白露と中秋の月、そして特別の日
9月8日は、二十四節気でいう「白露」である。
残暑の高い気温が、夜の冷却現象により、地表面の温度が下がり、
透き通った露が植物たちをいきいきとさせ、
秋の気配に虫たちは夜明け間際の時間まで、合唱を続ける。
今年は1976年以来、38年ぶりに「白露」と「中秋」が重なる珍しい年回りだとか。
ススキ、オミナエシ、吾亦紅(われもこう)などを窓辺に飾り、
栗ごはん、けんちん汁、お月見団子を備える。
曇天の夜空に星も月も見えない。
かぐや姫の伝説などを思い浮かべ、
迎えに来た殿上人とともに月へ帰っていく姿などを思い、
仰ぎ見る夜空に早逝した孫の翔太郎のことなどを思い、
潮が満ちてくるようにあふれてくる悲しみを妻と二人、
月のない夜空を眺め、目を潤ませました。
大都会東京の空、高層ビルの灯りや自動車のヘッドライトの光の帯を見下ろすように、
孤高の月は「眠らない街」の夜空に君臨しています。
陸前高田の空、流れる雲の間から、
月は「奇跡の松」のモニュメントに昨日と変わらない優しい光を降り注ぐ。
消えることのない悲しみとそれを乗り越えようとする人間の街を静かに照らし、
見守っている。
津波でさらわれた防風林のうえに、原発に追われた無人の街に、
汚染された海や湖で泳ぐ魚たちに、
月光は昔と変わらない悠久の優しさと慈しみを降り注いでいる。
今日は翔太郎の9回目の月命日です。
「白露」と「中秋」が38年ぶりに重なった記念すべきこの日が「月命日」と重なる偶然に、
この日のことが忘れられない一日としてきっと記憶されていくのでしょう。
人間の一切のいとなみを、仏教の教えは、「無常」という概念で説いています。
とどまることを知らず、流れに漂う木の葉のように、
喜怒哀楽の感情もやがては「無常」という時の流れの中で変化していくのでしょうか。
(2014.9.8)