雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内 「霧笛」 ルイ・ブラッドベリ著

2014-06-23 22:30:00 | 読書案内

読書案内 「霧笛」ルイ・ブラッドベリ著

                      短編集太陽の黄金の林檎より

眠りから覚めた一億年の孤独

 孤独岬の灯台。

突端から2マイル(約3200メーター)離れた海上に70フィート(約21メーター)の高さにそそり立つ石造りの灯台。

 夜になれば、赤と白の光が点滅し船の安全を見守る。

霧の深い夜には霧でさえぎられた灯りを助けるように、霧笛が鳴り響く。

霧笛の音……。

〔……誰もいない家、葉の落ちた秋の樹木、南めざして鳴きながら飛んでいく渡り鳥にそっくりの音。十一月の風に似た音、硬い冷たい岸に打ち寄せる波に似た音、それを聞いた人の魂が忍び泣きするような音。遠くの町で聞けば、家の中にいることが幸運だったと感じられるような音。それを聞いた人は、永劫の悲しみと人生の短さを知る〕

 寂しくて孤独に震え、一度聴いたら忘れられない霧笛の音が、濃い霧に覆われた孤独岬の灯台から流れる。

 霧の出始める九月、霧の濃くなる十月と、霧笛は鳴りつづけ、やがて十一月の末、一年に一度、あいつが海のかなたからやってくる。深海の暗闇の眠りから目を覚まし、一族の中の最後の生き残りが、海面に姿をあらわす。

 全長九十から百フィート。

 長く細長い首を海面に突き出し、何かを探すように、霧笛の流れる霧で覆われた海面を灯台めざして泳いでくる。

 永い永い時間のかなたで絶滅してしまった恐竜。

 数億年の眠りから目覚めその霧笛に向かって、恐竜が鳴く、霧笛が響く…。

恐竜の鳴き声は、霧笛の音と見分けがつかないほど似ている。

孤独で、悲しく、寂しい鳴き声だ。

 霧笛が鳴る…恐竜が吠える…お互いが呼び合い、求め合うように呼応する。

 霧笛を仲間の呼び声と錯覚し、深海の深い眠りから目を覚まし、数億年待ち続けた仲間の呼び声に孤独な怪物は灯台に近づいてくる。

 その時、燈台守が霧笛のスイッチを切った。たった一匹で気の遠くなる時間にじっと耐え、決して帰らぬ仲間をただひたすら待たなければならなかった孤独。

 彼は霧笛の消えた灯台に突進していく……。

 喪われ二度と会えないものを待つ孤独が、読む者の心を切なくさせるSF短編である。

                           ハヤカワ文庫2006年2月刊 評価 ★★★★★

 

 

原子怪獣現わる』(げんしかいじゅうあらわる、The Beast from 20,000 Fathoms)は、1953年に制作されたユージン・ルーリー監督によるモノクロ特撮怪獣映画。製作はアメリカ合衆国ワーナー・ブラザース映画。

核実験で現代に蘇った恐竜と人間との攻防を描き、映画史上初めて核実験の影響を受けた怪獣が登場した作品[4][5]。『Monster from Beneath the Sea』のタイトルでも知られる。「核実験で蘇った巨大な怪獣が都市を襲撃する」という本作の設定や特撮技術は、『ゴジラ』(1954年)など後世の作品にも大きな影響を与えた[6][7]

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哀歌 翔よ!! (8) 6月の風

2014-06-18 20:00:00 | つれづれ日記
哀歌 翔よ!! (8) 6月の風

6月の風は気まぐれである 

どこかに

初夏の若葉の匂いをかすかに残し

ときには

優しいあじさいの匂いと一緒に

雨を運んでくる

 

梅雨の切れ目には

はっとするような夏の匂いを漂わせて

えりあしをなぜて通り過ぎていく

 

水田のイネの葉先を揺らしながら

緑色に変身した風は

浮気な仔猫のように

田園の村々を通り抜けていく

 

もうすぐ夏が来るぞと

 

(2014.6.16記)

