月額60万円
  から70万円に引き上げる条例案が可決された。
               
 どんな事情があるにせよ、民間では考えられない。
 親方日の丸。市民のことなどどうでもいいのか。
 「自分さえ良ければ」という考え方に、
 市民は置き去りにされてしまう。

 不正受給した金額は総額で、2000万を超える。
 挙句の果てに、補欠選挙である。

 補選の費用は約1億円になるのだ。
 不正受給した議員たちよ、ただ単に辞職をすればいいという問題ではない。
 恥を知れ!!

 政務活動費については、このブログで何度も取り上げてきました。
 興味のある方は参照してください。
 政務活動費ブログアップ日付
  2015年3月6日  3月8日 3月10日 3月13日 3月22日 4月5日

  次回は、政務活動費を適正に使うためにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。 
                           ( 昨日の風 今日の風 №47)

                                                                                 (つづく)
 







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湖畔の宿(昭和15年) (2)「 山の淋しい湖」は何処の湖か

2016-09-16 16:00:00 | うたの故郷

湖畔の宿(昭和15年) (2)
          「山の淋しい湖」は何処か

  歌  高峰三枝子
  作詞 佐藤惣之助
  作曲 服部良一

(一) 山の淋しい湖に        
   ひとり来たのも悲しい心
   胸の痛みにたえかねて 
   昨日の夢と炊き捨てる

   古い手紙のうすけむり
  
   

 おそらくは、傷心のひとり旅の歌であろう。傷心の理由はわからない。
 単刀直入に、失恋の歌と言わないのは、前回ブログで、戦意高揚を損なうと評価された歌にもかかわらず
 戦地に慰問に行くとこの歌のリクエストが多くあったことを書いた。
 兵士の心を捉えた「湖畔の宿」は、単に失恋の歌ということではなく、戦時色の強まる時代の流れの中で、
 どうにもやりきれない思いが、特に故郷や国を離れている従軍兵士には、他人にはいえないやるせない思いがあった
 のではないか。その思いが、哀調を帯びたメロディーに乗って流れる、「悲しい心」「胸の痛み」「昨日の夢」「古
 い手紙」といったネガティブな雰囲気に惹かれていったのではないか。

   (二) 水にたそがれせまる頃 
      岸の林を静かに行けば
      雲は流れてむらさきの 
      薄きすみれにほろほろと
     いつか涙の陽がおちる 

 (二) もまた泣かせどころをいっぱい含んでいます。詞の持つせつなさと郷愁が人々の心を捉えたのでしょう。
 台詞は一番の泣かせどころでしょう。この辺のことは、第一回目のブログ(9/13付)に書いておきましたので参照にしてください。          

   (台詞) 

   あゝ あの山の姿も湖の水も
   静かに静かに黄昏れていく
   この静けさ この寂しさを抱きしめて
   私はひとり旅を行く
   誰も恨まず みな昨日の夢と諦めて
   幼児(おさなご)のような清らかな心を持ちたい  
   そして そして

   静かにこの美しい自然を眺めていると
   ただほろほろと涙がこぼれてくる

 
(三) ランプ引きよせふるさとへ 
   書いてまた消す湖畔の便り
   
旅の心のつれづれに 
   ひとり占うトランプの
   
青い女王(クイーン)の 寂しさよ

 旅の心のつれづれに ひとり占うトランプの 青いクイーンの淋しさよ」
 夢破れて、傷心の女性を最後に持ってきて歌は終わります。
 終始「感傷的」な詞に、服部良一の作曲がいやがうえにも聞く人の感情をとらえて離しません。
 何よりも人々の心を捉えたのは女優・歌手の高峰三枝子の歌唱力と彼女が持っている、「世間の垢」に染まらない
 清潔で純なイメージだったのではないでしょうか。

 さて、「山の寂しい湖」の「湖畔の宿」とはどこなのか。

 戦後間もなくから随分と話題になったようです。
作詞者の佐藤惣之助氏は昭和17年に他界され、作曲家の服部良一氏は詳しいことは何も聞いていない。
従って、関係者からの証言は難しくなりました。

