雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

遺影と語る (翔の哀歌№16)

2016-02-06 10:00:00 | 翔の哀歌

遺影と語る (翔の哀歌 №16)

日常が日常でない日常を孫の遺影と語り過ごす 川越市の吉川清子さんの句(朝日俳壇2月2日付)。

 愛する人を失った悲しみが、心を打ちます。語り過ごす以外に何もできず、ただただ人の命の儚さと無常が悲しみとなってわき上がってきます。

 

彼が逝ってから丸二年が過ぎた。

辛く悲しい2年。

時間はあの日から止まったまま

今でも、お前が帰って来るのではないかと思う時がある。

 

夕方 食事前のひと時

ホテルの下の河口にでてリールを投げる

釣果ゼロ

だが、私たち二人はかけがえのない時間を

共有することができた

 

早朝 夏の浜辺 流木に腰掛け、

リールの竿先をじっと見つめる

彼にとっては初めての海釣り

時間だけがゆっくり流れていく

 

流れていく時間の中で

私は彼と過ごせる時間が

なんと穏やかで 心地の良いものかと

ささやかな幸せに浸っていた

 

その年の冬

彼は帰らぬ旅に立ち

私は物言わぬ遺影の中の

14歳の彼に向かって

語りかける日々を迎える

 

今はただ、「合掌」と彼の冥福を祈る。

                                         (2016.2.4記)

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道祖神のほほえみ

2016-01-03 19:09:31 | 翔の哀歌

 翔太郎哀歌(15)

  道祖神のほほえみ

 例年になく穏やかで暖かい正月です

 

 

 孫が14歳の暮れに早逝してから、3度目の正月を迎えることになりました。

元気でいれば今年の春は高校3年生です。

一年目の正月は外出もせず家の中にこもったままの哀しい正月でした。

2年目の正月は少しだけ元気になり、賀状をいただいた人に「寒中見舞い」という形でお礼を申し上げました。

 

 

 3年目の今年、彼が元気だったころの写真の中から、

安曇野の道祖神の写真を見つけ、

はがきに刷り込むことにしました。

 

春の柔らかな木漏れ日の光を浴びて肩を寄せ合う三人の姿がほほえましく優しく思えたからです。

少し首を傾げた優しい両親に囲まれ幸せそうに微笑んでいる孫の姿が思い出に重なります。

合掌した手のひらに、どんな思いが込められているのでしょうか。

 

 老妻と二人静かで暖かい正月を迎えられたことに感謝です……

 

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翔太郎哀歌(14) 空のむこう側

2015-12-28 15:47:25 | 翔の哀歌

空のむこう側

 早いもんで

 翔が逝ってから2年になる。

 12月初旬の寒い日の夕方

 翔の悲報が電話から流れてきた

 「翔が死んじゃったよ」

 電話のむこうで号泣する長男の声

 

 夜の高速道路を飛ばして5時間半

 すでに体温の低下した翔の頬を撫でながら

 あふれる涙をこらえることができなかった

 

 もの言わぬ14歳の孫の寝顔は

 安らかで、生前のやさしさと暖かさをたたえていた

 だが、迎える言葉もぬくもりもない

 

 昨日のことのようにように 鮮やかによみがえってくる

 翔への想いは時を経ても変わらない

 

 雪を抱いた常念岳をはじめ北アルプスの山並みが

 神が作った荘厳な壁のように連なっている安曇野の冬

 槍も穂高もお前が登りたかった山だ

 

 「旅人になりたい」と言っていた翔は

 今、北アルプスの雪で覆われた天空を

 「帰らぬ旅人」になって翔(とん)でいるのだろうか

 

 安曇野から300㌔も離れた茨城で

 落ちてゆく夕日が赤く染める西の空を眺めながら

 希望を果たせず早逝した翔のことを思うと

 目頭が熱くなってくる

 

 翔よ

 翔が舞う空のむこうには

 やすらぎはあるのだろうか

 

 旅人は時が経てば自分が生まれ育った故郷へ帰るという

 翔よ

 疲れて故郷が懐かしくなったら

 旅の翼をやすめに戻ってくるといい

 14歳の翔を

 お前を愛してやまなかった父や母が

 爺ちゃんや婆ちゃんが

 いつでも抱きしめてやるよ

 

 空の果てを仰ぎながら

 白髪がめっきり増え、急に歳をとった私は

 「翔よ」と毎日呼びかける

 

 

 

 