 えりあしをなぜて通り過ぎる風。

イネの葉先を揺らす緑の風。

そんな風景の中に立てば、

翔太郎はどうしているかと思う反面、あゝ、翔太郎はもう、この風を感じることができないのだ。

彼が育った安曇野の郷から望む雪をかぶった北アルプス。

そこに吹く風が、こころよく私たちを迎えてくれた。

翔太郎よ、もうお前と一緒にこの風を感じることはできないのだね。

あふれる思いが、今もこみあげてきて、お前の思い出を追いかける私たちです。

時は忘却を伴って過ぎていくというが、翔太郎が残してくれたさわやかな風を私たちは一生忘れない。

                                        (2014.6.17記)

 

 

 

 

                                                      

                                  

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読書案内 「コラプティオ」

2014-06-15 16:30:00 | 読書案内

           

 読書案内「コラプティオ」       

真山 真 著   文芸春秋刊   

 本書は、「別冊文芸春秋」に連載されたものであるが、

連載最終回3日前に東日本大震災が発生した。

そのため、その震災と原発事故を踏まえて、大幅に加筆修正をしたものである。

 その内容が、あまりにも現実の政権の姿に似ていて、愕然とする。

小説に特定のモデルがあるわけではなく、

扱っている問題が、普遍的、現実的だということなのでしょう。

 震災後に現れたカリスマ総理・宮藤は、

原発事故を経験し、克服した日本だけが世界に安心を届けることができると、

海外への新規原発建設の受注交渉に舵を切る。

 これを支える若き内閣調査官・白石望は総理の信頼も厚い。

政治という巨大権力に立ち向かい、原子力政策にまつわる「疑惑」を暴こうとする新聞記者・神林裕太。

 「原子力政策の推進」に舵を切った時から、多くの利権が絡み合い、権謀術数の世界が繰り広げられる。

決して本音では語れない、

駆け引きと、力のバランスをどのようにとっていくかが政治手腕であり、結果の良し悪しを左右する。

政策の推進のためには、総理を支える側近さえも更迭してはばからない政治の世界。

神林の著名記事の、政治家の在り方言及した個所が印象的である。

「政治家とは自らの言動行動に責任を持ち、無心の心で国民に尽くすものをいう。

巨大な権力を掌握できるだけに、その世界に身を置くための覚悟が試されるのだ」と。

 タイトルの「コラプティオ」とは、ラテン語で「汚職・腐敗」という意味だそうですが、

権力の独占は、政治的混乱の源であり、「汚職・腐敗」に繋がっていくのか。

 原発の利権争いに各国の動きは、いかにして権利を獲得するか、

そのためにはなりふり構わず、相手国を叩き潰す。

水面下の駆け引きと、原発導入国が展開する、「いかに安く、良い条件」で原発を手に入れるか。

莫大な汚れた資金が動く。それでも、現実は利権を手中に収めた者(国)が生き残っていくのか。

 こうした闇を追求し、暴いていくメディアの真価が問われるところである。

                  評価 ★★★★☆          (2014.6.15)

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哀歌 翔よ!! (7) やっと巡り会えた

2014-06-08 20:00:00 | 翔の哀歌

哀歌 翔よ!! (7)

 やっと巡り会えた

照明の落されたコンサート会場の予約席に座った。

 レストランの会場は、30席ぐらいのこぢんまりとした落ち着いた雰囲気で、

静かな時間がゆったりとたゆたっていました。

 6月の梅雨に入る少し前の最初の日曜日の午後、

私は、異質な観客として、照明を落とした会場にいた。

 浜田正さんの「歳を取るのもいいもんだ」。

昨年の12月に、14歳の孫翔を事故で失くしてしまった。

その翔が好きだった歌「歳をとるのもいいもんだ」。

やっとその歌に巡り会えた。

 「あいつが好きだった歌だが、告別式の葬送の歌には使いたくない。

あまりにも悲しくて……」。

耳にこびりついて離れない翔の父親の言葉。

 この会場に来て、「やっとあえるよ!お前の好きだった曲に」胸の内で何度も繰り返し、

翔にささやきかけた。

 浜田正さんの元気な歌声が会場に満ち、会場の雰囲気が一気に盛り上がってくる。

同時に私は、こみあげてくるものを必死でこらえながら、

「翔、お前の気持に少しだけ近づくことができたよ」と語りかけた。

「この短い時間を、おまえと共有できたことをとても幸せに思うよ」。

 