静岡県・浜名湖などポピュラーに湖が候補に挙がったこともあったようですが、
「山の淋しい湖」というイメージからは遠く離れていると言うので、失格。

諏訪湖も候補に挙がったようですが、確かに「山の湖」という点ではいいが、
古い温泉地のある諏訪湖は、昔も今も温泉宿が林立し、「寂しい」という点では失格でしょう。

当然、富士五湖の山中湖、河口湖、精進湖、西湖、本栖湖なども候補に挙がったようです。
「山の淋しい、湖畔の宿」ということになると、どれにも当てはまりそうで特定できません。

 作詞家がイメージを膨らませて書いたとすれば、歌に描かれた場所を特定することは無意味なのかもしれません。
あわよくば、「観光拠点の一つにしたい」という自治体の思惑が「歌の故郷」探しになるのでしょう。

箱根 芦ノ湖
 高峰三枝子はどのようなイメージで、この歌をとらえていたのでしょうか。

 さまざまな思惑のなかで、高峰三枝子はどのようなイメージで歌っていたのか。

 平成元年、高峰が古希のリサイタルを開いたとき、
「私はこの歌を歌うとき、いつも芦ノ湖をイメージして歌っていました」
機運が一気に高まり、なんの根拠もないのに、湖畔の宿は「芦ノ湖の宿」になりかけたようです。

 その2年後の平成3年、新しい発見がありました。
昭和17年に他界した、佐藤惣之助の手紙が発見されたのです。
佐藤氏が常宿にしていた榛名湖畔の湖畔亭の仲居に送った手紙が発見されたのです。

 「『湖畔の宿』は榛名湖の事ではあるが、あの中のことはまったく夢だよ。ああいう人もあるだろうと思ったので書いたもの。宿は湖畔亭にしておこう」
という主旨の手紙でした。ちょっと素っ気のない文面ですが、まぎれもなく佐藤氏自筆の手紙です。

 当時の状況を振り返ると、佐藤氏は釣りが好きで、各地を歩いているが、榛名湖は先妻を亡くした後一緒になった萩原朔太郎の妹愛子さんの実家が前橋だった関係でよく遊びに行っており、湖畔亭は常宿だったらしい。
(湖畔の宿記念公園)
 以上のような経緯があり、、地元群馬県では、榛名湖を見下ろせる高台に「湖畔の宿記念公園」をつくりました。
歌碑の前に立つと、「湖畔の宿」のメロディーが流れ、歌のイメージが浮かんできます。

 現在佐藤惣之助氏が泊った宿は、「湖畔亭」として残っていますが、当時のおもかげは少し残るにとどまっているようです。直接電話で女将と話をしてみましたが、特段「湖畔の宿」をアピールしている様子もなく、一階部分がお土産店、二階部分に宿泊施設6部屋があり、女将が仕切っているようです。
 問題の手紙など、歌にまつわるものが展示されているようですが、「湖畔の宿」ゆかりの宿ということで訪ねて来る人はごく少ないようで、「歌の故郷」騒動のあったことも知らない人がほとんどだそうです。
 口コミ情報を20件ばかり読んでみましたが、このことに触れている宿泊客は一人もいませんでした。

 榛名湖に映る榛名富士を眺めながら、「湖畔の宿」のイメージを想い、歌に魅せられた当時の人たちの胸の内を想うのも楽しいですね。

 長い文章を最後まで読んでいただいたみなさんに感謝します。
『うたの故郷』はシリーズとして今後も書いていきたいと思います。
                                     (2016.09.16記)

 

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湖畔の宿

2016-09-13 11:28:20 | うたの故郷

湖畔の宿 (昭和15年) 

  

歌  高峰三枝子
作詞  佐藤惣之助
作曲  服部良一


(一) 山の淋しい湖に 
   ひとり来たのも悲しい心

   胸の痛みにたえかねて 
   昨日の夢と炊き捨てる

   古い手紙のうすけむり


     失恋の歌かどうかはわからない。だが、傷心の歌には違いない。
    人里離れた辺鄙な「山の淋しい湖に」傷心のひとり旅。
    この湖畔の宿で、持ってきた「古い手紙」に火をつける。
    辛い過去との決別である。
    風もなく、ひっそりと静まりかえった湖に、焼いた手紙のけむりが空に吸われていく。
    「昨日の夢と炊き捨てる」にはあまりに孤独で、さみしい未練の風景。

