雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

公安が来た ④なぜ、私は公安の訪問を受けたのか 

2023-04-11 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ④ なぜ、私は公安の訪問を受けたのか
      これまでの話。
        私の住んでいる町近辺で起こった過激左派による「真岡猟銃
        強奪事件」は約一年後の1972年2月19日「あさま山荘事件」
        へと拡大し、警察官2名、民間人1名の死傷者と警察官26名、報道関係者1名
        の犠牲者を出し、10日目の2月28日警察の強行突入により、犯人(連合赤軍)5人
        は逮捕され、人質は219時間ぶりに救出された。
         多くの死傷者を出しながら、犯人側が無傷で10日間も抵抗できたのは、警
        察庁長官の指示により「無事救出」を最優先とし、犯人は全員生け捕り逮捕、
        火器使用は警視庁許可(犯人に向けて発砲しない)、ことがその理由の一つに挙
        げられている。
 

   

   (写真4枚 当時のことが生々しくよみがえります。視聴率89.7%という数字が視聴者の関心の高さを物語っています。) 

        公安が来た ①では、突然の警察訪問で、訪問の理由を一切言わずに「私も、会
        社もやましいところは一切ない」と協力を拒否し、態度を硬化させた。
        今回は、その続きを記載します。

      意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
     「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
     「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」

     新しく淹れたお茶をすすりながら、年配の方が、私の顔に視線を走らして言った。
     「確か〇〇
さん(私の名前)は、東京の大学を出たんですよね」
     質問の意図が分からず私は黙っていた。
     「〇〇学部の経済学部でしたよね」
     質問の答えを促すようでもなく、間をおいて私を見つめ、
     次の質問をどう切り出そうかと思案しながら両腕の肘を膝につけ、
     屈むような位置からすくい上げるような視線を送ってくる。
     一見柔和な目のように見えるが、送ってくる視線にはとげがあ。
     刑事の目だ。
     得体のしれない、心を鎧で覆ったようなガードの固い目だ。
     地方の警察官のようなドロ臭さなどみじんも感じさせない、
     洗練さと冷たさをほんのわずか漂わせている。
     こんな目を、どこかで見たことがある。
     私はこの特異な目を思い出そうとした。
     「学生時代に何かなかったですか?」
     私の思案など無視するように、ボソリという。
     『何か』の意味が分からず、
     「知っているなら、具体的に言ってくれ」。
     警察や新聞記者はいつでもそうだ。
     手の内を絶対に明かさない。
     手本引きの博徒が、肩にかけた半纏の内側で札を操り指を動かし、
     相手の一瞬の戸惑いを決して見逃さない。
     「『我々とあなたの接点』を思い出してください」。
     手の内を明かさないで、相手に言わせようとするいつもの手だ。
     訪問の意図が全く理解できない私は、
     「言わなかったこと、聞かなかったこと」で済ますような相手ではないことを
     十分に理解しながら、
     『私』ではなく『我々』、と言うことは警察との接点と言うことだなと、
     胸の内で反芻する。
     私には犯罪歴もないし、前科もない。
     「何か思い出すことはありませんか」と、私の胸の内を探ってくる。
     獲物を追い詰める話の筋道をたてながら、目の前の刑事は手本引きのカードを
     懐の中であやつりながら、私の出方を考えながら次のカードを探っているのだろう。
                                   (つづく)

    (つれづれ日記№84)   (2023.4.10記)
        

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公安が来た ③ 真岡猟銃強奪事件の概要

2023-03-25 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ③ 真岡猟銃強奪事件の概要
   これまでの話。

    私にやましいところがあったわけではない。私を名指して訪問してきた警察の意図が
   分からなかったから、それを知りたいという気持ちもあった。「
真岡の猟銃事件ですね」
   と私。
栃木県真岡市は私の住んでいる町から二十数キロの小さな町だった。そこの猟銃店
   が襲われ、散弾銃と銃弾が強奪された事件だ。
この事件は最初から過激派グループの犯行
   と判明し、警察の威信をかけて犯人を追っていた事件だ。

