雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

沖縄・安慶田前副知事 「口利き」「人事介入」疑惑 (2) 一問一答

2017-01-30 11:56:57 | 昨日の風 今日の風

沖縄・安慶田前副知事 「口利き」「人事介入」疑惑
     (2
)一問一答
 一問一答のインタビュー記事の掲載はやはり地元紙の沖縄タイムスだ。
 疑惑報道の裏どり記事として、矢面に立たされた当事者に疑惑の真相を聞くインタビューで、
 疑惑報道記事の18日と同じ日に掲載されている。
 その概要を掲載します。

  -教員採用試験で特定の受験者を合格させるよう、県教育委員会に依頼したとの情報が寄せられている。
 「そんな話はない。断じてない。こんなことはやらないのがぼくの心情。いつの話?頼まれたこともないし、
  知っている人で教員採用試験を受けるような、特定の人はいない。本当の話だ」
  
  
随分切羽詰まった回答の様に感じられる。
  「……ぼくの心情」などと自己アッピールも忘れない。
  「……特定の人はいない。本当の話だ」など、答えなくともいいようなことまで言っている。
  こういうときの回答は、必要最小限度に抑えるのが鉄則です。
 
  ー誤解されるようなことや物、心当たりはあるか。

 「ない。事実では全くない」

 断定する安慶田氏に対して、
この後、記者の質問は具体的な核心に切り込んでいく。  
 徐々に質問の内容が具体性を帯びてくるインタビューのすすめ方は、
 獲物を捕らえたハンターのやり方でもある。

 ー特定の受検者名と受験番号記されたメモを見たとの話もあるが。
 「こんな話がくること自体が意外。前の教育長とも今の教育長とも(依頼できるような)人間関係がない」

 インタビューの内容が具体性を帯びた内容になってきている。
 記者が徐々に手の内を明かし始めてきたのです。
 この時点で、「具体的な何かがある」と気付かないと墓穴を掘ることになるのだが
 気づいた様子がうかがえない。
 ①鈍感なのか ②清廉潔白なのか どちらにしても状況は不利に展開している。

 インタビューはさらに核心に迫っていく。
 -電話で依頼したことはないか
 「誰にやるの? 人間関係もほとんどないところでこんなことをやるのは、墓穴を掘るようなもの」

 「……墓穴を掘るようなもの」と言いながら、実は自らぼけつをほつたことに気付いていない。
 記者の思い通りに進んでいる。「―電話で……」は次の質問への伏線になっている。

 -教委側の人間を副知事室に呼んではなしたことはあるか。
 「教育長は予算の件以外で、ほとんど来ない。人事は教育長に権限があり、やるものだ」

 ついに墓穴を掘ってしまった。このインタビューは、「教員採用口利き」についてのインタビューで、人事
 云々については一言も言及していない。にもかかわらず安慶田氏が、「人事は教育長に権限があり、……」と
 余計なことを言ってしまったのは、同日(18日)に掲載された記事の内容が頭にあったからなのだろう。
 
 追いつめた記者は最後の質問をダメ押しという形でする。
ーもし本当なら進退に関わるか。
「副知事を辞めなきゃいけない。翁長雄志知事の足を引っ張るようになるじゃないですか。こんなことはできるわけがない。僕の揚げ足をとって、蹴落とそうという人の謀略だろう。不愉快だ。知事に迷惑をかけることをやって、なんの得をするのか。政治生命が終わるようなことをやって」

 紙面のインタビュ―はここで終わる。余りに唐突な終わり方なので或いは編集したのかもしれない。
 いずれにしても、報道記事が事実ならば「辞める」と断言した安慶田氏である。
 どんな展開になるのか。
        (昨日の風 今日の風№59)   
 (2017.01.30記)                       (つづく)

 次回はその後の安慶田氏について書きます。

 
  

  













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沖縄・安慶田前副知事 「口利き」「人事介入」疑惑 (1) 事件の発端