 昭和15(1940)年発表のこの歌は、リアルタイムで聞いたことはない。
 それでもなぜか、この歌は好きな歌の一つだ。

 歌詞もいいが、メロディーもいい。高峰三枝子の細く透き通るような声も、歌の雰囲気を盛り立てている。
 一昔前の日本人の感性に共感する者があったのだろう。

 だが、時代が悪かった。昭和15年、戦争の気配がだんだん激しくなり、日独伊三国軍事同盟が締結され、
「ぜいたくは敵だ」等の標語の看板が街のあちこちに、現れ始めた。
 戦時色が日本を覆い、「父よあなたは強かった」等の軍歌が街に流れていました。
昭和16(1941)年12月には、真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まりました。



 

  湖畔の宿」は、感傷的な詞と淋しいメロディーは戦意高揚を損なうという理由で発売禁止になりました
だが、良い歌はよいのです。心に響く歌はいつまでも人々の心を捉えて離しません。
 戦時、戦後を問わずずっと歌われてきました。


(二) 水にたそがれせまる頃 
   岸の林を静かに行けば

   雲は流れてむらさきの 
   薄きすみれにほろほろと
   いつか涙の陽がおちる

(台詞) 

   あゝ あの山の姿も湖の水も
   静かに静かに黄昏れていく
   この静けさ この寂しさを抱きしめて
   私はひとり旅を行く
   誰も恨まず みな昨日の夢と諦めて
   幼児(おさなご)のような清らかな心を持ちたい  
   そして そして

   静かにこの美しい自然を眺めていると
   ただほろほろと涙がこぼれてくる

 
(三) ランプ引きよせふるさとへ 
   書いてまた消す湖畔の便り
   
旅の心のつれづれに 
   ひとり占うトランプの
   
青い女王(クイーン)の 寂しさよ

 

 作詞家・阿久 悠の思い出

 作詞家の阿久 悠は著書「愛すべき名歌たち」(岩波新書)のなかで、戦死した兄と「湖畔の宿」の関わりを
書いています。17歳で海軍に志願し、19歳で戦死した兄が遺したものは、たった一枚のレコード「湖畔の宿」
だつた。兄が出征した後、ぼくは、その「湖畔の宿」をよく聞いた。レコード一枚残しただけの兄の青春とは何だったのだろうか。発売禁止になった歌だが、どうしても聞きたいときがあって、ポータブル蓄音機を押し入れに持ち込み、布団をかぶって聞いたものである。………何度も繰り返し聞き、時々妙に悲しくなって泣いた。
 阿久 悠少年の心に刻まれた「湖畔の宿」は、若くして戦死した兄への想い出として、忘れられない歌の一つになったのでしょう。

 歌手・高峰三枝子の思い出
 歌手たちの戦地慰問で兵士たちのリクエストで圧倒的に多かったのがこの曲だったそうです。当局が「戦意高揚を損なう」として発売禁止にした「湖畔の宿」が一番多かったとはなんと皮肉なことでしょう。
 権力が肥大化し、都合のいいように人々の言動を規制しようとしても、心は誰にも規制することができません。
とくに、特攻隊の基地で若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は何度も言っています。
 
「この静けさ この寂しさを抱きしめて私はひとり旅を行く誰も恨まずみな昨日の夢と諦めて」の部分がとくに兵士たちの胸に響いたのでしょう。
 若い特攻の兵士たちは、「死ぬために飛行訓練を受け」、空の彼方に消えていきました。言いたいことも言えずに、「お父さん、お母さんありがとうございました」という遺書を残しての還らぬ旅立ちでした。

 「誰も恨まず」、わが身の運命と覚悟して、飛び立つ特攻隊の兵士には、美しい日本の自然が織りなす風景や、残してきた恋人への思いが「湖畔の宿」の歌に重なっていたのでしょうか。

 私には「書いてまた消す湖畔の便り」というフレーズにも、悶々として「遺書」を綴る兵士の姿が浮かんできます。
                             (2016.09.13記)          (つづく)
    
 次回 「湖畔の宿」に歌われた、山の淋しい湖とはどこか

 





 

 

 

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新潟県知事選 泉田知事立候補撤退(4) 番外編 (2) インタビュー

