雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

啄木哀し(5) 最期の歌

2016-02-29 08:00:00 | つれづれに……

啄木哀し(5) 最期の歌 (つれづれに… 心もよう№27)

  当初、釧路駅があった幸町公園に設置されたが、

現在は旧釧路新聞社(啄木が記者として一時勤めた)のある旧釧路川沿いにあり、碑文には

さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき が刻まれている。

貧困は啄木を自死にまで追い込むが果たせなかった(啄木24歳)

より飛びおりるごとき心もてこの一生を終わるすべなきか

 『次から次へと休む間もなく襲いかかる病魔と貧乏に痩せた体にさいなまれながら、

啄木はひとりもがきしているうちに1911(明治44)年も暮れていき、

啄木にとってこの世の最後の年である明治45年を迎えることになる。』(平野博和著 石川啄木入門から引用)

 

1912(明治45)年・啄木28歳病苦と貧困の中に新年を迎える。

 3月 7日 肺結核で母死去

 4月13日 啄木、若山牧水、妻節子 父一禎に見守られ永眠(28歳)

1913(大正2)年 節子死去 28歳

最期の二首

呼吸(いき)すれば胸のうちにて鳴る音あり

             凩よりも寂しきその音

眼を閉づれど心に浮かぶ何もなし

          さびしくもまた眼をあけるかな

 思えば貧乏と病苦に追いまくられた生涯だった。

恋しい思いは故郷への望郷の歌となって多くの人の心をふるわした。

目を閉じてももう何も浮かんでこない。

曠野の果ての寂寞感がたまらなく悲しい。

後者は谷村新司の「昴」が摂取していることでも知られている。

終始貧乏と病気に苦しんだ啄木だったが、

人間の無力さを痛感しながら、

死ぬまで生活と密接に関係した短歌を歌い続けたところに、

啄木の強い文学への意欲と誠実な生き方に感動するのだ。

啄木が決して青春の感傷だけを歌った詩人ではないことがご理解いただければ、

胸中の幸いです。

                           (2016.2.26記) おわり

 

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啄木哀し(4) 明日を信じて… そして望郷の歌

2016-02-27 08:00:00 | つれづれに……

啄木哀し(4)  明日を信じて…… そして望郷の歌

                                                                                                            (つれづれに… 心もよう№26)

新しき明日の来るを信ずといふ

自分の言葉に嘘はなけれど

「北風に立つ少年啄木像」は、盛岡市大通にある。台座の歌碑にはこの歌が刻まれている。

 

 苦しさや貧しさは望郷の歌へと啄木を駆り立てる。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

 私が子供の頃には、上野駅に行くと東北の匂いがしていた北の玄関口上野駅でした

なつかしき故郷にかへる思ひあり久し振りにて汽車に乗りしに

今日もまた胸に痛みあり死ぬならば故郷に行きて死なんと思ふ

 望郷の思いはふるさとのかなしい思いにもつながってくる。

石をもて追はるるごとく故郷を出でしかなしみ消ゆる時なし

 悲しい思い出の残るふるさとだけれど、帰りたい。

かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川

ふるさとの山に向ひて言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

 渋谷村は啄木の生まれ故郷。

やっぱり故郷はいいなー 

しかし、東京へ出てきた啄木の晩年は

病気と今日の食事さえ満足にとれないほどの貧乏で、帰郷は叶えられなかった。

                             (2016.2.25記)   つづく

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啄木哀し(3) 貧乏 長男・真一の死

2016-02-25 08:00:00 | つれづれに……

啄木哀し(3) 貧乏 長男・真一の死 (つれづれに…心もよう№25)