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懐かしい安曇野の風景 今は悲しい風景

2015-12-15 11:05:06 | 翔の哀歌

アルプス公園北口から さわやかな風2 さんのブログから

   懐かしい安曇野の風景 いまはつらく悲しい

 「さわやかな風」さんの「アルプス公園北口」からの写真、懐かしく拝見しました。

  赤いお屋根の三角帽子は、県立こども病院。遊びたい盛りのたくさんの子どもたちが

  入院して闘病生活をしています。ある日、隣のベッドの子どもがいなくなり、白いシーツが

  目にまぶしい。

  ひとつ、小さな命が消えていった……

  命の火が消えたことを

  「電池が消えた…」と表現した子どもの感性が、なんとも切なく悲しく感じました。

  14歳で早逝した孫の家が近くにあり、常念岳が見える田んぼのあぜ道や、

  川のほとりを小さな手を握りながらよく散歩をしました。

 

    アルプス公園の写真とても懐かしく、拝見させていただきました。

    孫と遊んだ「夏の烏川渓谷」など、合わせて思いだすことができ感謝しています。

    今では、辛く悲しい思い出としてよみがえってきますが、

    遠く茨城に住む私にとっては、安曇野の現在の情報は、

    孫との接点になり、悲しいけれどとてもうれしいプレゼントになります。

    ありがとうございました。

       ※ 「さわやかな風 2」さんへ

            ココログ「さわやかな風」へのアクセス方法がわからないのでこのページ

            で、感謝を述べさせていただきました。

 

   

 

 

 

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長野・常念岳

2015-12-13 16:00:07 | 翔の哀歌

さわやかな風(2)」さま

  長野 常念は悲しい

 雪をかぶった常念岳の写真  懐かしく眺めました。

 2年前のあの日 悲しいお別れの日 

 安曇野から眺める常念は

 雪雲におおわれ  ついに姿を現してくれませんでした。

 

 彼は15の春を待たずに早逝してしまいました

 いくら叫んでも もの言わぬ姿になった私の孫は

 もう二度とその軽やかな声やキラキラ輝くひとみを

 見せてはくれません

 

 山が好きで いつか槍に登ってみたいといつも言っていた

 彼の夢は北アルプスの夢や  自転車で走ることでした

 「旅人になりたい」と言っていた彼は

 永遠に帰らぬ旅人になって 安曇野の空に 旅立って行ったのです

 

 2年が過ぎた今でも 突然彼が現れてくるような気がして

 安曇野の遠い空を 思いやる日も珍しくありません

 

 遠い茨城の空から、彼の生まれ育った安曇野の空を思い

 西の空にそびえる 常念岳やその奥の蝶が岳などを思い

 乗鞍は雪に埋もれているか 

 燕岳の岩々はすっぽりと雪に覆われているのだろうかと

 悲しい時を過ごすことも珍しくない

 

 「さわやかな風(2)」さま 

 常念の写真ありがとうございました。

 安曇野は 懐かしく 楽しい思い出のたくさん詰まった素晴らしいところです

 安曇野のどこかに 今でも彼がいるような気がして 仕方がありません

 どうか 機会がありましたら また長野 安曇野などの写真を

 アップしていただければ 幸いに存じます

              (雨あがり)

 

 

 

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優しさを残して

2015-06-07 22:30:00 | 翔の哀歌

 優しさを残して

 雨が降れば、田植えの終わった田んぼで、成長期を迎えた早苗たちが、水面(みなも)を渡る風に揺らいで、そよそよとささやく。

朝顔のつるも元気よく支柱に絡まり、天を目指して這い上がる。

梅雨を目前にして、早咲きの紫陽花が咲き始めている。

 

 幕末の出島のオランダ商館付の医師シーボルトは愛妾「お滝」の名にちなんで「オタクサ」と命名したと言われています。

当時ご禁制だった日本の地図を持ち出そうとし、幕府に発覚、国外に追放になったシーボルトは紫陽花を、

優しく可憐な花として「お滝」のイメージにダブらせたのでしょう。

 

 紫陽花の花に隠れてかたつむり

 

 14歳で早世した翔太郎の残した句です。

あの日、眠るように横たわる物言わぬ翔太郎の枕辺に飾られた短冊が、今でも鮮やかによみがえってきます。

どこの紫陽花を詠んだのか誰にもわからないが、心だけは伝わってきます。

 思わず頬を摺り寄せるようにして顔を近づける。

ふんわりとした花が、少し冷たく、湿り気を含んで、頬に触れ、かたつむりが花陰に隠れるようにして這っている姿をとらえる。

ひっそりと息づいているかたつむりに想いを馳せる。

 誰にでも優しかった君の感性は、かたつむりの静かな息遣いを見逃さなかった。

将来の夢を問われ「旅人になりたい」と私に答えた、あの眼鏡の奥のはにかむ様な小さな目がかすかに笑っていた。

その目がかたつむりの「命」をとらえたのだ。

 通学路の途中に、北アルプスの影を映す6月の田圃に、君の生まれ育った安曇野には紫陽花がよく似合う。

 