2016-09-11 10:00:00 | 昨日の風 今日の風

新潟県知事選 泉田知事立候補撤退(4)
                           番外編(2) インタビュー
 朝日新聞のインタビューに応じて、撤退の理由を次のように答える。
撤退の理由は、改めて地元紙・新潟日報の報道姿勢を挙げ、自分が退くことで「原子力防災を選挙の争点に」戻したい、と述べる。
 自分が立候補者だと船の問題ばかりが選挙の争点になる危惧があるから、「原子力防災を争点化したうえで選ばれる知事が誕生して欲しい」と述べている。

 なんだかこじつけみたいで、ますます真意がわからなくなってきます。撤退することにより「原子力防災を争点化する」といっているが、泉田氏が撤退したら、原子力防災は争点になるどころか、うやむやのうちに再稼働への道を進むことになりかねません。

 鹿児島県・川内原発や愛媛県・伊方原発が問題を残したまま見切り発車の再稼働をする流れの中で、

「東電福島第一原発事故の検証が先だ」
と孤軍奮闘してきた。また、
「(原発の新規制基準は)国際水準に達していない」と批判し、重大事故時の住民避難についても、「新潟の場合、どうやって約44万人が2時間で避難できるのか」

と国の指針に疑問を呈した。

 県内の一部有権者や市民団体から『知事選撤退の撤回』を求める声があるが、泉田氏は翻意を否定している。

 泉田知事を取りまく政治環境の変化が撤退の大きな原因ではないか。

  2004年の初当選時 → 自民・公明の推薦を受け、6人が立候補する激戦を制覇して当選。
  前回2012年 → 民主、自民、生活、公明、社民の5党の推薦を受け、県議会もほぼ「知事与党」体        

               だった。
  今回は、どの政党からも推薦されていなかった。

   多選への批判に加え、
   原発再稼働や新潟水俣病への対応などで国に反発する姿勢に、
   一部の県議や市町村長から不満の声が上がり、
   初当選から推薦してきた自民の県連は知事派と反知事派に分かれている。

  前回にも書いたが、政治や経済界、東電などの大きな力に流されそうな泉田氏の姿が見えてくる。
  前東海村村長に続いて、原発政策に批判的な政治家がまたひとり消えていくのはさみしい。
                                      (2016.9.10記)
                                  
(昨日の風 今日の風 №46)

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新潟県知事選 泉田知事立候補撤退(3) 番外編

2016-09-09 17:00:00 | 昨日の風 今日の風

新潟県知事選・泉田知事立候補撤退(3) 番外編
 地元紙・新潟日報との対立を立候補撤退の理由に上げているが、
メディアとの対立を理由に撤退を決めた事例は聞いたことがない。

 前回の(2)のブログでは、原発問題が根底にあるのではないかということを書いた。
泉田裕彦知事は、東電柏崎刈羽原発が立地する新潟県で、再稼働に慎重な姿勢を貫いてきた。

 そのことについて地元紙や産経新聞などは冷ややかに見ている部分がある。
産経新聞は9月2日付の「主張」の中で次のように述べている。

 泉田氏は東京電力福島第一原発事故を受け、県内の柏崎刈羽原発の再稼働に厳しい条件を付けてきた。原発の安全確保は当然だが、東電と建設的な話し合いをしないなど、その姿勢を疑問視する声は経済界から強く挙がっていた。
 県知事は、原発が立地する自治体の活性化を含め、県全体に視野を広げて多角的に行政運営する政務がある。

 言い分はよく理解できる。
しかし、原発問題や基地問題など利権がらみの巨大な資金が絡み、
経済や雇用問題が深くかかわる問題は、曖昧な姿勢で行政を進めようとすると、
必ず対立の論争になり、一歩譲歩すれば、外堀を埋められ、石垣を一つ外されなし崩しになってしまう。
 それを防ぐためには、揺らぎのない決意と信念が必要となる。

 ひとりの人間が、経済界や原子力ムラ等の大きな力に対抗するには限界がある。
 手を変え品を変えて切り崩しにかかり、見えない力が大きなストレスとなって首長を襲ってくる。
 挙句の果てに、4年に一度の選挙では、トップの首のすげ替えに総力を結集して挑んでくる。