啄木像・札幌大通り公園 啄木70回忌記念に建立

 28歳の短い生涯を啄木は貧乏のうちに幕を引いた。

生活は困窮を極めその日の糧にも事欠くようであった。

死を思い、悲痛の自嘲の中に苦しみもだえながら歌を詠んだ。

 はたらけどはたらけどなお我が生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る 

 啄木の歌の中では特に愛唱されている短歌で、現代にも通じる歌だ。

パートを掛け持ちし、寝る時間を減らして働くが報われない。

食費さえ満足に稼げない貧乏が啄木を襲う。

 こころよく我にはたらく仕事あれそれをしとげて死なんと思う

 現在の不遇に、文学への志が思うようにならず、啄木の思いは屈折していく。

 いと暗き穴に心を吸はれれゆごとく思ひてつかれて眠る

 貧乏もまた、啄木を苦しめた。

 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽ろきに泣きて三歩あゆまず

 1910(明治43)年10月啄木26歳。長男真一生まれるも、生後23日で死去。

 夜おそくつとめ先より帰りきて今死にしてふ児を抱けるかな

 おそ秋の空気を三尺四方ばかり吸ひてわが児の死にゆきしかな

 真白なる大根の根の肥ゆる頃うまれてやがて死にし児のあり

 かなしくも夜明くるまでは残りゐぬ息きれし児の肌のぬくもり

 夫人は産後の健康がすぐれない。

晩年、啄木夫婦ともに、病床に臥すという惨めな生活で、

年老いた老母が一人炊事などをするというありさまだった。

この母も1912(明治45)年3月肺結核で死去する。

啄木28歳の時で、極貧状態の中、夏目漱石夫人や金田一京助らから資金的援助を受ける。

特に、啄木夫人・節子の妹の夫で歌人の宮崎郁雨には物心両面にわたって支えられた。

      (2016.2.24記)              つづく

 

 

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啄木哀し(2) 闘い続けた人生

2016-02-18 10:50:00 | つれづれに……

啄木哀し(2) 闘い続けた人生

 揺れる青春

 今年は啄木生誕130年にあたる。

 多感な少年時代の13~15歳、啄木の歌集「一握の砂」を読み

彼の歌う心象風景にあこがれ、繰り返し読んだ。

 青春時代の懐かしくも少しもの哀しい思い出だった。

 時を経て現在、改めて啄木の歌を読むと、昔とは異なる啄木のイメージが湧いてきた。

 まだ幼さの残る顔。

文学と貧乏との闘いは啄木が27歳で早逝するまで続き、

生活費も病気の薬さえ工面できぬほどの貧乏だった。

早世した啄木は遺された歌と共に、永遠の青年歌人というイメージが残るが、

「借金名人」「放蕩」といった生活困窮者の姿が浮かんでくる。

そうした自分への不甲斐なさが歌になり、世間への嫉妬にもなった。

 

 青年時代を啄木と共に送った歌人の吉井勇は啄木を表して次のように言っている。

「27歳でこの世を去った啄木は、

その芸術の愛好者にとっても、また若き日の友でもあった私にとっても実に永遠の青年である」と。

 

 新しき明日の来るを信ずという

        自分の言葉に嘘はなけれど

 

 何かも行く末の事見ゆるごとき

        このかなしみは拭(ぬぐ)いあへずも

 新しき明日とは、時代の流れと自分の文学への道のことか。

夢と不安が胸中を駆け巡る。

後の句は、自分の行く末が見えてしまったような青春の不安を「かなしみ」と表現したのか。

 

 浅草の夜のにぎはいにまぎれ入り

         まぎれ出でし来しさびしき心

 北海道に残して来た親や妻子を思い、街をさまよう。

浅草の夜のにぎわいと対照的なさびしさは、

思うようにならない志(こころざ)しへのいらだちと、人恋しさの念だったのか。

心が折れそうになる。

啄木は苦悩する。

どうにもならない自分の不甲斐なさに、虚無の影が啄木をとらえます。

 

 死ね死ねと己を怒り

      もだしたる心の底の暗きむなしさ

           (もだしたる=黙っている。沈黙している)

(2016.2.18記)   (つづく)

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啄木哀し (1) 青春と貧困

2016-02-14 13:51:31 | つれづれに……

啄木哀し(1) 青春と貧困

 今年は石川啄木生誕130年にあたります。わが青春の愛唱歌を紹介します。(生誕110年を記念して啄木記念館に建てられた啄木像。彼の像は沢山建てられているが、私はこれが一番気に入っている。貧困と闘い、不遇と闘った彼が見せる、穏かで優しい雰囲気が好きです)。

