雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

風の行方(8)宮城県被災地を訪ねて(8)

2012-05-24 21:06:27 | つれづれ日記

石巻市・大川小学校を襲った津波の悲劇(2)

 想定外の津波だったのか

 新北上大橋近辺も、電柱や街灯がなぎ倒された。

小学校の上流でも家は水没し、近くの郵便局も駐在所も濁流に呑まれ、跡形もない。

 校舎に残る時計は、いずれも337分を指し、時を忘れたように止まっている。

おそらくこの時間が大川小学校を津波が襲った時間なのだろう。

このことは、地震発生から津波到達まで4050分の時間があったということを示している。

 

 何故迅速に避難誘導できなかったのか。

 

 「いかに迅速に避難誘導させるか」という大原則を忘れ、

 第二避難所の選定に時間を取られた結果が、悲劇を生んだのではないか。

 危機管理の基本は第一避難所、第二避難所の場所の設定を、

避難マニュアルに盛り込んでおかなければならないが、

具体的なマニュアルは作成されていなかった。

 市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に登る」とだけ記され、

具体的な避難場所の選択は、各校に委ねられていたようである。

 当時の市の「防災ガイド・ハザードマップ」には、

大川小学校のある釜谷地区は過去に津波が到達した記録がなく、

津波到達を想定できず、大川小学校を避難場所として「利用可」としていたから、

住民は大川小学校をいざという時の避難場所として認識していたようである。

さらに、山と堤防にさえぎられ、津波の動向が把握できなかったことも、

避難を遅らせた要因と思われる。

 

 「防災ガイド・ハザードマップ」の不備も悲劇を生んだ原因の一つであるが、

危機意識に欠け、児童たちの安全誘導を重視したために、

二次避難が遅れたのではないかと私は思う。

 

 石巻市によると、北上川周辺で死亡・行方不明になった人は、推計で左岸約300人、

右岸(大川小学校側)約380人。

 河口周辺の右岸には海からも津波が押し寄せ、

指定避難場所だった「市北上総合支所」と「大川小学校」も濁流に飲み込まれた。

                                   (つづく)

   (参考資料:朝日新聞 読売新聞 毎日新聞 河北新報)

 

 

 

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風の行方(7) 宮城県被災地を訪ねて(7)

2012-05-17 22:01:43 | つれづれ日記

石巻・大川小学校を襲った津波の悲劇(1)

 全校児童108人のうち7割が犠牲になり、教員11人中10人が犠牲。

 どうしてこんなことに……。

 東北最大の大河北上川は、ゆったりと川幅いっぱいに流れていた。

岸辺に残っている津波の爪跡や瓦礫などが痛々しく目に飛び込んでくる。

 

 太平洋に北上川が注ぐ追波(おっぱ)湾の河口から4キロ遡った北上川右岸・釜谷地区に、

大川小学校はあった。

 3月11日午後2時46分、宮城県牡鹿半島沖130キロの海底で発生した巨大地震は、

観測史上初のマグニチュード9.0、

巨大なエネルギーをともない、濁流となって、

全てを破壊し、街を呑み込み、

かけがえのない命を奪った。

 

 地震発生時、児童たちの多くは下校準備をしていた。

全員が通学用のヘルメットを着用し、校庭に避難した。

地震発生の3分後の2時49分、大津波警報が発令。

しかし、この警報を危機管理の情報として捉え、

避難誘導に役立てた教員はいなかったようだ。

 

 泣き叫ぶ児童、恐怖と緊張のあまり嘔吐する児童。

校長は午後から年次有給休暇を取り不在であった。

最高責任者の欠けた組織で、

不安材料ばかりがあげられ、決断の時間が先延ばしにされたのだろう。

 校舎は割れたガラスが散乱し、続発する余震で倒壊の恐れがあり、

学校南側には裏山があったが、急斜面で地震による倒木の恐れが考えられた。

 

 結局最後に選ばれた二次避難の場所は、

学校から200メートル西側にある新北上大橋たもとと決定された。

ここは周囲の堤防から少しだけ高くなっていたためと思われる。

 

 校長のいない学校集団が、校庭に避難した児童たちを、

新北上大橋に向けて移動開始したのが、午後3時20分過ぎと思われる。

 

 実に地震発生からおおよそ、40分が経過していた。

 

