雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

映画「さまよう刃」④-①長峰の憎悪

2010-09-29 15:31:28 | 映画
 舞台は変わって、東京・上野駅近辺の繁華街。

 人の行き交う雑踏をかき分けるようにして、猟銃を持った長峰が
 逃げる少年を追う。

 同じく刑事たちが、
 少年犯と長峰の逮捕に威信をかけて、
 雑踏の中をさ迷う。

 写真の場面を見ていただきたい。
 
 少年を捕らえ、猟銃をつきつける長峰。

 憎悪の引き金が今まさにひかれようとする緊迫した状況。

 拳銃を構える刑事たち。

 冷静に長峰を凝視する真野刑事。

 突然織部が前面に飛び出し、
 拳銃を構える刑事たちを制止し、
 長峰を説得し
 投降を呼びかける。

 長峰の表情はかたくなに説得を拒否する。
 恐怖におびえ、膝まづく少年犯。

 あえぐ少年ののど元に銃口が食い込み、引き金が絞られる。

 銃声一発。

 全ての事が結末へ向かってなだれ込む緊張した一瞬である。
                             
                          (つづく)

    (友人・知人へのはがきをブログ用に編集して記載)
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映画「さまよう刃」③ 若い刑事の苦悩

2010-09-25 09:49:28 | 映画
 愛娘を殺された父親・長峰(寺尾聡)のやり場のない悲しみと怒りが観客に訴えかける。

 『あなたの愛する一人娘が、レイプ、薬物投与という凄惨な目にあって殺されたら
  あなたは、その犯人が未成年者だということで許すことができますか』と。

 今回は長峰を追う担当刑事織部(竹野内豊)と真野(伊藤四郎)に焦点を当ててみたい。

 「菅野(未成年の殺人逃亡犯)のような者を、少年法は更生するチャンスを与えるため    
  に、法の力で守ろうとする」。

  長峰を追う過程で若い刑事織部は、長峰に同情以上のものを感じ、少年法の矛盾を
  ベテラン刑事・真野に激しい怒りをもってぶつける。

  「矛盾があろうとも法は法。警察は長峰を追い、逮捕しなければならない」
   と真野はどこまでも冷静沈着である。

   「刑事として自分にできることは何もないのか」

    織部の心は揺れ動く。

   
    衝撃の最終章にむかって、
    長峰、織部、真野が対峙する日がやってくる。
    
                        (つづく)

                  (友人・知人へのはがきをブログ用に編集して記載)
 



 

 
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旅の途中№2 土湯峠・高見楢吉歌碑

2010-09-23 09:17:42 | 旅の途中(文学の散歩道)
  福島県磐梯吾妻スカイラインの入り口に高湯温泉はある。 
 全部で7~8軒ある温泉宿の旅館・玉子湯の露天風呂に入る。
 白濁湯の硫黄の匂いが強い露天風呂は、渓流に沿ってあり野趣満点である。
 硫黄の匂い=ゆでたまごの匂い、が旅館の名前の由来なのだろう。
 
  ゆっくり湯につかり、体の心地よい火照りが冷めないうちに
 ふたたび上りこう配の道を走るとすぐに、磐梯吾妻スカイラインの料金所に着く。
 やがて、左に荒涼とした浄土平らの噴煙を眺め、右手には標高1707mの吾妻小富士を
 眺めながらの快適なドライブ。

  車窓に展開する高原の景色を眺め、車を走らすうちに土湯料金所が見えてくる。
 そこが、平均標高1350mの「日本の道100選」のスカイラインの終点である。

  ここに高見楢吉の高さ2mの歌碑が台座の上に聳え立っている。

    土湯峠の視野の涯にて
       碧々し(あおあおし)
         桧原小野川秋元の水

          この土湯峠に立ってはるか下界の涯
         碧く(あおく)かすむ景色の中に
         桧原湖、小野川湖、秋元湖の湖水が
         白く光っているのが見える。

          「視野の涯」と詠んだことがこの歌のスケールを
          大きなものにしている。

          雑草におおわれ、
         人々に忘れられたような歌碑の前のススキが
         初秋の訪れた土湯峠の風に、ゆらゆらゆらいで
         旅の疲れを忘れさせてくれた。
                          (2010.9.19) 



















  
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(3)

2010-09-18 13:50:18 | 旅の途中(文学の散歩道)
 松原跡地に建つ文学碑については、前回(2)でも示しましたがもう一度書き込みます。

『絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 
 運命に従ふものを勇者という』とある。

 この文学碑の文章は清三の真摯な生き方を思わせて彷彿とする。
 碑文は、清三の日記からの抜粋であるが、日記はさらに続く。

 清三の日記。
  『弱かりしかな、不真面目なりしかな、幼稚なりしかな、空想児なりしかな、
 今日よりぞわれ勇者たらん、今日よりぞわれ、わが以前の生活に帰らん』

 決意も新たに、再出発を期す清三だが、
 その頃すでに清三の体は病魔・結核に蝕まれ始めていた。

  弥勒高等小学校跡地から県境の利根川の近くには、利根川松原跡があります。
 主人公の林清三が子どもたちとしばしば訪れた場所です。
 原作の描写は、

  『平凡なる利根川の長い土手、その中でここ十町ばかりの間は
  松原があって景色が目覚めるばかりに美しかった……』とあるが
  今はその面影はなく、まさに「松原跡」なのです。