2017-01-29 11:00:00 | 昨日の風 今日の風

沖縄・安慶田前副知事 二つの疑惑   
        
「教員採用試験口利き疑惑」、「県教育関係人事介入疑惑」

  全国紙等がこの疑惑事件について報道したのは、1月24日の朝刊からだ。
 沖縄副知事が辞任したことに鑑み、「口利き疑惑」と「人事介入」を報じるようになった。
 
 地元紙の沖縄タイムスは、18日から報道している。
 
 沖縄・安慶田副知事、15年の教員試験で合格を不正依頼か

 本人「断じてない」
 
 疑惑事件の発端である。
 「安慶田副知事が2015年教員採用試験で受験者の合格を働きかけた」
 県教委関係者が複数証言。
 以来に応じず合否に影響はなかったが、試験の信頼性が揺らぎかねない。
 本人は「断じてない」と否定。
 
 更に沖縄タイムスは関係者の証言として、次のように詳細を報道している。
 県教委の職員が副知事室に呼び出され、複数の受検者の氏名や受験番号が書かれたメモを
 直接渡されたり、副知事から県教委に依頼の依頼の電話が掛ってきたしたという。

 こうした働きかけは複数回あり、合計すると2~4人の受験者について依頼があったとみられる。
 県教委は内密に対応を協議し、選考作業に手を加えることはしなかったという。

     
15年実施の教員採用試験では4404人が受験し、最終合格者は451人。
      平均倍率は9.8倍、校種によっては20倍を超えるなど、全国でも有数の「狭き門」になってい。

 以上が最初にメディアに登場した、疑惑事件の沖縄タイムスが伝える内容である。

 それにしても、2015年に起きたであろう「教職員採用試験口利き疑惑」が、今頃になって
 浮上してきたのか。
 どうやらこの情報のニュースソースは、県教委関係の職員であるらしい。
 安慶田(あげだ)
副知事と県教委の表には出せない確執があるようだ。
                           (昨日の風 今日の風№58)
                 (2017.01.28記)            (つづく)
     
     次回は前述の疑惑報道に対し、「事実では全くない」と疑惑を否定し
      真っ向から対立する安慶田副知事への一問一答を取り上げたい。
                                         

   
 

 

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不適切な表現 生活保護「なめんな」

2017-01-23 13:01:30 | つれづれに……

不適切な表現 生活保護「なめんな」
  神奈川県小田原市 生活支援課顛末
ローマ字で「保護なめんな」などとプリントされたジャンパーのエンブレム(朝日新聞)
 
 
 福祉系の仕事に携わる者にとって最も必要なことは、「人権感覚を失わない」「上から目線にならない」ということが最も大切な心構えだ。

 加藤賢一市長は、「配慮を欠いた不適切な表現」とコメントし、監督する立場の福祉健康部長ら同部職員7名を厳重注意したというが、このジャンパーの着用を10年間も黙認していたことは、重大な瑕疵である。
異議を唱える職員がいなかった、ということに、この問題の根っこの深さを感じるのは、私だけではないでしょう。移動や配置替えをしなければ、この淀んだ空気は一掃されない。麻痺した人権感覚を正常に戻すには、市長の英断が必要です。

 生活保護受給世帯と不正受給
   多くの自治体で保護世帯も不正受給も
増えている。
   小田原市の場合
     2009年 生活保護受給世帯 2万件     不正受給の摘発  20件
     2014年    〃     2万5000件      〃     100件

   市民の目は厳しく、
   生活保護費受給世帯の者が、パチンコをしていたり、遊んでいると批判の声があがる。
  担当職員はこうした批判の声にも対処しなければならない。
  少ない担当職員人数で制度を支えなければならない。

  市民感覚の中にも、上から目線の人も多い。
  「一部の不正受給者のために生活保護者全体が悪いという意識がどこかにあるようだ」。

  一生懸命自立に向けて頑張っている人も大勢いることを忘れてはならない。

  今回のように、職員のいきすぎた言動も珍しくない。
  メディアの論調の中には、好意的な記事も見られる。

  不正受給が増加する中で、担当職員が不正は許さないという思いでつい突っ走ってしまったのだろう。

  私たちは、この制度が円滑に運用できるように見守っていく姿勢が必要だ。
  受給者の中には自立のために、頑張っている人もたくさんいます。
  こうした人たちを私たちには、温かく見守る社会的規範が求められます。
                              (2017.01.25記)