   1970年12月18日、東京・板橋区の上赤塚交番で、交番勤務の警察官から拳銃を奪う計画は、
  警官の抵抗にあい失敗したあげく、仲間が一人射殺された。
  輸送中の「リーダー奪還計画」はとん挫するが、警察への報復作戦へと思わぬ方向へ進んでいき、
  この事件はやがて、私の町から20キロ
程離れた「真岡の猟銃強奪事件」として、
  社会の耳目を集めることになる。

    1971年2月17日 真岡銃砲店襲撃事件・その1(革命左派)の記事より
            以下、新聞報道などの事件の概要は次の通り。
             交番襲撃事件から2か月後、1971(昭和46)2月17日、午前2時半ごろ栃木県真
             岡市の銃砲店を電報配達を装った
革命左派3人が襲撃し、猟銃10丁、空気銃1
             丁、散弾1500発を奪い逃走。8月に逮捕され懲役10年の判決を受け、現在刑
             期終了となっている実行犯の一人Y氏の証言によれば、店にあったすべての銃
             を強奪し、散弾銃の装弾は3500発ほどあったのではないかと言う。
                  朝日新聞の事件当日の夕刊では、『三人で銃砲店襲う』とあるが、これは誤報
             で、実行犯は6人で、うち2人は事件直後に逮捕。

            
             逃走
の途中、ラジオから流れてきたニュースで、小山アジト(坂口永田夫婦が
             館林に移る前に住んでいた)と下館アジト(現茨城県下館市下中山、小山から
             十数キロ)が警察に発見されたことを知った永田氏は、捜査の手が自分たちに
             どんどん迫りつつあることを悟り、パニックに陥ります。

             彼らが隠れ住んでいたアジトはいずれも、私の町を中心にして20~25キロの範
             囲に収まり、特に下館アジトは私の住まいから数百メーターにあった。
             おそらく、私が公安の訪問を受けた理由はこの辺にあると思われた。
             ただ、なぜ公安なのかその理由がわからない。

             革命左派のアジトが次々に警察によって暴かれ追われることになった。
             
             警視庁公安部では、各種の情報から猟銃奪取事件を過激派集団による犯行とほぼ
             断定、関東一円で7千人以上の大捜査網を展開した。

              この時点で、あさま山荘事件まであと1年。


               奪われた猟銃の一部は赤軍連合に金銭授受され、「あさま山荘人質事件」へ
               とつながっていく。
      
            次回: なぜ公安が私のところに来たか

                                     

            (つれづれ日記№83)  (2023.03.24記)

 

 

 

 

 


              

                      

 

 

 

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公安が来た ② 拳銃と猟銃

2023-03-14 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ② 拳銃と猟銃

        これまでの話。
    意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
    「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
    「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」
    黙っている私を気にとめることもなく、
    「〇〇の猟銃強奪事件は知っていますか」と、年上の刑事。
    能面のように感情の表現を殺した顔から、
    緊張を解きほぐしたような穏やかな顔に戻り、
    冷えたお茶を音を立ててすすりながら、つぶやくように言った。

 拳銃と猟銃

    
こんなことで捜査を断念するような警察ではないことを私は今までの経験で知っていたから、
    警戒を解かずに対応することにした。
    といって、私にやましいところがあったわけではない。
    私を名指して訪問してきた警察の意図が分からなかったから、
    それを知りたいという気持ちもあった。
    「真岡の猟銃事件ですね」と私。
    栃木県真岡市は私の住んでいる町から二十数キロの小さな町だった。
    そこの猟銃店が襲われ、散弾銃と銃弾が強奪された事件だ。
    この事件は最初から過激派グループの犯行と判明し、警察の威信をかけて犯人を追っていた事件だ。

    後日、「あさま山荘銃撃事件」へと発展する発端となる「真岡猟銃事件」の経緯について
    説明しておきたい。
   
    事件の発端は革命左派のリーダーが逮捕され、
    獄外にいた組織指導部の永田洋子(元死刑囚・獄中死)たちはこのリーダーが、
    護送車で裁判所に連れてこられる道中を襲い奪還することを計画をたてた。
    そのための「リーダー奪還計画」の武器となる銃が必要となった。
    
