雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

二つの人生イメージ

2014-08-28 22:01:48 | つれづれに……

二つの人生イメージ

 信濃毎日新聞2014.8.12の論考2014「帰っていく場所を求めて」の中で、千葉大教授・広井良典氏が次のようなことを述べている。解りやすい記事なので紹介します。 

人生イメージを二つに分けるとすれば、「直線型」と「円環型」に分けられる。

 『直線的な人生イメージとは、

人生をすべて「上昇、進歩、成長」といった意味合いでとらえるもので、

それ自体は意味あることだが、これだけでは「老い」や「死」がどうしてもネガティブな存在になってしまう。

これに対し、円環的な人生イメージとは、

生まれてから幼少期、若年期、壮年期を経て、

大きく弧を描いて元の場所に戻るような人生理解をいう。』 (太線・引用部分)

 

 生まれた時から、競争社会で育ち、学業成績、学校、就職と続き、

社会に出てからは、「上昇、進歩、成長」とかなりハードな上り階段を登りつづけなければならない。

上昇気流に乗った「成長」は、やがて、成長を停止し「衰退の道」を歩まなければならない。

 

 日本が輝いていた時期、1960年~1970年、いわゆる高度経済成長期である。

人も物も生活環境もハイスピードで変化していった。

高速で走る日本丸に乗り遅れないようにするには、ひたすら走りつづけなければならなかった。

上昇気流に乗り、進歩し、成長することが美徳だった。

「勝者」と「敗者」という対立する図式も競争に拍車をかける。

成長の先には誰もが望む「幸せの楽園」があるはずだった。

しかし、成長の果てに現れたものは、疲労と虚飾に満ちた社会だった。

「直線的な人生」を駆け抜けてきた団塊の世代に待っていたのは、

老いと、孤独の中で「こんなはずではなかった」という悔恨の念だった。

 

 円環的な人生イメージでは、誕生→幼少期→若年期→青年期→壮年期→老年期を経て、

生まれてきた場所に戻っていく、という人生観である。

ただひたすら直線的に走り続けるのではなく、成長発達のそれぞれの段階で、なすべき役割を果たし、

次の成長発達期へと繋いでいく流れがあり、

それぞれの成長期に成すべきことを成し、充実感を味わうこともできる。

 

 競争社会の中では、走り続ける辛さと、追われる焦燥感がいつも付きまとう。

競争社会というレースを降りてしまえば、役割を果たしたぬけ殻だけが残る人生はさみしい。

 百人いれば、百通りの人生があるが、走り続けて終わるハツカネズミのような人生よりも、

海の中でゆったりとたゆたうマンボウのような人生を生きることができたらいいと思う。

 

 

 

 

 

 

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号泣議員 なんでこんな議員が……

2014-08-22 20:00:00 | つれづれ日記

号泣県議 なんでこんな議員が……

 地方自治体が関わる問題は、住民にとって直接影響する事柄にもかかわらず、

近年の地方選の投票率は下がる傾向にあり、住民の関心の低さを露呈している。

 原発の推進派と反原発派が対立するような選挙ですら、投票率が低い。 

投票率の低下の裏には、「だれに投票しても同じだ」、

           「候補者のことをよく知らないから」、

           「世の中なるようにしかならないから」等々、

無責任で投げやりな、棄権の理由があげられる。

 「だれに投票しても同じ」ではない。

一票の重さが、積み重なることによって私たちの意見は必ず政策に反映されると信じたい。

選挙権を放棄し、「候補者のことをよく知らないから」と自己弁護してしまうことこそ、

政治を住民から遠ざけてしまう一因になってしまう。

 「よく知らない」という前に、選挙広報誌に必ず目を通してほしい。

いいことばかり記載されている広報誌ですが、

受けだけを狙っている公約を見分けるような力を養う努力はして欲しいし、

政治家に何を望むのか、しっかりした定見を持つことも必要です。

 そしてもっとも無責任で投げやりな、「なるようにしかならない」という考え方。

他力本願も甚だしく、何の努力もしないくせに、

自分にとって都合のよいことだけは、しっかりと受け入れてしまう。

 こういう人が増えれば増えるほど、政治は住民から離れ、名誉欲に取りつかれた政治家が生まれてしまう。

野々村県議のキャッチフレーズは「西宮最後の希望」というものでした。

人を酔わせるようなキャッチフレーズには注意したほうがいい。

本来の役割を果たさずに議員特権の上に胡坐をかき、低次元の不祥事を起こすような人を選んではいけない。

      (おわり)

