読書案内「山の霊異記 霧中の幻影」(2)
安曇潤平著
第2話 ついてくる女
九月。
北アルプスのある山で起きた不思議な話。
夏の最盛期を過ぎた山は静かだ。
背中に視線を感じ振り返ってみると、
女性登山者がゆっくりと登ってくるのが見えた。
異変に気がついた。
廣瀬がゆっくり登ろうが、
意識的にハイペースで登ろうが、
女はいつも彼と一定の距離を保って登ってくる。
森林限界を超え稜線に足を踏み入れる。
歩きながら恐る恐る後ろを振り返る。
すると……。
いるのだ。
霧の中に例の女が。
ゆっくりと廣瀬の後ろをついてくるのだ。
前髪を垂らし、
うつむき加減でゆっくりとこちらに向かってくる。
「うわあ!」広瀬は逃げる。
友人の根津の待つテントに逃げ込み、
広瀬は、「おんな」から逃れることができた……と、思った。
夜。
テントの外に人の気配を感じて目を覚ました広瀬の目に飛び込んできたのは、
「あのおんな」だった。
広瀬は凍り付いた。
「おんな」はヘッドライトもつけずに、
根津のテントの前で中をのぞき込むような格好で立っていたのだ。
憑依(ひょうい)現象。一定の人に憑依する場合と、人から人に移動する霊があります。
第三話 ぼくちゃん
舞台は伊豆の小さな一軒宿。
40過ぎの美しい女将。
掃除の行き届いた部屋。
夕食は豪華でうまいし、温泉もいい。
主人が漁師をしているので食事だけは自慢できると女将は言う。
「ぼくちゃんが、お客さんはお酒が好きそうだからきっと喜ぶよ…」と言っていたと女将が部屋に持ってくる。
女将はしきりにぼくちゃんと言うが、
この宿に着いてから俺は、
一度も子供と顔を合わせていないのだ。
不思議なことと言えば、
この宿に泊まっているもう一組の客の姿も一度も見ていない。
俺は女将以外、
ぼくちゃんはおろか、
漁師をしているという主人とも一度も会っていないことに気づいた。
二か月後、
あのぼくちゃんからハガキが届いた。
誤字脱字を交えた、子供らしい拙(つたな)い文章をみて背筋を寒くした。
ハガキに書かれた文字は、
達筆な行書体で流れるように書かれ、
いかにも成熟した女性の文字だった。
一軒宿に泊まった体験談だが、謎の多い短編だ。昔ばなしに登場す狐に化かされた話を連想するが、女将の正体は何か。幾晩か連泊した時、主人公に何が起きるのか、興味が尽きない。
柳田国男の「遠野物語」に登場する宿とも重なり合う。
(読書案内№94) (2016.12.16記) (つづく)