 長い間の攻撃に耐え、意欲を持って政治を司ることには、限界がある。
 こうした環境に泉田氏が長い間さらされていたとしたら………。

 「東電福島第一原発事故の検証が先」との姿勢を続けていた泉田知事は、再稼働を止める「最期のとりで」と期待されていた。

 泉田氏が立候補を取りやめてしまえば、再稼働の論議がなされないのではないかという懸念がある。


 
(昨日の風 今日の風№45)

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新潟県知事選 泉田知事立候補撤退(2)

2016-09-07 17:00:00 | 昨日の風 今日の風

新潟県知事選・泉田知事立候補撤退(2)
  何があったのか
 新潟日報の報道ぶりが、自分の意に沿わないからといって、県政を司(つかさど)れないというのはおかしい。知事の発言には次のような文言もみられます。

 新潟県内で大きな影響力を有する新聞社が、県の説明は読者に伝えることはせず、一方当事者の主張に沿った報道のみがなされている状況です。また、東京電力の広告は、今年5回掲載されていますが、国の原子力防災会議でも問題が認識されている原子力防災については、例えば、県が指摘している現在の指針に従えば避難が必要になった時には、原発から半径5㌔~30㌔の緊急時防護措置準備区域内の住民40万人強を2時間で避難させなければならなくなる問題など県民の生命・健康を守ろうとするうえで重要な論点の報道はありません。………(略)
 以上のような状況にかんがみ、この秋の新潟県知事選挙からは撤退したいと思います。

 この文言に対して新潟日報は、編集局長名で反論を掲載しています。

 知事選から撤退する理由として本社の報道を挙げたことは、報道機関に対する圧力にも等しく、許しがたい行為。

 なんとも歯切れの悪い泥仕合の匂いがしてくる。
撤退の裏には、どうしても選挙事情が絡んでくる。
泉田知事は、今年2月にはいち早く出馬表明をしていたのに、この弱腰はどうしたことか。理解できない。
 東京電力福島第一原発事故を受け、県内の柏崎刈羽原発の再稼働に厳しい条件を付けた時の、揺るぎのない自信は何処に行ったのか。東電対泉田の対決構図では、経済界などの反発も強く挙がっていた。
 このあたりにも、撤退の理由が潜んでいるような気がします。
 
 今回の泉田知事の弱腰はまるで別人のように思える。
反泉田の風が吹いている。
泉田知事よ、言いたいことがあれば選挙で主張し、県民の真意を問えばいい。
                             (2016.9.6記)      (おわり)

 

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新潟知事選・泉田知事立候補撤回

2016-09-06 17:00:00 | 昨日の風 今日の風

新潟知事選・泉田知事立候補撤回
  この撤退理由は理解できない
 10月16日に投開票される新潟県知事選へ4選を目指して立候補を表明していた泉田知事(53)が30日、立候補取りやめを表明した。突然の表明だ。
 理由は、地元紙・新潟日報の報道姿勢についてのトラブルを上げている。
その大要は次に述べるが、メディアとの対立を理由に政治家が立候補を撤回するのは理由にならない。

 政治家が意図したようにメディアが報道しないことは、この世界では珍しくない。誤解や揚げ足取りで苦い水を飲まされた政治家も沢山いる。こんなことを理由に、真意が伝わらいことを理由に撤退するという。

 政治家の言動としては軽率であり、身勝手と評価されても仕方のない行為だ。

 「この秋の新潟知事選からの撤退について」と題したA4版2枚の文書が県庁記者クラブに届いた。(8/30)
撤退の理由を「県内で大きな影響力を有する新聞社」が県の説明を読者に伝えようとせず、「このような環境のなかでは、十分に訴えをお届けすることは難しい」と新潟日報を批判し、出馬撤回の理由とした。

 問題となった新潟日報の報道とは、
新潟と極東ロシアを結び、物流の活性化を計る、「日本海横断航路構想」事業のトラブルに関わる記事だ。詳しい内容は省略するが、新潟日報の記事には「事実誤認」があるとして、適正な報道や記事の訂正を求める申し入れを計7回行った。

 知事側の具体的声明は次の通り。
 日本海横断航路に関する一連の新潟日報の報道は、憶測記事や事実に反する報道が続きました。再三の申し入れにもかかわらず、訂正や説明もなく、最近まで県から申し入れのあった事実も報道してもらえませんでした。また、読者からの説明を求める当初に対する回答を一両日でお返ししたにもかかわらず、県からの回答が現在に至っても掲載されません。
……県庁内においては、憶測記事や事実に反する記事への対応のため、通常業務に支障が出ていますし、職員の残業時間も大幅に増加しています。
 