 「青春」

頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて堀りてありしに

  石原裕次郎の「錆びたナイフ」の歌の元にもなった。

砂山の砂に腹ばひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

命なき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ

 啄木にとって、青春も初恋も悲しみの代名詞でしかなかった。死に対するあこがれは、多感な青年の感傷だったのか

こずかたのお城の砂に寝ころびて空に吸はれし十五の心

  青春っていいなー 遠ざかりし青春。歌の甘さや切なさが中学生の私をとらえたのでしょうか。

 「貧困」

 たはむれに母を背負ひて  そのあまり軽ろきに 泣きて三歩あゆまず  

 こころよく我にはたらく仕事あれ それをしとげて死なんと思う

 はたらけどはたらけどなほ我が生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ

 これに上げた歌も、中学生の時から折に触れて詠んでいた歌。早熟な少年の1ページが浮かんできます。

 (2016.2.14記)    (つづく)

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正社員転換・待遇改善プラン(厚労省)

2016-02-13 08:00:00 | 昨日の風 今日の風

正社員転換・待遇改善プラン(厚労省)

 社会の動き

 「フリーター」という言葉が公に認知されたのは、1991年の広辞苑第4版に掲載されてからか。

それから25年が経過した現在、この言葉も死語になってしまった。

当初この言葉の内包する意味は「何となくかっこいい」、「自由である」などの意味を含んでおり、

テレビや新聞などのメディアに頻繁に登場した。

「俺はフリーターだ」と誇らしげに言う若者も増えていった。

だが、内実は「アルバイト」であり、正社員の道に歩み損ねた人たちが多かったため、今では死語になった。

 

 「ニート」という言葉も流行った。

これは、玄田有史(東京大学教授)の「ニート フリーターでもなく失業者でもなく」という著書(共著)が

2004年に発行された時初めて使用された用語である。

働かない若年層が社会問題化するなかで、生まれた言葉であるが、

それは単に「失業者」という暗いイメージではなく、

社会への違和感ゆえに労働する意志、教育を受けようとする意志を持とうとしない若年層を指していたが、

この言葉も現実と乖離し、言葉だけが独り歩きをしたために死語となった。

 

 現際の状況と政策

 「フリーター」も「ニート」も死語とはなったが、社会状況が好転したわけではない。

むしろ、閉塞感を伴い、状況は悪化し深刻化している。

非正規労働者は増加し、経済格差は広がり、貧困は親から子へ継承され、教育の格差にまで及んでいる。

物が安いということが、消費者にとって良いことか?

必ずしもそうではなく、物価の安さが、時間給や労働者の給料を圧迫してしまう例を私たちは幾度も見てきている。

 

 厚労省が策定した「正社員転換・待遇改善プラン」は、

派遣や契約社員など非正規労働者の正社員化を促すものとして注目したい。

非正規で働く人の割合を2016年度以降の5年間で約半分にすることを目指す。

こうしたプランを推進する企業に助成金を出すことも検討している。

 

 正社員との賃金格差も大きく、

正社員の月額は31万7千円だが、非正規は20万円で定期昇給もなく、

50代にいたれば約2倍の差になる(厚労省調べ)。

プランでは「賃金格差を縮める」との目標を立てたが、

格差をどのくらい是正するかという数値目標までは踏み込まなかった点が残念だ。

                   (昨日の風 今日の風№39)                 (2016.2.12記)

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廃棄カツ横流し 激化する格安弁当

2016-02-10 08:00:00 | 昨日の風 今日の風

廃棄カツ横流し 激化する格安弁当 (昨日の風 今日の風№38)

 カレーチェーン店が廃棄した冷凍ビーフカツが横に流しされた。

 委託料を受け取り廃棄するはずだった産業廃棄物処理業者「ダイコー」(愛知県稲沢市)は、

この0円のカツを製麺業者「みのりフーズ」(岐阜県羽島市)に1枚33円で売った。

さらに卸業者の三社が転売、愛知県津島市のスーパーで店頭販売された時には約80円になっていた。

 

 各卸業者は「廃棄物とは知らなかった」と証言している。

果たして本当か?