      

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読書案内「紙の月」 (2) 角田光代著 帰りたい、帰りたい

2017-01-22 11:00:00 | 読書案内

 読書案内「紙の月」(2)  角田光代著
     何処にもいない自分 お金で買えるものが自分を自分らしくするのか
     帰りたい、帰りたい

   タイに失踪した梨花の心境を作者は次のように描写する。

   なにが怖いんだ。あんなことをしでかして、今さら何がこわいんだ。
   ……梨花は心の中で叫び続けたまま、スコールの中にじっと立ちつくす。
   いけ、動けという心の声とは裏腹に、梨花の足はどうあっても一歩すら踏み出すことができない。

   
そして最後「パスポートを拝見させてもらってもいいでしょうか」と言って近づく警官らしき男に梨花は叫ぶ。

   「私をここから連れ出してください」 
   その言葉は過って梨花の不倫相手の若い恋人が、
   梨花の腕の中から飛び去ろうとしたときの言葉と同じだった。

   どんなにもがこうが決して自分から逃れることのできない虚ろな闇が
   梨花を包んでいた。 

   大金を横領し、堕ちるところまで堕ちた梨花が手にしたものは何だったのだろう。
   失ったものさえわからない。
   人生そのものから梨花は失踪したかったのではないか。

        『紙の月』とは、ストレートに解釈すれば、『紙で作った月』ということだが、ここから転じて
   実態のないもの、偽物などの意味があるようです。

   小説の中で2度、『月に触れている個所』が出てくるので、紹介します。
   若い恋人・光太と花火を見るシーン。
   「花火の向こうに月がある」ぽつりと光太が言った。たしかに切った爪のように細い月がかかっていた。花火が上
   がるとそれは隠され、花火の光が吸い込まれるように消えるとそろそろと姿をあらわした。

   
夫・正文との実のない会話をしている時、梨花が仰いだ空に、月があらわれる。

   さっとナイフで切り込みを入れたような細い月がかかっている。いつかどこかで見たことのある月だと梨花は思っ
   たが、いつ、どこで、だれと見たのか思い出せなかった。

   
どちらの月も、細い月である。心が満たされるような満月ではなく、『折れそうに細い月』だ。

   この月は、梨花の心象風景をあらわしている、淋しいとがった月だ。
   梨花は、この月を以前にもどこかで見たことがあると思うのだが、いつ、だれと見た月なのか思い出せない。

   梨花の潜在意識に住み着いた『紙の月』。
   これがこの小説のテーマなのだろう。

   著者は最後の文章を次のように結ぶ。
   前述したように、梨花とかかわりを持った人たちが、
   梨花が起こした横領事件をどう受け止めているのかという視
   点で描くことによって、梨花の人生を浮かび上がらせようとした手法は
   最後に、買い物依存症の中條亜紀の描写で終わる。

   亜紀はその経済観念のなさに、夫から離婚され、娘の親権さえ奪われてしまう。
   月に一度だけ娘に会うことが許されるが、
   その娘にすら、娘が欲しいというものは、何でも与えてしまう。
   娘と別れた後、『ひどくみすぼらしく』思える自分を引きずりながら、
   梨花のことを思い出すシーン。亜紀の足取りは重い。
   親とはぐれ、知らない町で迷子になったような気分だった。
   帰ろう、帰ろうと思ううちに涙まで出てきた。なんで涙なんか、と思いながら亜紀は、
   頬を伝い顎に滴る涙を拭くこともせず、帰ろう、帰ろうとくりかえしながら必死に歩いた。
   
   
小説はここで終わる。

   亜紀もまた、どうしようもない自分に流されていく。
   帰り着く場所のない亜紀は、梨花の投影でもある。
   
   タイに失踪した梨花の苦しみが伝わってくる。
   「私をここから連れ出してください」
   梨花の無言の叫びが聞こえてくる。
                     (2017.01.21記)