  何度も繰り返しになりますが、一つの県を代表する現職の首長の撤退理由としては、なんだか釈然としません。              

                                                (つづく)                                                                    

 軽い気持ちで、知事の立候補撤退への疑問を述べたいと思い、書き始めた記事ですが、
一回完結にするには内容が重すぎます。一両日中に続きを掲載します。               
                                    (2016.9.5記)



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読書紹介 「土漠の花」

2016-09-04 17:00:00 | 読書案内

土漠の花
   月村了衛著 幻冬舎 2014.9刊 第1刷
 
ソマリアの国境地帯で自衛隊が紛争に巻き込まれる。

 陸上自衛隊第一空挺団の精鋭たち。
ソマリアの国境付近で士族間抗争で命を狙われている女が駆け込んできた。
ご存知のように、この地帯は世界有数の危険地帯だ。

 闘わぬ自衛隊は、支援物資の輸送等に携わる、いわゆる後方支援を主なる任務としている。
だが敵が攻撃を仕掛けてきたら、
戦闘に巻き込まれてしまったら、
闘わずして自分たちの命を守ることができるのか。 

 読み始めるとそんな疑問はどうでもよくなってしまう。

 逃げて来た女を避難民として保護した時から、ハリウッド映画なみの闘いが始まる。
それは、戦争に名を借りた殺戮行為だ。
残虐無比、武器を取って戦わなければこちらがやられてしまう。

 冒頭から隊員2名が銃撃で、血を吹いて倒れる。
鈍い音とともに土の上に転がった物は、動哨に出ていた隊員のはねられた首だ。

指揮官までもが殺されてしまう。。
なぶり殺し、問答無用に手当たり次第に隊員に向けられる殺戮。

 〈未だ勝って戦ったことのない軍隊〉である自衛隊が、こんな成り行きで戦うことになろうとはーーー
隊員の述懐だが殺戮の現場で、こんな悠長なことなど考える余裕なぞどこにもないと思う。
倒さなければ自分が倒される逼迫した状況の中で、隊員の過去が思い出されたりするが、そんな余裕なぞないはずだ。

 圧倒的な兵員と武器を持って攻めてくるソマリア民兵。
氏族間抗争で命を狙われている女が駆け込んだとき、壮絶な撤退戦の幕が上がった。
圧倒的な数的不利。
武器も土地鑑もない。
通信手段も皆無。
自然の猛威も牙をむく。
最悪の状況のなか、仲間内での疑心暗鬼まで湧き起る。
なぜここまで激しく攻撃されるのか? なぜ救援が来ないのか? 
                      (ブックデータより引用)
 息もつかせぬノンストップアクションだが、あまりに続く戦闘シーンに私はちょっと疲れてしまう。
「自衛隊は人を殺せるのか」ってことはどうでもよくなってしまう。
窮地を脱するには、相手を倒す以外に方法はない。
相手も逃げた女をとらえ、処刑するには日本の戦闘員を殺す以外に方法はない。

 日本国憲法とか、自衛隊法とか、国際法などの解釈云々が、殺し合いの現場ではいかに虚しいか。

 作者は最後に思いもしない結末を用意する。
 
 生きて帰って来た隊員に待っていたのは、 政府による隠ぺい工作だ。
 このあたりいかにも、ハリウッド映画的な幕切れだ。

 だが、物語はここで終わらない。
 実に日本的な終わり方を作者・月村了衛は用意している。

 

 「土漠の花」を意味するものは、現地の部族の娘を意味するのだが、
 戦闘の進む中では影が非常に薄い。
 「花」を守るために命を賭けて戦う隊員たちの心境がすこし書き込みが足りないのではないか。
 
 最後の一行はこうだ。
 桜の花びらがふわりと舞った。可憐な花の残り香だつた。

   評価 ☆☆☆/5
         これを記するにあたり、ネットで読書感想を調べてみた。ノンストップアクションを
            評価し、一気に読めた点を評価する感想が多数を占めた。
            単なる娯楽作品として余暇を十分に楽しめた読者にとっては、☆の数は4~5になるのだろう。
                                             (2016.9.4記)


 

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