まるで悪いのは「ダイコー」であり「みのりフーズ」であるという構図が みえてくる。

その「みのりフーズ」の経営者の証言。

「ダイコーからは帳簿を残さず、箱の詰め替え」を指示され、

中身のビーフカツを壱番屋の箱からみのりの名前の入った箱に詰め替えられ、

産業廃棄物は食品として店頭に並ぶことになる。

 

 「みのりフーズ」から買い付けた二次卸業者は、

「大手チェーン店の過剰在庫が格安で出まわることはよくあり不思議に思わなかった」。

つまり、メーカーの名前を隠して裏の流通経路をたどって流れる商品は珍しくない。

 

 在庫処分の商品の多くは、デスカウントショップなどに回され、アウトレット商品と明示して販売される。

メーカーによっては、自社ブランドに傷がつくことを嫌い、市場に流さない場合も珍しくない。

その場合、産業廃棄物として処分される。

寄付物件として老人施設や児童施設などに送られる場合もある。

この場合の商品は、立派に商品として成り立つ食品であることが鉄則。

 

 産業廃棄物として依頼されたビーフカツは約4万枚。

「ダイコー」はその大半を「みのりフーズ」に横流しした。

そのうち約1万枚が弁当店に横流しされた。

 

 格安弁当業界の競争も熾烈な戦いが続く。

300円を切る弁当の原価は、「40~45%以内という」。

つまり、一個当たり120円程度でご飯+付け合わせ+容器代などを差し引くとメインのおかずは

「60~70円」になってくる。

だから、賞味期限が近い、形が整っていない、在庫処分などの訳あり商品も仕入れなければならない。

 

 今回の横流し事件も、まさにこうした業界の事情の中で起きた不祥事なのだろう。

「卸に出どころは聞かないのが暗黙のルール」ということだが、

職業倫理に外れるようなことは絶対にしてはいけない。

 

(2016.02.09記)

 

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遺影と語る (翔の哀歌№16)

2016-02-06 10:00:00 | 翔の哀歌

遺影と語る (翔の哀歌 №16)

日常が日常でない日常を孫の遺影と語り過ごす 川越市の吉川清子さんの句(朝日俳壇2月2日付)。

 愛する人を失った悲しみが、心を打ちます。語り過ごす以外に何もできず、ただただ人の命の儚さと無常が悲しみとなってわき上がってきます。

 

彼が逝ってから丸二年が過ぎた。

辛く悲しい2年。

時間はあの日から止まったまま

今でも、お前が帰って来るのではないかと思う時がある。

 

夕方 食事前のひと時

ホテルの下の河口にでてリールを投げる

釣果ゼロ

だが、私たち二人はかけがえのない時間を

共有することができた

 

早朝 夏の浜辺 流木に腰掛け、

リールの竿先をじっと見つめる

彼にとっては初めての海釣り

時間だけがゆっくり流れていく

 

流れていく時間の中で

私は彼と過ごせる時間が

なんと穏やかで 心地の良いものかと

ささやかな幸せに浸っていた

 

その年の冬

彼は帰らぬ旅に立ち

私は物言わぬ遺影の中の

14歳の彼に向かって

語りかける日々を迎える

 

今はただ、「合掌」と彼の冥福を祈る。

                                         (2016.2.4記)

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幸せの指標 ことのは散歩道(№23)

2016-02-04 10:30:00 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道 (23)

幸せの指標

明日やることがある人が

一番幸せ

 ※ 落語家 三遊亭好楽

 次のように言葉は続く。 

「喫茶店に行くと、たまにモーニングコーヒーを昼までかけて飲んでいるお年寄りがいますよ。

急いで飲んだってやることがないんでしょうね、時々ぼーっと天井見たりなんかして。

それに比べたら、借金返さなきゃなんないし、晩の買い物もあるし、もう何だか忙しくって、

なんて言ってる人の方がよっぽと幸せですよ」と。

 