    最初に狙われたのは、東京・板橋の交番だった。
    1970年12月、仲間が警察官を襲うが、失敗しその場で一人が射殺されてしまう。

    同志の死は組織に結束と緊張を生んだという。

    警察官の拳銃などで、護送中の「リーダー」奪還を本気で考えていたのだから
    「奪還計画」もずいぶん未熟で甘い考えだったと思う。

    仲間一人を射殺され、目的は「リーダー奪還」ともに「警察への報復戦」ということが、
    左派の仲間たちの間での暗黙の了解事項となった。

    次に狙うことになったのが、「真岡の猟銃店」だった。

       (つれづれ日記№82)       (2023.03.13記)

 

 

 

 







    
                                 

 
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公安が来た ① 銃強奪事件の犯人は?

2023-03-06 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ① 銃強奪の事件の犯人は?
  公安が私を名指しで来た
     お客様が見えています。事務員が私を呼びに来た。
     二人の男が私を待っていた。
     風体から普通の人ではないなと思いながら、尋ねられるままに名前を言うと、
     警察手帳を開き、
静かなところでお話を伺いたいというので、応接室へと通す。
     再び私は名前を確認された。
     警察が私に何の用事なのか、思いつくまま訪問の理由を尋ねると、
     それには答えず、「最近人を雇いましたか」といきなりの質問だ。
     「ムッ」としながら「はい」と私。
     「よろしかったら名前を教えていただけますか」と若いほうの刑事。
     「理由も教えていただけずに、いくら警察でも名前を教えるわけにはいきません」
     と私。今なら「個人情報にかかわることは教えることはできない」というところだ。
     「4人ばかりをこの四月に採用しました」と私。
     「その中に男は何人いますか」と若い刑事。
      つまりは、最近採用した男のことを知りたいのだ。
     「新規採用で男子一名を採用しています」と私。
     「年齢は?」と聞き役の若い刑事。
     それならそうと、回りくどい訪ね方をしないで、最初から「最近
採用した男がいれば、年齢を
     教えてほしい」と単刀直入に聞いてほしかった。
     「学卒の新規採用です」と私。
     「職種は?」と畳みかけるように問いかけてくる。
     堪忍袋の緒が切れた私は、一気に相手を責めた。
     「大体失礼ではないか、なぜ私を名指しで来たのか。質問の理由の説明もない」と私。
     このような理不尽な訪問の仕方に、私はイライラしていた。
     「あなた方の質問には一切答えるつもりはない。どうしても情報が欲しいなら、終業後に
     従業員を捕まえて聞いてみたらいい。
     ただし、会社の敷地の外でやってください。
     ほとんどの人は送迎用のマイクロバスで最寄りの駅まで行きます。
                 バスの運行を妨げるようなことがないよう注意してください」と私。
     「警察に疑われるようなことなど、私も会社もやましいところは何もない」と
     よけいなことまで言ってしまった。
        
     私は若かった。
     相手は20代後半の若い刑事と40半ばの二人。
     「捜査の秘密」とやらで、相手の機嫌を損ねることなど百も承知の刑事たちだ。
     「質問しているのは俺の方だ」と言わんばかりに、私のイライラなど一向に気にかけず
     「ボイラーの管理は、有資格者がしていますか」と聞いてくる。
     「私には答える義務はないが、拒否する権利はある」と私。

     意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
     「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
     「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」
     黙っている私を気にとめることもなく、
     「〇〇の猟銃強奪事件は知っていますか」と、年上の刑事。
     能面のように感情の表現を殺した顔から、
     緊張を解きほぐしたような穏やかな顔に戻り、
     冷えたお茶を音を立ててすすりながら、つぶやくように言った。
                                  (つづく)

       (つれづれ日記№81)     (2023.03.05記)
          
     



      
     

     

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さざんかとアスリート

2020-01-04 19:55:15 | つれづれ日記

 さざんかとアスリート
  2020年賀状



      新春を寿ぎ、健康であることに感謝します。

 さざんかが初春の柔らかな光の中にひっそりと咲いています。
晩秋から正月にかけて、
白の中にほんのり恥じらいを見せて咲く、
つつましさが好きです。
ほのかに流れる甘い香りも好ましい。