たくさんの友達を作り、14歳の命を精一杯に咲かせて、逝ってしまった翔太郎。思い出をありがとう。

君と魚釣りをした勤行川の紫陽花ロードも、もうすぐ花の盛りを迎えるよ。          (翔太郎哀歌 №10)  2015.6.7

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哀歌 翔よ!!(10) 一年が過ぎたね

2014-12-09 14:56:53 | 翔の哀歌

 一年が過ぎたね

翔よ

 君が彼岸へ旅立ってから、一年の時が流れたのですね。

 あの日から、とても辛く、哀しい毎日が今も続いています。

 まるで時が止まってしまったように……。

 君のご両親や竹内の祖父母、茨城の私たちは

 片時も、君のことを忘れたことはありません。

 

 君が優しく慈しんだ、妹たちの机の上には、

君のこぼれるような笑顔の写真が飾ってあります。

妹の樹や優歩、あろ花たちがいつまでも君のことを忘れないようにと、

君が愛してやまなかった優しいご両親の、

君への思いやりを感じることができます。

 

 君が可愛がっていた義行はまだ小さくて、

君がいなくなったことを理解できないと思いますが、

もっと大きくなった時に、ご両親や妹たちから君のことを聞いて、

「ぼくには優しいお兄ちゃんがいたんだ」と、

笑顔のこぼれる写真や学友たちが持ってきてくれた写真を見ながら、

「優しいお兄ちゃん」のことを思い浮かべることでしょう。

 

 翔よ、

君の妹弟たちは元気に、君のように優しく、素直に

そして、明るく確実に成長していますよ。

ご両親や私たちには、このことが何よりも救いになります。

 

しかし、大切な君を喪った哀しみは大きく、

大きく開いた心の傷は、なかなか回復しません。

回復するには、まだまだたくさんの時間が必要です。

昨日も今日も、そして明日も……ずーっと続いていく悲しみかもしれません。

 

翔よ、

君のことは、忘れないよ

 

翔よ、

もう少し時間をください。

私たちは、きっと元気になれるから

「旅人になりたい」といった君は今、

天空を飛「翔」し、豊かな翼を広げながら、

昼も夜も、

君が生まれ育った安曇野の街を、

憧れだった北アルプスの山並みの上空を舞っているに違いない。

 

君の家の周りには、薪ストーブ用の薪が、積み重なっているよね。

君は今、その天空から君が育った家を眺めているのでしょうか。

君には見えるはずです。

あの赤々と燃え、家中をほんのりと暖かくする薪ストーブの火が。

もっと近づいてごらん。

君が焚いていた薪を、君がいなくなった今は

君のお父さんや、お母さんが焚いている。

 

君を喪った哀しみに耐えながら薪を焚くたびに、

君の在りし日の元気な姿を思い出しながら、

君のご両親は「最愛の翔」を喪った哀しみをひとつひとつ食べながら、

明日は、今日よりは少しだけ元気になりたいと、

心のなかで哀しみと戦っているのです。

 

翔よ、

だから、もう少し時間が欲しいのです。

いつの日か、君が羽ばたく天空に向かって

「おおーい、翔太郎よ、ここまで元気になれたよ」と、

物言わぬ君に語りかけられる日が来ることを誓います。

                         合 掌

                     2014128日 翔の命日の日に

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哀歌 翔よ!!(9)供養花火

2014-08-15 11:45:13 | 翔の哀歌

 供養花火

 「点火した火が、導火線をチリチリと走っていく瞬間」

「夜空を駆け上がる火柱がはじけて花になる直前」、

技を競って打ち上げるこの瞬間に花火師たちは緊張と至福の恍惚を感じるといいます。

この魅力に取りつかれた花火師たちが、小貝川の夜のやぶの中を走り回る。

ヘッドランプがせわしなく動く様子で、花火師たちの動きが手に取るようにわかります。

「家内安全、商売繁盛、健康祈願、逝ってしまった人たちの冥福を祈る供養花火」等々、

花火師たちは託されたそれぞれの思いを花火に込めて打ち上げる。

 

 彼岸に旅立ってしまった孫の翔よ!!