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読書案内「紙の月」 (1) 角田光代著 梨花は何を欲しかったのか

2017-01-21 12:58:33 | 読書案内

読書案内「紙の月」角田光代著
  どこにもいない自分 
      お金で買えるものが自分を自分らしくするのか
    (ハルキ文庫・2014年10刊 第6刷) 柴田錬三郎賞受賞
         2014年宮沢りえ主演で映画化された。映画は41歳になる梅澤梨花(宮沢りえ)に焦点を当て、横領事件を起
    こす
過程を執拗に追いかける。原作となった小説は梨花を取りまく人々を描くことにより、梨花の生き方を浮き 
    彫りにしていく。現実の横領事件で、億の金を男に貢ぎ話題になった。しかし、この小説は若い男に貢ぎ、その
     ために堕ちていく女を描いたものではなく、もっと奥が深い。どうやらそれは、「紙の月」という小説の題名に
    も関係がありそうだ。
                 
                        
    
   銀行の契約社員だった梅澤梨花が、顧客から預かった金の中から1万円を拝借したが、すぐに戻した。
   だが、顧客からの預かり金をたとえ一時にしろ、流用することは許されない行為だ。

   ほんの小さな隙間から水が漏れるように、梨花の人生は徐々に狂っていく。

   41歳の梨花。
   夫との会話もすれ違いばかりで、梨花はさみしい思いをする。
   子どもいなく、希薄な夫婦関係。

   若い恋人との情事に溺れていく。

         小説では梅澤梨花を中心に物語は進んでいかない。
   横領犯・梨花が失踪したニュースを見た、
   徹底した節約を生活をする同窓生の主婦、
   裕福だった妻の異常ともいえる経済観念に悩む元彼、買い物依存症の料理教室の同僚等を通して、
   梨花がどんな人間だつたのか次第にあぶり出されてくる。

   ここに登場する人物の誰一人として、特異な人間はいない。
   ごく普通の人間が、日常生活のふとしたいざこざやすれ違いからつまずいていく。

   正義感の強い梨花がなぜ巨額の横領事件を引き起こしてしまったのか。
   不倫関係にある若い恋人に金を要求されたわけでもない。
   金で恋人を縛ったわけでもない。

   なんのために顧客の金を横領し、
   湯水のように使ってしまったのか。

   横領の果てにあるものは破滅なのだが、そんな事には無頓着に金を使っていく。
   破滅に向かって落ちていく梨花の姿が哀れだ。
   彷徨(さまよ)うために、堕ちていくために梨花は横領した金を使い続ける。
                       (2017.01.21記)                                                                      (つづく)

  

   

 



   
 

 

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ど派手な成人式

2017-01-17 11:00:00 | つれづれ日記

ど派手な成人式
   これでいいのか 寛容すぎないか

 各地で行われた成人式。
 門出ともいえる式典を、粛々と開催した自治体もあり、
 創意工夫の跡が見られ、好感の持てる映像を流したテレビメディアもあった。
 特に報道にあったような親から成人した子へのメッセージを壇上で読み上げ、
 参加している子供に感動を与える自治体の成人式は、好ましく思われた。

 一方、沖縄や北九州における成人式のように、ど派手な成人式も相変わらず後を絶たない。
 数年前までは、こうした成人式の在り方をどちらかというと、
 批判的にとらえた報道が多かったが、
 ここ数年、批判的な報道が減少し、
 「こんな成人式もありますよ」的な報道が目立つようになった。

 市長さんや市会議員の皆さんが、形式的な祝辞を述べる成人式は
 参加者を飽きさせてしまうから、それを聴く成人の方もうわの空で、私語か多くなってしまう。

 あてがいぶちの成人式ではなく、自分たちの成人式をどのように開催したら、
 門出の成人式が意味のあるものになるのか、考えなければならないだろう。

 どんな成人式を開催したいのか、
 主催者だけの判断では参加者の心を捉えきれないところまで、
 世代間の溝は深くなっているのだろう。
 参加者としての新成人にも、自分たちの「成人式」という自覚と責任感を持って臨んでほしい。