 災害続きの昨年、
私たちに元気を与えてくれたラグビーが心に残ります。
右手はしっかりとボールを抱え込み、
左手は着地寸前の巨体の落下の衝撃を、
大きく開いた手のひらの中に吸収しようとしています。
同時に左足は足首から下をコートに密着させ全体重を支えています。
右足が素晴らしい。
追いすがる敵を振り切り、
今まさにトライしようとする瞬間をとらえています。

 激しい闘いの余韻を残し、
高く上げた足に勝利への希望と強い意志が感じ取れます。
多くの人の心をかきたて、沸き立たせた要因かも知れません。

 さざんかのつつましやかな自己主張とアスリートたちの燃える自己主張。
どちらも大切な生きる姿勢だと思います。

 つつましさも、
燃える闘志も内に秘めたぶれない頑なさがないと維持するのが難しいと思います。
花の優しさとアスリートたちの強さを生きる道標(みちしるべ)としたい令和2年の春です。

            (今年の年賀状をブログ用にレイアウトしました。)

(2020.1.4記)        (つれづれ日記№80)

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最後の供養花火

2019-10-05 06:00:00 | つれづれ日記

                       最後の供養花火 (同窓会通信)
 令和元年8月3日。
私たちが遊んだ「思い川」の花火大会が開催されました。
数えて第15回になります。

私たち同窓会の供養花火の打ち上げは、
広沢琢也の発案で、有志のみなさんの協力の下に長い間続けてまいりましたが、
残念なことに花火大会もいろいろの事情があり今年で最後となりました。
そんなわけで私たちの供養花火も終わりを迎えることになりました。

ここ数年私は雑踏の喧騒を離れた場所から、
遠花火を眺めながら、
遠い昔、
今は無くなってしまった旧川原小学校の学び舎の小使いさんが鳴らすカネの音や、
汚れた足をポンプの水で洗った時の気持ちよさなどを思い出していました。

近くには文房具などを売っているお店が二件ありました。
中山敦子さんのお母さんが切り盛りする小さなお店でした。
親一人子一人のお店に、
学校が終わると私たちはこのお店で遊んでいくのが一つの楽しみでもありました。
学校から少し離れたところには「醬油屋」という屋号を持ったお店がありました。
村の中では昔からの軒構えの大きな家でした。
伊坂雅子さんが生まれた家です。
この二人は、私たち悪ガキの間ではマドンナとしての輝きを持っていました。

懐かしい思い出が打ち上げ花火の音と一緒に湧き上り消えていきます。
遠花火を見るのもこれが最後と思うと一層、懐かしさがこみ上げてきました。

       仮の世のはかなきものに遠花火…………細川コマエ
   遠花火今宵は逝きし人のこと …………中嶋昌子
   悔いなしと言へぬ半生遠花火
 …………久保田雪枝

 

 ここに「逝きて還らぬ人」となった人たちの名を挙げてご冥福を祈りたいと思います。
(原文ではすでに彼岸に旅立った32名の名前をあげましたが、ここではカットさせていただきました)
………

ついに私たちも後期高齢者の仲間入りをする年になりました。

一日一日を健康に生きたいと誰もが願います。

 最後の人生行路を慈しみ、
 豊かに生きていくことを願いがら、
 残りの人生に繋げていきましょう。

           (同窓会通信をブログ用にアレンジしました。個人の名は仮名としました)

      (2019.10.4記)    (つれづれ日記№79)

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「18歳」と「81歳」の違い

2019-05-14 08:00:00 | つれづれ日記

18歳と81歳の違い
  4月13日に福島県三春町の宝蔵寺に枝垂れ桜を見に行った。
(宝蔵寺ホームページより)
 宝蔵寺の枝垂れ桜。見事な桜だが、時期が一週間早すぎ写真のような風景は見られなかった。
 本堂で絵の個展を開催。ホームページによれば、本堂ではコンサートなども開催され、地域と密着した
 活動を行っているようです。