  ふたたび原作から、
  『清い理想的の生活をして自然の穏やかな懐に抱かれていると思った田舎もやはり
  闘争の巷、利欲の世であることがだんだんわかってきた。 (略) 彼はある日、
  また利根川のほとりに生徒を連れていったが、その夜、
  次のような新体詩をつくって日記に書いた』

    松原遠く日は暮れて
      利根の流れのゆるやかに
    ながめ淋しき村里の
      ここに一年(ひとせ)かりの庵(いほ)

    はかなき恋も世も捨てて
      願いもなくて誰一人
    さびしく歌ふわがうたを
      あわれと聞かんすべもがな
           (写真は利根川松原跡に建つ文学碑・原作の中の詩です)

   この小説の最終章。
    『秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡って、
    寺の裏の森は潮(うしお)のように鳴った。
    その森の傍らを足利まで連絡した東武鉄道の汽車が
    朝(あした)に夕(ゆうべ)にすさまじい響を立てて通った』

      寒村の荒涼とした風景は、理想を追い、真摯に生きようとしながら
     21歳で病死した清三の若き日の心象風景だったのかもしれない。


         小林秀三について(小説では林清三)

           秀三は学校の成績も良く特に「理科」「音楽」「作文」に
           すぐれたものがあったようです。埼玉第二中学校を卒業す
           し、弥勒高等小学校の教師になりました。
            月給は12円、良き友人や同僚に恵まれた生活でしたが、
           友人たちがそれぞれの道で活躍する姿を見聞きするにつれ
           田舎の教師としての自分にあせり、苦悩しながら与えられた
           人生を精一杯生きようと努力するが、3年余りの教師生活で
           21歳という若さで病死してしまいます。
            死後発見された秀三の日記をもとに、5年の歳月をかけて
           田山花袋は「田舎教師」を書きあげ自然主義文学の代表作に
           なりました。
            モデルとなったのは、秀三だけでなく彼を取り巻く7~8名
           の実在者がいますがここでは割愛します。
         
                                    (おわり)

                             旅の途中№1(田舎教師③)

      



      

     


 
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(2)

2010-09-11 21:54:33 | 旅の途中(文学の散歩道)
 建福寺には小林秀三の墓もあります。弥勒高等小学校跡地近くには円照寺があり、
ここには小説の中で「小川屋のお種さん」として登場する小川ネンさんの墓と資料館もあるようです。

 「田舎教師」の冒頭は次のようにして始まります。

『四里の道は長かった。その間に青縞の市(あおしまのいち)のたつ羽生の町があった。
 田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。
赤い蹴出し(けだし) を出した姐さんがおりおり通った。
羽生からは車に乗った。
母が徹夜して縫ってくれた木綿の三紋の羽織に新調のメリンスの兵児帯(へこおび)、
車夫は色あせた毛布(けっとう)を袴の上にかけて、梶棒を上げた。
なんとなく胸がおどった。
清三の前には、新しい生活がひろげられていた。
どんな生活でも新しい生活には意味があり希望があるように思われる』

 こうして、新しい生活に胸躍らせた清三の無垢で多感な青春が始まります。

 学校跡地の一画には花袋の文学碑が建っています。

 『絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 運命に従ふを勇者といふ』

 清三の日記からの文章であるが、清三は日記にこのように書くことによって、
 自分自身への戒めと励ましとしたのでしょう。

  (写真は2006.3.2撮影)
旅の途中№1(田舎教師②)
                                    (つづく)

                 
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(1)

2010-09-08 22:22:05 | 旅の途中(文学の散歩道)
 この小説にはモデルがあり、数年前に現地を訪問したので、そのことを少し書いてみます。
 花袋は群馬県館林市(旧栃木県館林町)に生まれています。

 埼玉県羽生駅の近くに建福寺というてらがあり、この辺一帯が小説の舞台になっています。
 
 主人公・林清三が新任教師として下宿した成願寺は建福寺のことです。
 
 モデルとなった小林秀三は実際にこの寺の旧本堂に下宿していたそうです。
 
 当時の住職太田玉茗(小説では山形古城)は、花袋の義兄にあたり、
 花袋の妻はこの舟生から嫁いできた。
 
 こうした関係で、花袋はこの義兄から小林秀三の死後、日記に書かれていたことを聞き、
 肺結核のために21歳で亡くなった青年教師小林秀三(小説では林清三)の
 苦悩の青春像を「田舎教師」として小説にまとめました。

 小説には実在の場所や建物がたくさん登場し、
 熊谷、行田、羽生の農村風景など当時を彷彿と思いだせるようです。

 (写真は弥勒小学校跡地の道路を挟んで建つ小林秀三の銅像である。
 ひなびた田舎の田園風景の中に立つ小学校だったはずだが、跡地には当時の建物はなく、 秀三の銅像が数本の松の木に囲まれて、小学校が建っていた方向を眺めていた。     2006.3.2撮影)
                                    (つづく)

                           旅の途中№1(「田舎教師」①)        
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