 「成人式を終われば、みんな普通の人に戻るんです」
 ど派手な成人式を行う町で拾った声です。
 「この日のために、コツコツと貸衣装代を溜めて、一生に一度思い出に残る馬鹿騒ぎをしたいのです」
 「地域の伝統だから……」
 「とにかく、大勢が集まるなかで目立ちたい」
 
 地域の伝統、仲間意識、門出の記念に等々の意見が多く見られた。
 こんなことが、「ど派手な成人式」として認知されるなら、
 誕生祝いも、入学式や卒業式もみんな門出の記念なのだから、
 ど派手に関係のない他者に眉をひそめられるような門出の式を行えばいい。

 社会全体の雰囲気が、多少不愉快なことがあっても、
 目をつぶって暗黙の裡に認めてしまう。

 寛容すぎはしないか。

 「認められないものは、認めない」という姿勢が弱まっているような気がして不安です。

 派手な衣装で着飾るのも否定はしません。
 でも、落ち着いたスーツ姿もなかなかいいものだと思います。

 ちなみに、私の成人式は、貧乏学生でスーツも買えないし、
 故郷にいる老いた母にスーツ代をせがむのも忍びなく、
 その日は、故郷の成人式を思いながらの少し寂しい成人式だったが、
 当時発刊されたばかりの「ヘミングウェイ全集」の第一巻を記念に購入しました。
 今では、色あせた本が、若かった頃の私を投影して
 書棚の奥でひっそりと時を刻んでいます。

 寛容すぎる社会は、やがて成長を減速し、
 住みずらい社会の到来のきっかけとなるでしょう。
 そうならないように未来社会に向けての責任と努力を
 一人ひとりが持つことが肝要なのではないでしょうか。
                  (つれづれ日記№69) 
                            (2017.01.16記)

 

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寒波襲来

2017-01-15 20:41:16 | つれづれ日記

寒波襲来

   寒波襲来で、日本海側の地域で大雪です。
 関東の我が家では、雪が降りませんが、とても気温が下がり、
 時どき冷たい西風に舞って、風花が流れてきます。
 
 万葉集にも歌われたわが郷土から仰ぐ筑波山は雪の気配もありません。

 
 「でも、寒いなー」
 絵本作家の いもとようこ さんの狐が寒さをコラえているようです。
 この人の絵やお話はやさしくて、ほっこりしているところがとても好きです。

 このやさしさ ほっこり感を保育園の子どもたちに味わってほしいと絵本を読むのですが、
 子どもたちはアンパンマンやカイジュウやオバケが出てくる題材が好きなようです。
 
 それでも、いもとようこさんが持っている雰囲気を伝えたいと、
 三冊のうち一冊は必ず読んであげることにしています。

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原発事故の費用  何処で負担するのか

2017-01-12 13:44:25 | 風の行方・原発

原発事故の費用  何処で負担するのか    
膨らむ原発事故費用

事故処理費用の推移

 

総費用

中間貯蔵施設

除染

廃炉

賠償

2011 年  事故発生

6  兆円

1兆円

5兆円

2013   中間貯蔵施設に国費投入決定

11 兆円

1.1兆円

2.5兆円

2

5.4

2016   新電力負担決定

21.5兆円

1.6

4

8

7.9

2020   デブリ取り出し開始

 

 

 

 

 

 

2030~     デブリ取り出し完了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2060  国民の費用負担(ツケ回し)終わる

 

 

 

 

 

 

  原発事故の(処理)費用は総費用で
   6兆円➡11兆円➡21兆円
  処理費用は事故発生から5年で総費用で4倍弱にまで膨張しています。
  特に廃炉費用はなんと事故当初の8倍の8兆円にも膨らんでいます。
  デブリ取り出し開始から完了までに、10年以上かかると考えられています。
  (デブリとは、メルトダウンした核燃料を核燃料容器から取り出す作業ですが、
  今度のメルトダウンで核燃料は圧力容器や格納容器を貫通してと思われているので、
  デブリ完了までにはもっと多くの時間が必要かと思われます)