 本堂の個展会場で、
 次のようなパンフレット、軽妙洒脱「18歳と81歳の違い」なる案内を頂いてきましたので紹介します。

〇 道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳

〇 こころがもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳

〇 偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳

〇 受験戦争を戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳

〇 恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳

〇 まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳

〇 東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳

〇 自分探しの旅をしているのが18歳、出かけたままわからなくなって、皆が捜しているのが81歳

〇 「嵐」というと松本潤を思いだすのが18歳、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思いだすのが81歳

  実に風刺のきいた18歳と81歳の対比である。
  軽妙洒脱。
  住職が書いたものか。住職にお会いしたい……。
  そう思いもう一度読んでみると、末尾に書いてありました。
  (笑点から抜粋)と。
  

 

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二宮尊徳遺訓 ① 積小為大

2019-02-25 08:19:50 | つれづれ日記

二宮尊徳遺訓 ① 積小為大

  翁はこう言われた。
 大事をなそうと欲すれば、小さなことを怠らず勤めよ。
 小が積もって大となるものだからだ。
 およそ小人の常で、大きな事を欲して、
 小さなことを怠り、できがたい事を心配して、できやすい事を勤めない。
 それで、結局は大きなことができないのだ。
 大は小を積んで大になることを知らないからだ。
                     二宮翁夜話(14) 福住正兄(まさえ)著 児玉幸多訳

  (二宮尊徳翁)
 小さなことの積み重ねが、やがて大きなものになっていく。だから、大事をなそうとすれば、小さなことを怠らずに務めよ。と、二宮尊徳(二宮金次郎)は生前弟子たちに語った。
そうした遺訓が高弟たちの書いた本に残っている。

 高弟・富田高慶(たかよし)は尊徳の一生を『報徳記』として書き、明治天皇に献上した。
『報徳記』は勅版として刊行され、全国の知事に配布された。
後年、これがきっかけとなり、
金次郎は小学校の修身の教科書に「道徳の手本」として登場し、
全国の小学校に負薪読書の金次郎少年象が設置された。
    (負薪読書像・小田原三ノ丸小学校)

     
 福住正兄(まさえ)も尊徳の高弟の一人である。
福住は尊徳に仕えていたときに、
教訓を受けたり体験したことを『二宮翁夜話』として著した。


 「積小為大」も「二宮翁夜話」で紹介された逸話である。
「塵も積もれば山となる」とか「千里の道も一歩から」という意味になります。
この逸話は、次のように結ばれています。

    …万町歩の田を耕すのも、その作業は一鍬ずつの作業である。
  千里の道も一歩づつ歩んで到達する。
  山を作るのも一モッコの土からなることをよく知って、
  よく励んで小事を勤めたならば、大事も必ずなるだろう。
  小さい事をゆるがせにする者には、大きな事は決してできないものである。
                      二宮翁夜話(14) 福住正兄(まさえ)著 児玉幸多訳   

閑話休題 チリも積もれば メダル5000個
  
2020年東京五輪・パラリンピックのメダルを不要な家電製品を回収して作ろうと、
 大会組織委が「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」計画、
 まもなく2年目を迎えます。
 世界初の試みだそうです。

 目標⇒「金」「銀」「銅」のメダル5000個

 そのために回収した小型家電は5万トン、他に携帯電話500万台が集まった。

 どのくらいの金属が含まれているのか。
 携帯電話1台当たり 金0.05グラム
            銀0.26グラム
            銅12.6グラム
   1台のパソコンにはおおよそ携帯電話10台分の「金」が含まれているとのことです。 

 小事を一つ一つ為すことが、大事を為すための前提であると尊徳翁は言いました。
 
 結果を急ぎすぎる。
 便利さの追求のために、修理をおこたり、新しいものに買い替える。
 おカネ万能の世の中です。

 おカネは大切です。
 でも私たちは、この便利なおカネのために、
 目に見えない多くの物を喪ってきたような気がします。

 尊徳の思考の根幹には、
 「勤労」、「勤勉」があります。

 速さや便利さや快適さを求め続けた結果、
 私たちは尊徳翁の教えを
 どこかへ置き去りにしてきてしまったのかもしれませんね。
  (2019.2.24)       (つれづれ日記№77)
 
 