 数年前のバラエティー番組「所さんのダーツの旅」で、

日向ぼっこしている老人に「何をなさっているんですか?」と問いかけた。

「することなんかなぁーんにもねえさ、ただ死ぬの待っているだけだ」と。

老人の言葉は明快だ。

ここには負のイメージが全く感じられない。

老いていく自分と、年々社会的役割から遠ざかっている老人の姿が見える。

だが老人はそんな自分の姿を笑い飛ばしている。

生きることの意味と老いていくことの意味を理解した老人の言葉には、

「明日もまた天気が良ければ、日向ぼっこをして一日を過ごすさ」。

これが俺に許された仕事だと老人は言いたかったのだろう。

 

 朝目が覚めて、「さて長い長い今日一日をどうして過ごそうか」と思うのは、少しばかり寂しい生き方だ。

挙句の果てに「早くお迎えが来てくれないかな」思う自分がいることに気づき愕然とする。

幸せの意味は人それぞれに異なるだろう。

お金が欲しい、名誉や地位も欲しい。

家族にも恵まれたい。

病気で苦しんだ人は健康であることを、「幸せ」と感じる人もいるのでしょう。

「平凡に暮らせること」を幸せと感じる人も多い。

平凡に感謝し、明日も今日と同じような日が訪れることを願う人は多い。

だが、平凡を支える一人一人の努力がなければ、

健康も、家族のだんらんも縁のないものとして遠ざかってしまう。

 

 「今日できることは、今日やる」という生き方があって、

「明日もまた昨日に続く日」を迎えることができれば、人生は粋に感じることができる。

その上で「明日できることは、今日やらない」という生き方を実践できれば、

心豊かに生きることができる。

(2016.2.3記)

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読書案内「恐山」 車谷長吉著

2016-02-02 16:00:00 | 読書案内

読書案内「恐山」(愚か者 畸(き)篇小説集 所収)

車谷長吉著 角川書店2004.9刊 現在品切れ中。

 不思議な余韻が残る

 

 400字詰め原稿用紙4枚足らずのこの掌小説は次のような文章で始まる。

  私は本州最北端の恐山へ行った。

ここは人の死後、その霊がただよい集まって来るところである。

バスを降りて歩いていくと、幅二間ほどの川が流れていて、左手の静謐な湖へそそいでいた。

川には天の橋が掛っていた。

渡り終ると、そこの裸土の上に「三途の川」と記された石柱が立っていた。

 はたして私は三途の川を渡ってしまったのであった。

 現実の世界から仮想の世界に入ってしまったということか。

以後、霊場・恐山の描写が次のように続く。

 真夏であるにもかかわらず氷雨が降りしきり、吹き起こる風に鴉の群れが、天に渦巻いていた。

瘴気(しょうき)沸ったち、草木は枯れ、…()… 

死霊鎮魂の石積みが数知れず、その石積みに差された紅の因果の風車(かざぐるま)がうなりを上げていた。

 荒涼とした霊場の風景、それは現実の恐山の風景でもあり、「私」の心象風景でもあるのだろう。

続く描写は、

私は霊場の地べたに額づき、また石を積み、亡き父に己の罪科をわびた。

 そうか、父に罪科を詫びるための恐山への旅だったのか。

とここまで読んで納得。

しかし、父への鎮魂の描写は、これ以降全く出てこない。

これで物語の半分である。

 作中の「私」はこの後再びバスに乗り、

津軽海峡の激しい波濤に洗われる「仏が浦」を目指すことになるが、

亡父とは全く関係のない不気味な世界へ読者を運んでいく。

どうやら、若い女との不倫旅行らしいのだが、この女の描写はほとんどない。

 不倫旅行には全く不釣り合いな場所に、女と二人秘境の宿に泊まり、「私」は異様な体験をする。

そして、読者をあっと言わせる結末に、この掌小説の不気味さと、

心に刺さった棘のように気になって忘れられない不思議な余韻が残った。

 

 余話:「畸篇小説」とは作者の造語らしいが、「畸」とは、意味の解らない、人とそり合わない、孤立した状態、風変わりな状態などという意味らしい。ここに収められた31の掌編はそれぞれに独特の世界を醸し出し、読者を魅了し、或いは嫌悪感を持たせるような内容である。作者の直木賞受賞作「赤目四十八滝心中未遂」もまた、社会の底辺に生きる人間のどうしようもない姿を描いた小説であった。

 著者 車谷長吉は2015.5.17に逝去 享年69歳

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