  廃炉に関しては、未経験で原子炉格納容器の中がどうなっているのか予測が尽きません。
  放射能の極めて高い内部で、技術的にも改変していかなければ手の施しようがない状態です。
  廃炉作業員の被曝の問題も含め、難題山積です。

  見積もりを立てるたびにどんどん膨張していく事故(処理)費用は何処で負担するのでしょうか

  
 事故処理費用は何処で負担するのか
  21.5兆円の費用負担は次のようになります。
   中間貯蔵施設 ➡ 税金を投入
   除    染 ➡ 国保有の東電株の売却益を充当
   廃    炉 ➡ 東電が負担
   賠    償 ➡ 新電力も一部を負担する。国民負担は月額18円。

  賠 償
   注目して欲しいのは『賠償』です。
   追加分の2.5兆円は2020年から2059年まで
   40年かけて送電線の利用料に上乗せするというものです。

   送電線は大手だけでなく電力自由化で参入した、
   原発を持たない新電力にも負担の義務を負わせる。
   従って、電力消費者は契約先に関係なく、
   月平均で18円の負担が課せられることになります。
   これは、実質上の電気料金の値上げではないでしょうか。
   (システムには経産省の理由付けがあるのですが、ここでは割愛します)。

   事故前までの電気代は事故対応費を含まず、国民は安い電気を使ってきた。
   その間に集め損ねた事故対応費の分をこれから
   国民に2020年から40年かけて払ってもらう
(朝日編集委員・上田俊英)

   原発事故の2011年に生まれた人は、このとき50歳目前です。
   自分たちが生まれた年に起こった原発事故の責任をなぜ私たちの世代が負わなければならないのか。

   原発コストは他の電気エネルギーと比べて安いと政府は、公言してはばからないが、
   本当にそうなのでしょうか。

   世代間で継承し良いのは、次の世代に引き渡してもきちんと説明のつく施策です。

   負の遺産はその世代で解消し、後の世代に継承しない。
   施政者のそして私たちの戒めとしなければならないことではないでしょうか。

   これまで見てきたように、原発事故の費用負担は、未来の世代にまで負担を強いる。
   高速炉の実証炉の建設も、今の子どもたちの世代が負っていきます。

   使用済み核燃料から出る「高レベル放射性廃棄物」は、
   10万年もその危険と向き合わなければならず、
   現在、その隔離方法さえ確立されていない。

   私たちはこんな危険な得体のしれないものを発明し、手なずけようとしている。
   それはあたかも、科学者のフランケンシュタインが作り出した「怪物」のように一人歩きし、
   どうにも手におえないものを、私たちは手なずけているようにも見える。
   
   プロメテウスの火にならないように、私たちは次の世代に、
   「昔こんなことがあった」と説明できる大人として責任を持ちたい。
                              (2017.01.12記)

 

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再び、「時流に流されず」

2017-01-10 11:05:19 | つれづれに……

再び、「時流に流されず」
 
回(1/8付)のブログで、新年の心がまえを次のように述べた。

時流に流されず、
言葉を噛みしめ
自分に正直に、
嫌なものは嫌だと言える様な道を歩みたい。
なかなか難しいけど……

 『なかなか難しいけど…』と書いたのは、実は私のブログ、2015.12.09付でも同様のことを書いていたことを踏まえていたのです。
その一文を紹介します。
 

目は嘘をつかない

 
 しっかりと目前のものを見つめ
 矢のように飛んでいく 視線

 決してたじろがず
 凛とした決意と揺るがない自信を持っている

  相手はこの視線に 
 胸のうちのまやかしや
 自信のなさをとらえられて
 後退してしまう

  だが

 孤高の目にも弱点がある
 心だ

  心が曇ってしまえば
 目はたちまち光を失い曇ってしまう 

  心は強い力で目を誘惑する

 目よ! 負けるな

 どんなに心が曇ろうと
 誘惑には負けるな

  嫌いなものは嫌いと
 駄目なものはだめだと言えるように

 嘘つき心には負けるな

   
ともすれば、易きに流れ怠惰に生きてしまう自分自身への戒めとして書いたものですが、
  こうした思いを私はずっと前から抱いて生きてきたように思います。
  高橋佳子(思想家 啓蒙家)さんは著書『新 祈りのみち 至高の対話のために』で
  次のようなことを述べています。

