願わくは……
わが家のお月見。
ススキもカルカヤ(吾亦紅)も、この日を楽しみにしていた孫たちと一緒に採ってきました。
「お月さまの中にはウサギさんがいてお餅つきをしています」などと話をしながら、
いつも思うことは、
一体こうした話を何歳まで信じてくれるのか。
一年生の孫は、
夜空に輝く金色の月をしげしげと眺めながら、
「じいちゃん、ぼくにはウサギさんがお餅をついているのが見えるよ」という。
わたしは、「じいちゃんには、ウサギさんが尻もちついているように見えるんだけど」と。
この子が大人になったとき、
自分の子どもにも同じような話ができる大人になってほしいと思う。
かつて、10年ほど前、私の兄がなくなった時、
「じいちゃん、荘平おじちゃんはお星さまになっちゃったの」と、
問いかけた孫も丁度6歳ぐらいだったか。
トンビが輪を描いて飛んでいた空は、どこまでも碧く、安曇野の風は頬に心地よかった。
運命のいたずらか、その孫は14歳で早逝してしまった。
私は打ちのめされ、生きる気力さえなくしてしまったが、
わずかずつ立ち直ることができたのは、
彼が残してくれた、たくさんの思い出が、
楽しかった日々を思い出させ、
彼の在りし日の姿をしっかりと抱きしめることができたからだ。
成績や結果でしか評価されない今の風潮には、さみしいものがあります。
おおらかで、人の気持ちや優しさや哀しさを素直に受け止めることができる、
そんな大人になってほしいと思う。
駆け足が皆より遅くてもいい、忘れ物をしたっていいじゃないか。
できないことはできない、わからないことはどうしてと素直に訪ねることができる子どもは、
まっすぐに育っていきます。
「ばぁちゃんの作るごはんがいちばんおいしいよ」この言葉に70歳を過ぎた妻は救われます。
柔軟な心を持っていれば、可能性は無限に広がっていきます。
紙でつくったウサギが赤い紙の布団の上で、月を見ていました。(写真)