お前が旅立ってから、八カ月が過ぎました。

「天に届けよ」と、お前が旅立った空のかなたに向かって、

輝く光の花を打ち上げました。

 

 お前を失った悲しみは、決して消えることはないが、

せめて、せめて、こうして供養の花火をあげることによって、

お前に近づきたい。

 哀しい思いを打ち上げ、少しでも翔に近づけるのではないか。

翔よ!!

いつかきっと、私たちが元気になれた時、

笑顔で花火があげられるよう、

その時が来るまで、努力をして生きてゆきたい。 

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哀歌 翔よ!! (7) やっと巡り会えた

2014-06-08 20:00:00 | 翔の哀歌

哀歌 翔よ!! (7)

 やっと巡り会えた

照明の落されたコンサート会場の予約席に座った。

 レストランの会場は、30席ぐらいのこぢんまりとした落ち着いた雰囲気で、

静かな時間がゆったりとたゆたっていました。

 6月の梅雨に入る少し前の最初の日曜日の午後、

私は、異質な観客として、照明を落とした会場にいた。

 浜田正さんの「歳を取るのもいいもんだ」。

昨年の12月に、14歳の孫翔を事故で失くしてしまった。

その翔が好きだった歌「歳をとるのもいいもんだ」。

やっとその歌に巡り会えた。

 「あいつが好きだった歌だが、告別式の葬送の歌には使いたくない。

あまりにも悲しくて……」。

耳にこびりついて離れない翔の父親の言葉。

 この会場に来て、「やっとあえるよ!お前の好きだった曲に」胸の内で何度も繰り返し、

翔にささやきかけた。

 浜田正さんの元気な歌声が会場に満ち、会場の雰囲気が一気に盛り上がってくる。

同時に私は、こみあげてくるものを必死でこらえながら、

「翔、お前の気持に少しだけ近づくことができたよ」と語りかけた。

「この短い時間を、おまえと共有できたことをとても幸せに思うよ」。

 

 今日のこの日をセッティングしてくれた、

熊谷様、浜田様、そして大貫夫妻に感謝し、

「お前の優しさが、きっといろいろの人たちと、私たちを結びつけてくれるのだね」と、

星になった翔にささやきかけます。

 

 みなさん本当にありがとうございました。

 今日は翔の月命日です。

「歳をとるのもいいもんだ」を聞きながら、楽しかった日々を思い起こしています。

(2014.6.8)

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哀歌 翔よ!! (6) 突然の訃報

2014-03-02 11:38:02 | 翔の哀歌

哀歌 翔よ!! (6)

突然の訃報

 2013年12月8日(土)。

年の瀬の忙(せわ)しない日々が少しずつ感じられ、

年賀状の準備など新年を迎えるための諸事に取り掛かり始めた。

おそらくは今年最後の通信になるだろうはがき

(日々の雑感、読書紹介、映画鑑賞等、特に原発問題や東日本大震災には力を入れシリーズで発信していた)

を、『見えない心(より良き支援のために)』というタイトルで約900字にまとめ、

はがきに印刷し宛名を書き、明日の日曜日に投函できるように、

書斎の机に置き、所用を思いだし近くにある福祉センターにでかける。

こうして一日が終わろうとしていた。

(このはがき通信は、突然の訃報により投函する時期を逸し今でも私の手元に保管されている)。

 

 今日、この文章を書くにあたり、これを読みなおし、私は唖然とした。

一般論として書いた内容が、訃報を受けた私の心境にぴたりと重なっているのだ。

以下、冒頭の数行を引用します。

 

 『人の気持ち(こころ)は、絶えず変化し、いつも不変ということはありません。

昨日はとても元気で、会話もはずみ、優しい頬笑みさえ浮かべて、とても穏やかに話すことができたのに、

今日は顔色も悪く、表情も暗く、会話もはずまない。

いったいどうしたことなのか…』と。

 

 夕方の5時少し過ぎだったと思う。

陽が落ちて暗くなった外気は、徐々にその温度を下げ、寒さがジワリと忍びよってくる。

食事にはまだ間があり、快い疲労感が私を包んでいた。

電話が鳴る。

「長野県からです。長野県からです」

電話が告げる声を聞きながら、ああ、長野の孫たちからの電話だろうと、

長椅子から手を伸ばし送受器をフックから外す。

「はい」、答えた私に孫の声ではなく、長男の声が響いた。

「お父さん、翔が死んじゃったよ」。

号泣の中で、「翔が死んじゃったよ」を繰り返す声。

後は言葉にならない。       (2月末記)

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