真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ④そして捕虜になった
前回まで。
敵地まで近づいた酒巻和男少尉と稲垣清二等兵曹の乗艦した特殊潜航艇
ジャイロコンパスが故障していたが、艦長に「いよいよ目的地(真珠湾の
入り口近く)ジャイロがためになっているがどうするか」と問われ、決行
することを艦長に伝えた。苦しい訓練の末にやっとたどり着いた命がけ
の実践だ。手記の中で酒巻は次のように記している。
『私は艦長の憂慮を吹き飛ばしたいと思いながら、力と熱を込め、「艦
長行きます」と答えた。艦長に注目しながら最後の敬礼をする艇付の稲
垣清二等兵曹の澄んだ目が、異様な閃光のように輝いて見えた』
だが、ジャイロコンパスの壊れた潜航艇は迷走を続ける。
湾口があとどれくらいかともどかしそうに潜望鏡を除く酒巻。
しかし、酒巻の期待は微塵に砕かれてしまった。
酒巻の見たものは、恐ろしい方向誤差による海原にすぎなかった。
艇は盲目航走の結果、湾口方向より90度近くも方向を変えて進んでいた。
方向を確認する方策は、潜望鏡露頂走行だが、
敵陣近くでのこの走行は、敵に発見される確率も高く、許されない。
予測されたようにジャイロコンパスは機能不全のままだから、
再三再四方向を軌道修正し、でたらめな走行をせざるを得なかった。
東の空が白み南十字星が消えるころ、静かに明ける真珠湾がはっきりと出現し、
偉大なる艦隊を守る二隻の哨戒艇を走るのを認めた。
朝日はすでに東の空に昇り、洋上には波がきれいな光を反射していた。
嵐の名残の為か、波は幾分高いが、攻撃には上々の日和である。
監視艇が大きく目前に現れ、甲板を走るアメリカ水兵の白服がはっきり見えた。
その時、ドドドーン。
ものすごい爆発音と共に私の乗った潜航艇が大きく震え、異様な音響が何度も聞こえた。
あっと思う瞬間、私の体は宙に浮き、潜航艇の隔壁に叩きつけられた。
敵は爆雷を投射したのだ。
至近爆発の爆雷を数個受け、頭を打った私はそのまましばらく何もわからなかった。
エピソード 吉村昭が体験した12月8日真珠湾攻撃の2日後
兄がやがて中国大陸に出征しまして、一年半ぐらいたった時、
戦死の公報が来ました。戦死すると階級が一つ上がるのですが、
なぜか二階級特進になっていました。新聞に出ていた記事によると
敵前渡河といって、クリークを渡るのに、兄と上官とが決死隊にな
って向こう岸に渡って、軽機関銃を打っていたときに弾に当たって
戦死したそうです。
昭和十六年十二月八日は太平洋開戦の日ですが、その二日後に兄
の遺骨と遺品とが帰ってきました。白木の箱に入っている遺骨を見
ますと、骨の一部であるかのように小石がこびりついていて、野外
で遺体が焼かれたことを示していました。
遺品袋には、つるの代わりに黒いゴム紐のつけられた眼鏡、母が編
んで送った毛糸のパンツも入っていました。
(吉村昭 随筆集 『白い道』より)
その後気絶から目を覚まし、上げた潜望鏡の映し出す光景に、酒巻の眼は引き付けられた。
胸の鼓動は高まり、体中が熱してきた。
狭い視野の潜望鏡に、大きな真珠湾に黒煙が立ち上がっているのを確認した。
ものすごい黒鉛の塊はまっすぐに中天に舞い上がっているのが見えた。
しかし、運命の女神は、勝利の女神とはならず、特殊潜航艇は敵の投射する爆雷に追われ、
ついに一発の魚雷も発射することもなく座礁してしまう。
潜航艇は傷つき動かなくなった。
座礁した潜航艇の中で酒巻は考えた。
私は潜航艇を捨てて逃げ出してよいのであろうか。
艇と運命を共にする。
それが海軍軍人としての生き方ではないのか。
と思いながらも生を求める本能的な叫びが私を呼んでいる。
私は人間である。
人には血があり、肉があり、将来の命と仕事が待っている。
兵器はいくらでも作れ、いくらでも代用できる。
しかし、人間はそう簡単に代用できるものではない。
人間は兵器ではないのだ。
私は立派な軍人でなくもよい、人間の道を選ぼう、そして次の使命を待とう。
私は思いきって潜航艇の爆破装置を作動させ、艇を去ることにした。
海水は思ったより冷たく、波は見たより高かった。
私は泳ぎ始める。
疲れ切った身体は自由に動かない。
思わずガブリガブリと海水を飲み、私はもう泳げなくなり、ここで死んでしまうかもしれないと直感した。
しかし、死にたくない、死んではいけない、死んでなるものかと、
隣にいるはずの艇付き(潜航艇の操縦者・稲垣 清二等兵曹)が心配である。
最愛の艇付きを死なしてはならない。
夢中で、稲垣二等兵曹の名を呼んだ。
「艦長」という声が聞こえる。
「おい頑張れ、岸は近くだ」。
だが、稲垣二等兵曹の声を二度と聞くことはなかった。
私たちは引き離され、稲垣との連絡は、永遠に立たれてしまった。
疲れきって泳げなくなってから、あるいは失神して磯波に打ち上げられていたのだろう。
気がつくと、背の高い米国兵がピストルを差し向けて立っていたのである。
私の片腕は米兵に掴まれ、
ほとんど同時に他の一方の腕がもう一人の米兵によって掴まれた。
酒巻和男少尉が太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃での捕虜第一号となった瞬間でした。
(つづく)
(語り継ぐ戦争の証言№36) (2024.1.20記)
参考資料:
真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 酒巻和男の手記
増補 復刻合本改定版
NHK関連番組関連新聞記事 朝日新聞等