 移動開始した児童たち。

その直後巨大津波は、北上川をさかのぼり、堤防を破壊し、

「ゴーッ」というすさまじい音とともに、児童の列を先頭から呑み込んでいった。

 

 津波は、二階建ての校舎を呑み込み、

裏山のふもとから約10メートルも駆け上がったという。

  

  参考資料:朝日新聞 河北新報 読売新聞 毎日新聞

                                 (つづく)

 

 

 

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風の行方(6) 宮城県被災地を訪ねて(6)

2012-05-11 16:41:09 | つれづれ日記

東松島被災地区(4)指定避難場所・野蒜小学校体育館の悲劇(2)

 午後10時30分、ようやく水位が下がる。

3メートルの津波が体育館を襲ってから、6時間30分が経過していた。

電気の途絶えた暗闇の中で、互いの安否を気遣い名前を呼び合う親子。

 

 避難した児童60人は全員助かったが、

近くにある特別養護老人ホームなどの40人が犠牲になったようである。

 暗闇の中、外から助けが来ると、子どもや高齢者から隣の校舎の二階、三階への移動が始まった。

 

 水の残る暗闇の体育館を出る時、4歳の女の子が言った。

『あの人、なんで寝てるの?』

目をそらして歩くには、遺体の数が多すぎた(中日新聞)。

 

 外には雪が降りしきり、泥水に濡れた体を寒さが追い打ちをかけた。

「寒くて、寒くて。震えが止まらず、しゃべれなかった(河北新報)」と。

高齢者の場合、寒さによる低体温症でせっかく助かった命を失う者もいた。

 

 校庭の泥水や瓦礫の中を、消防団員や父親たちが、板や畳で橋を作り、

子どもとお年寄りを誘導し、全員が校舎に移動できたのは真夜中だった(河北新報)。

 

 市の防災計画では、「校舎の二階以上」と規定されている。

 しかし、市立14小中学校のうち、野蒜小を含め、

7校が地震後、児童生徒や住民を体育館に避難させていたという。

多くの学校はその後、危険を察知し、校舎に移り、人的被害を免れたという。

 

 市教委は、「学校は教育の場、一日も早く授業を再開させるためには、

避難場所は体育館というのが共通認識だった」と語り、

 一方市防災交通課は、

「教育現場での対応は市教委や学校に任せていた」とし、

市教委と連携して計画やマニュアルの見直しを進める必要を説いている(読売新聞)。

 野蒜小のケースは、

「津波への警戒心が薄く、少しでも高いところへ逃げるという原則が欠落していたのではないか」

 と専門家は指摘する。

 「初めから皆で校舎の方に逃げていれば……」 

 言葉を詰まらせた主婦の言葉が耳に残る。

                               (つづく)

 

 

 

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風の行方(5) 宮城県被災地を訪ねて(5)

2012-05-03 10:48:14 | つれづれ日記

東松島被災地区(3) 指定避難場所・野蒜小学校体育館の悲劇(1)

  この地区も海岸に沿って発展していった地区であり、

 津波は一気に押し寄せ、多くの犠牲者を出した。

 野蒜小学校は海岸から約1キロ離れ、指定避難場所となっていた。

 放課後の野蒜小には約60人の生徒が残っていたが、

 地震発生後、地域住民と一緒に、およそ350名近くの人たちが体育館に避難したという。

周辺は1960年のチリ地震津波でも被害がなく、

市が作成した津波防災マップの浸水想定区域ににも入っていなかった。

 しかし、市の防災計画では津波の際の避難場所を「校舎の二階以上」としていたが、

教育現場には「避難場所は体育館」との思い込みがあり、

他の複数の小学校も当初は体育館に避難していた。

 

 市との連絡も不通になり、「津波」の情報もなかった。

 

 地震発生の66分後の3時52分高さ3メートルの泥流が体育館を襲う。

2階ギャラリーに駆け上がる人、ギャラリーに逃れた人が、

紅白幕をロープ代わりにして投げ込んだ。

それに必死にしがみつく人、阿鼻叫喚の中、

「濁流は、真っ黒い渦を巻きながら避難してきた人たちを呑み込みました。

床から1メートルぐらいのステージに逃げた人たちは、緞帳をつかんだり、

お互いにしがみついたりしていましたが、水が引いた後、

多くの人が亡くなったことを知りました」(石井友恵さんの証言・河北新報)

   (写真左側・野蒜小学校体育館、右は3階立ての校舎)

 

                                       (つづく) 

 

 

 

 

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