 今日のこの日をセッティングしてくれた、

熊谷様、浜田様、そして大貫夫妻に感謝し、

「お前の優しさが、きっといろいろの人たちと、私たちを結びつけてくれるのだね」と、

星になった翔にささやきかけます。

 

 みなさん本当にありがとうございました。

 今日は翔の月命日です。

「歳をとるのもいいもんだ」を聞きながら、楽しかった日々を思い起こしています。

(2014.6.8)

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読書案内 「JR上野駅公園口」

2014-06-01 22:00:00 | 読書案内

読書案内

 JR上野駅公園口」柳美里著

        

  哀しくて、切なくて、どうにもならない人生の孤独が、ひしひしと胸に迫ってくる。

 男は昭和8年、福島の貧しい農家の長男として生まれる。

戦争が終わった時には12歳になっていた。

国民学校を卒業してすぐに出稼ぎに出かけ、家に戻ったのは60歳になってからだった。

出稼ぎの労働で肉体を酷使し、思うように体が動かなくなってしまったための帰郷であった。

 長い出稼ぎの連続で、盆暮れに時々帰る男に、たとえ短い間だけでも、「幸せ」と感じる時を過ごせた時期があったのだろうか。

だが、作者は男のささやかな心の平穏には一切触れず、淡々と、「老いていく」男の生涯を記述していく。

 長男の浩一が死んだ。東京のアパートの部屋で誰にも看取られずに、突然の死が浩一を襲う。

レントゲンの国家試験に合格しこれからというときの孤独な死だった。享年21歳。

 結婚して37年、ずっと出稼ぎで妻の節子と一緒に暮らした日は全部合わせても一年もなかった。

貧乏の中で生きてきた家族の不幸が重くのしかかってくる。

 その妻も男が帰郷してから7年後の激しく雨の降る夜に死んだ。

隣の布団に寝ていた男が、冷たくなっている妻に気づいたときにはもう死後硬直が始まっていた。

働き者で体が丈夫だったことが取り柄だった節子、享年65歳。

「なんでこんな目にばっかり遭うんだべ」、と悲憤の怒りが胸底に沈められ、もう泣くことはできなかった。

「おめえはつくづく運がねぇどなあ」、浩一が死んだときお袋が言った言葉をかみしめ、

独りぼっちになってしまった男に、孫の麻里は優しく、足しげく訪ねてくれた。

 しかし、年老いて自分のためにこの可愛い21歳になったばかりの孫を縛り付けるわけにはいかない。

いつ終わるかわからない人生を生きていることが、男には怖かった。

それは、浩一と妻が、何の予告もなく眠ったまま死んでしまったための投影からくる不安でもあった。

 またしても、雨の朝、男は小さなボストンバックに身の回りのものを詰め込み、家を出た。

〈突然いなくなって、すみません。おじいさんは東京へ行きます。この家にはもう戻りません。探さないでください。……〉

あまりにも悲しい書置きを残して。

 家族のためにその生涯のほとんどを出稼ぎに費やし、

今また、男が最後に選んだ人生の辿る道は、JR上野駅公園口で下車することだった。

公園口を出て少し歩けば、都会の喧騒を逃れた上野の森が現れてくる。

 ある人にとっては憩いの場であり、リフレッシュの場でもある。

しかし、男にとっては、上野の森に散開するホームレスへの人生最後の転落への哀しく辛い最後の旅となる。

家族のためにひたすら働き続け、

不器用にしか生きられなかった男の最後の選択がホームレスだなんてあまりに切なく悲しい。

『成りたくてホームレスになったものなんかいない。この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ』 

血縁を断ち切り、故郷を捨て、人によっては、過去や名前さえ喪って生きるホームレスの孤独。

だが作者はこれだけで物語を終わりにしない。

 東日本大震災、津波が人を押し流し、原発事故は故郷を汚染し男から帰る場所と過去を奪ってしまう。

最愛の孫・麻里はどうしたか。今日もホームから聞こえてくる。いつもと変わらないアナウンス。無常の声。

 「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がりください」

(2014.5.31)

 

 

 

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