読書案内「友がみな我よりえらく見える日は」上原隆著
幻冬舎アウトロー文庫 平成16年6月刊 5版
表題「友がみな……」は、石川啄木『一握の砂』所収の短歌から取ったものである。
友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
人生は思い通りにはいかない。逆境に会い、それを跳ね返すだけの気力もない。
寂しい。そんなある日、彼は乏しい財布の中から小銭をはたいて、花を買って帰る。
唯一の理解者である妻と花を眺める。心安らぐひと時の時間を妻と共有できる。
このルポルタージュ風に書かれたノンフィクションに登場する人たちは、
どこかで人生の道を踏み外し、行くべき方向を見失ってしまった人たちである。
友だちもいない、心許せる相手もいない。生活を共にする人もいない。
踏み外した道を修正する力もない。
だが、卑屈にはならない。
どこかにそうした境遇に陥ってしまった自分を責める、自責の念が時々わき上がるが、
置かれた境遇に、ひたむきに耐えて生きている姿が印象的だ。
友よ アパートの5階から酒によって転落し、両眼を失明した友人。
47歳の友人だが、病院の庭のベンチに座る姿格好は老人以外の何物でもない。言葉を失う私。
友人が本物の不幸におちいった時、私は友人になにもしてあげられないことに驚き、戸惑った。
私にできることといったら、友人が自力で不幸を克服するのを見ていることぐらいだった。
人は自分でつちかったやり方によってのみ、困難なときの自分を支えることができる。
全編をぬく著者のスタンスは、人生に迷った不幸せな人たちの話を聞き、
見えない風のように目の前から姿を消すことだけだ。
登場人物を見る著者の目はやさしい。
ホームレス 彼は楽しそうに過去を語る。決してそれは現実に彼が背負った過去ではなく、
こうありたいという夢を語っているのだ。実に楽しそうに家族の話をするのだが、
その内容はその都度少しずつ違ってくる。家族についての夢を語っているのかもしれないと著者は思う。
垢にまみれ、汚れた服を着ている彼は、何処から見ても完全なホームレスだが、卑屈さや暗さは微塵も感
じさせない。
登校拒否 学校に行けなくなった少年。授業中に教室を抜け出し、誰も居ない美術室に逃避する。担任と級友に発
見され、「何してんだ、こんなところで」と詰問される。ただニヤニヤ笑い何も答えられなかった彼。
先生や友達に弱みを見せてはいけないんだと彼は思う。心を閉ざす少年の姿が浮かんでくる。
テレクラで仕事をする女性。小説が書けない芥川作家。職人気質から抜け出せない「ネガ編集者」。
父子家庭の中で娘を育てる男。乗客の私に身の上話をするタクシードライバーの女性。など、14人の登場人物は
優しさゆえに人生の道を踏み外し、生きずらい生をいきているのかもしれない。
女優志願 何かやりたいことがあって、うまくいかない時、努力不足だといわれたのなら、人は希望を持ち続けるこ
とができる。努力をすればいいのだから。ところが、あなたには向いていない、才能がないといわれたら、
どんな気持ちがするだろう、そして、どうすればいいのだろうか?
人生につまずき、劣等感に襲われ、気力を削がれ傷ついていく過程で、
生きていくチャンスをもう一度つかむことができるのだろうか。
堕ちるところまで堕ちてしまった人にとって、失われた自尊心を取り戻すことがいかに大変なことか、
登場人物を通じて考えてしまう小冊だ。
(読書案内№98) (2017.4.29記)