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今年の年賀状

2019-01-01 17:36:48 | つれづれ日記

新しい年が
  喜びに満ちた
    年になりますように

(新潟県阿賀野市水原町・夜明けまじかの瓢湖)

 昭和29年、故吉川茂三郎さんが日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したことで、

 全国的に有名になりました。

 2代目故吉川繁男さんが平成6年に高齢を理由に引退してから
 
 20年近く不在になっていましたが、
 
 平成25年1月に三代目白鳥おじさんの斎藤功さんが後を引き継ぎました。
 
 白鳥の存亡の危機を乗り越え、2008年ラムサール条約に登録されました。 

 穏やかで、
 静かな新年を迎えることができました
 どんなことでも、
 できるということは幸せだ。
 小さなことでもいい、
 少しでも、
 何かに貢献できたことを素直に喜び、
 多くの人に支えられたことに感謝する。
 できないことを考えるより、
 
 今の自分ができることを考えよう。
 今日の一歩が清々しい一歩であるなら、
 明日もきっと良い一歩を踏み出せるに違いない。
 
 よいお年を……。

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「切り絵」の世界 メルヘンチック 妖艶 細密…

2018-10-02 06:38:30 | つれづれ日記

「切り絵」の世界
    メルヘンチック 妖艶 細密……
 切り絵=カッターで切り抜き色のついた台紙に張り付ける。
これくらいの知識しかなかった。
案内のポスターを見て、「切り絵アート展」を見に行ってびっくり。
我ながら、切り絵に対する見識のなさを恥じると同時に、その世界の奥行きの深さと多様性に圧倒された。

 ここに繰り広げられた世界は、メルヘンチック 妖艶 細密 繊細 豪快 エキゾチック。作家一人一人が、自分の思いを技量に託し、個性的な作風を展開している。
 一堂に集められた切り絵作家の作品は、まさにしのぎを削り、他を寄せ付けない孤高の世界を展開している。

  一口に切り絵と言っても、技法や表現方法によって作風はまったく違っていて、多種多様な作品が生まれています。現代日本を代表する11人むの作家の作品を、一堂に展覧します。細密さを極めたレースのような切り絵や、光を使って紙芝居のように場面が変化する作品。ドラマチックな物語や空想の世界を描いたものや、素朴な風景を描いたものなど11人の個性が光ります。
                            (ポスターの案内文から要約)

        関口コオ「近松心中物語」
     妖艶の世界をカッターで仕上げていく。「近松心中物語」の悲恋・道行が作者の怨念となって表現されているような作品。

 

                                    林 敬三「七人の侍」 
   集まった「七人の侍」達、眼光鋭い精鋭たち、
  さて何が始まるのか。緊迫した時間が漂っている。 

 
           倪 遄良「光陰の理~ときのことわり~」
 ロマネスク調の画面の中で抱擁する男女。二人の男女から放散される光の線。「光陰の理」とは
どんなことなのだろう。


  柳沢 京子 「春よ来い、道祖神」
  春を待つ男女の着物の模様が、この切り絵の雰囲気を表している。 

    
 辰巳 雅章 「キツネの嫁入り」 
 どれが切り絵と絵画がコラボしたような作品。作者の個性が光る。   

         
                      酒井敦美「春の羽根」
 電灯の点滅で画面が表と裏にへんかします。今の画面は表ですが、一端電灯が消え次に点灯したの画面は、少女は後ろ向きになって桜の大木を見つめている構図に代わります。なんとも不思議なアートです。
筑紫ゆうな「無題」井出文蔵「一寸法師   百鬼丸「武田信玄」


 蒼山日菜「Voltaire ヴォルテール」
    想像の範囲を越えた緻密さがある。筆記体で書かれた英文の手紙を、一筆書きのように最後の人文字までつなげて彫り込んである。髪の毛のように細い線をどのようにして切っていくのか。
想像の範囲を超えている。

 展示された11人の作家たち。
 芸術とは個性の表現だとつくづく思う。
 それ故に孤高の峰を登り、海原の波をかき分けて
 自分の道を切り開いていく戦士なのかもしれない。
 孤独な戦士。

       (2018.10.1記)     (つれづれ日記№75)

 

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