  怠惰に過ごしたことを後悔するよりは
  自分の願いを見出すこのできないことを恐れるべきです。
  失敗を恐れるよりは
  逡巡を恐れることです。

  怠惰に傾くのは 楽を求める人生の避けることのできない原則。
  けれども、自分の願いを発見すれば怠惰は自ずから逃げてゆきます。
  魂の底から
  一心(いっしん)に求めるものを見出すなら
  怠惰は恐れるには足りないものです。
  だから、怠惰は、真に求めるものに目覚めていない魂のしるしなのです。

 
 
  みなさん

  易きに流されず
  怠惰に溺れず
  自分自身の舟と櫂を持って
  生きずらい海の
  羅針盤のない小さな人生航路を
  渡って生きましょう
                (2017.01.10記)

 

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流されない…

2017-01-08 15:15:40 | つれづれ日記



時流に流されず、
言葉を噛みしめ
自分に正直に、
嫌なものは嫌だと言える様な道を歩みたい。
なかなか難しいけど……

 年頭の挨拶を、年賀状の中に上記のようにしたため、自分への戒めとしました。
 何分、タガが外れてしまうと、易きに流れていってしまうので、
 少しきついタガをはめました。

 「流される」 時流に流される。 雰囲気に飲まれる。付和雷同。
        あまりにも流されることの多い日常です。

    12/31付のブログ「流されていく… このまま流されたくはない」にも書きましたが、
 社会全体が「何とかなるさ」とつぶやきながら、流されて行ってしまう気がしてなりません。

 「流されない」視点を保ちながら、自分の考えはきちんと伝える努力をしなければ、
  将来の社会に責任を持つ社会を作ることはできない。
  私ひとりが、声高に叫んでみても、何も変わらないかもしれません。

  でも、ぶれない視線で社会を見つめる人が一人でも多くなれば、
  社会を包む雰囲気はだんだん変わっていくではないか。

  成熟社会の上に、どっかり胡坐をかいてしまえば、
  成熟は爛熟へと進みやがて退廃そして消滅へと進んでいくことは、
  歴史が証明しています。

  「社会全体は絶えず成長を続ける」
  成長が停止した時、社会は混乱の波にのまれてしまうといわれていますが、
  私には、社会の成長がどこまで続くのかわかりません。

  成長の過程で、緊縮、減少社会があってもいいような気がしています。
  『緩やかにトーンダウン』する社会があってもいいのではないかと言う思いもどこかにあります。

  私たちの社会はあまりにも早いスピードで成長してきたような気がします。
  社会を牽引していく『幸福号』は、多くの人に幸せ感を振りまき、
  一見豊かで明るい未来に向かって進んでいくように見えます。

  でも、小さな幸せを作って来た核家族は、
  その昔家族が持っていたたくさんの家族機能を喪失してきました。
  結果、人と人のつながりが薄れ、格差社会が生まれました。

  人口減少社会、少子高齢社会、労働問題、保育問題、貧困の連鎖、原発問題、積極的平和主義。
  どれをとっても、一朝一夕には解決できない問題が山積しています。

  これらの問題は、政治がもう少し前を見据えた政策を展開していれば、
  回避できた問題もたくさんあるようです。

  与党も野党も、そして多くの国民もあまりに今そこにある効率と利益を求めすぎたきらいがあります。
  
  私たちはぶれない視点で、揺るぎのない社会を作ることに協力もするし、我慢だってできるのです。

  「和して同ぜず」(論語)
   人の意見をよく聞き、理解をするが、自分の意志もまた大事にする。
  社会の一人ひとりが、心がければ、「住みよい社会」は実現可能ではないだろうか。

  念頭に当たり、穏やかな正月を迎え、
  「流されない」想いを述べてみました。
                                (2017.01.08記)





  

 
 

コメント (3)
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