二つの人生イメージ
信濃毎日新聞2014.8.12の論考2014「帰っていく場所を求めて」の中で、千葉大教授・広井良典氏が次のようなことを述べている。解りやすい記事なので紹介します。
人生イメージを二つに分けるとすれば、「直線型」と「円環型」に分けられる。
『直線的な人生イメージとは、
人生をすべて「上昇、進歩、成長」といった意味合いでとらえるもので、
それ自体は意味あることだが、これだけでは「老い」や「死」がどうしてもネガティブな存在になってしまう。
これに対し、円環的な人生イメージとは、
生まれてから幼少期、若年期、壮年期を経て、
大きく弧を描いて元の場所に戻るような人生理解をいう。』 (太線・引用部分)
生まれた時から、競争社会で育ち、学業成績、学校、就職と続き、
社会に出てからは、「上昇、進歩、成長」とかなりハードな上り階段を登りつづけなければならない。
上昇気流に乗った「成長」は、やがて、成長を停止し「衰退の道」を歩まなければならない。
日本が輝いていた時期、1960年~1970年、いわゆる高度経済成長期である。
人も物も生活環境もハイスピードで変化していった。
高速で走る日本丸に乗り遅れないようにするには、ひたすら走りつづけなければならなかった。
上昇気流に乗り、進歩し、成長することが美徳だった。
「勝者」と「敗者」という対立する図式も競争に拍車をかける。
成長の先には誰もが望む「幸せの楽園」があるはずだった。
しかし、成長の果てに現れたものは、疲労と虚飾に満ちた社会だった。
「直線的な人生」を駆け抜けてきた団塊の世代に待っていたのは、
老いと、孤独の中で「こんなはずではなかった」という悔恨の念だった。
円環的な人生イメージでは、誕生→幼少期→若年期→青年期→壮年期→老年期を経て、
生まれてきた場所に戻っていく、という人生観である。
ただひたすら直線的に走り続けるのではなく、成長発達のそれぞれの段階で、なすべき役割を果たし、
次の成長発達期へと繋いでいく流れがあり、
それぞれの成長期に成すべきことを成し、充実感を味わうこともできる。
競争社会の中では、走り続ける辛さと、追われる焦燥感がいつも付きまとう。
競争社会というレースを降りてしまえば、役割を果たしたぬけ殻だけが残る人生はさみしい。
百人いれば、百通りの人生があるが、走り続けて終わるハツカネズミのような人生よりも、
海の中でゆったりとたゆたうマンボウのような人生を生きることができたらいいと思う。