                                        (参考資料 朝日、産経、読売、東京の各新聞とダイヤモンド社の地方自治通信)  2014.8.22

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政務活動費 号泣議員

2014-08-20 21:30:00 | つれづれ日記

政務活動費 号泣県議

 神戸新聞のスクープで幕開けした、「政務活動費」の不自然な使途は、

野々村県議の支離滅裂の記者会見で、筋の通らない釈明を繰り返し、号泣するに至り、二つの問題を提起した。

①    政務活動費の適切な運用が行われているか。

 2012年の地方自治法改正で、名称が「政務調査費」から「政務活動費」と変わり、

使途も「調査研究」から「調査研究その他の活動」となり、支給対象となる活動範囲や自治体ごとに条例で定める。

 兵庫県の場合県議一人当たり月額50万円の支給があり、収支報告書の提出と領収書添付を義務付けている。

だがこれにも抜け道があり、自身で作成した「支払証明書」で代替できる例外規定がある。

野々村氏は交通費の領収書を一枚も添付していなかった。明らかに制度の悪用だろう。

 支出報告書によると初当選後の平成23 ~25年度の3,年間で345回の日帰り出張をし、

切符代名目に約780万円支出していた。

 25年度だけで195回の日帰り出張があり、そのうち県内の城崎温泉に100回以上の出張を報告している。

出張目的など、詳しい記載もなく、記者会見での説明もなく、

記者会見は野々村議員の号泣で終わった(何のための記者会見だったのか)。

 兵庫県議会の対応の甘さにも問題がある。

報告書には、訪問相手の名前や目的が一切記載されず、

限度を超えた本人作成の「支払証明書」だけで支出を認め、

領収書の添付義務を怠っていたが、事務局は注意喚起しただけだった。

また、野々村県議の一件が「氷山の一角」ではないかという見方も強い。

例えば、愛知県議会では政務調査費を不正に受給したとして、

2013年の8月と9月に二人の県議が相次いで辞職している。

 使途があいまいなもの、支払証明での代用は極力避け、収支報告書は公開する。

会計帳簿の提出なども義務付けてはどうだろう。

 政務活動費は、住民の役に立っているのだろうか。

政務活動の内容は是非公開してほしい。

個人のプライバシーにかかわる問題で、後悔の難しい件もあるとは思うが、

透明性が低ければ、納税者としては政務活動費を認めるわけにはいかない。

                                   (つづく) 2014.8.20

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哀歌 翔よ!!(9)供養花火

2014-08-15 11:45:13 | 翔の哀歌

 供養花火

 「点火した火が、導火線をチリチリと走っていく瞬間」

「夜空を駆け上がる火柱がはじけて花になる直前」、

技を競って打ち上げるこの瞬間に花火師たちは緊張と至福の恍惚を感じるといいます。

この魅力に取りつかれた花火師たちが、小貝川の夜のやぶの中を走り回る。

ヘッドランプがせわしなく動く様子で、花火師たちの動きが手に取るようにわかります。

「家内安全、商売繁盛、健康祈願、逝ってしまった人たちの冥福を祈る供養花火」等々、

花火師たちは託されたそれぞれの思いを花火に込めて打ち上げる。

 

 彼岸に旅立ってしまった孫の翔よ!!

お前が旅立ってから、八カ月が過ぎました。

「天に届けよ」と、お前が旅立った空のかなたに向かって、

輝く光の花を打ち上げました。

 

 お前を失った悲しみは、決して消えることはないが、

せめて、せめて、こうして供養の花火をあげることによって、

お前に近づきたい。

 哀しい思いを打ち上げ、少しでも翔に近づけるのではないか。

翔よ!!

いつかきっと、私たちが元気になれた時、

笑顔で花火があげられるよう、

その時が来るまで、努力をして生きてゆきたい。 

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世界文化遺産・富岡製糸場「製糸場最後の経営者・片倉工業」

2014-08-03 21:25:19 | つれづれ日記

世界文化遺産・富岡製糸場

日本近代の光と影 ③

富岡製糸場 最後の経営者・片倉工業

 官営として操業開始をしたが、必ずしも黒字ばかりではなかった。

高品質に重点を置いた生糸生産体制は、海外でも好評で、「日本の生糸」というブランド作りには成功したようです。

また、機械製糸の普及と技術者の養成という当初の目的もおおむね達成され、明治26(1893)年三井家に払い下げられた。

 操業開始後21年の明治26年のことでした。

一時は清国を抜いて世界最大の生糸輸出国となったが、その後も経営母体が変わり、昭和14(1939)年には、

日本最大の製糸会社であった最後の経営者・片倉工業に合併され、戦中・戦後を通じ製糸工場として操業を続けた。

しかし、生糸値段の低迷などがあり、昭和62(1987)年115年の歴史に幕を引くことになった。

 

「売らない、貸さない、壊さない」

 

操業停止した片倉工業は、富岡工場管理事務所に常駐社員3人を置き、

5万平方㍍余の敷地の維持管理を続け、往時の建物の姿を今日に残した。

年8千万円前後の管理維持費を出資しながら、

『誰にも売りません、貸しません。壊しもしません』と、柳沢元社長は、

明治政府創生期に、日本の産業革命の一翼を担って

「富国強兵・殖産興業」を推進した歴史的な文化遺産建造物の価値を、18年間守り通したのでしょう。

 2005年世界文化遺産登録の動きの中、片倉工業は富岡製糸場の建物を富岡市に無償譲渡した。

そして、今年6月21日、世界文化遺産に登録が決定し、街は歓迎ムード一色となり、

操業開始から142年目の、富岡製糸場の新たなスタートの灯りがともった。

現代の「富国強兵・殖産興業」

 戦争放棄をうたう憲法第9条の解釈を、こじつけでねじ曲げ、集団的自衛権を閣議決定した。

「戦争のできない国」から、できる国への大転換である。

また、経済面では「成長戦略」の推進として、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加を急ぐ安倍政権です。

企業間の格差が広がり、貧困層が拡大する危険が十分にある。

 成長戦略を急ぎ、低迷した経済からの脱却を図り、福島第一原発の事故究明さえ明らかでないのに、

原子力発電の再稼働や、海外への輸出に焦る安倍政権。

明治新政府が担った「富国強兵・殖産興業」に、政策がダブって見える。日本は何処へ進んでいくのか。

   (おわり)

(2014.8.3)

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