雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「海炭市叙景」佐藤泰志著/小学館文庫

2011-02-24 22:03:05 | 読書案内

   北国の架空の街・海炭市(海に囲まれた、昔炭鉱で栄えた町というイメージ)に生きる人々の織りなす十八の人生を、海炭市の風景の中に淡々と描いて、読者のこころを離さない。

 大きな事件が起きるわけでもなく、主人公がいるわけでもない。十八のタイトルの中でそれぞれ異なる主人公たちが織りなす、人生の哀歓を、暗く寂れた街外れの海から吹いてくる風が身体の芯まで凍らすような街に生きる人々の暮らしぶりをていねいに描いている。

  除夜の鐘が鳴り終わってから、ありったけの乏しいお金を持って、389メートルの山のロープウエイで頂まで登り、初日の出を拝む兄妹。

 六畳ひと間のアパートの部屋中探して、ありったけのお金を集めた。それがたったの二千六百円。27歳の兄と21歳の妹。

 去年の春、勤めていた小さな炭鉱が閉山し、兄は失職した。

 もともと海と炭鉱しかない町に残ったのは、濃い疲労と沈黙と、わずかな退職金だった。     

 

  初日の出を拝んだ兄妹に残された小銭で、兄は切符一枚を購入し、自分は雪の積もった遊歩道を歩いて下りるという。

 だが、麓の駅に降りて待つ妹のもとに兄は帰ってこなかった。一時間待ち、二時間待ち四時間半を過ぎた頃には、「兄は道に迷ったに違いない」と確信するようになり、それでも心のどこかで無事にに戻ってくる兄を期待していた。5分が過ぎ、警察に連絡するために立ち上がった妹。

  「これでいいわね、兄さん」と、ひどく冷静で、信じがたい自分がいた。

  「あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪の事があってもだ。他人が兄や私をどう思おうと、兄さん、私はあやまらないわよ……」

  深い雪の中で力尽きる兄の姿がはっきりと目に浮かぶ。

  たったひとりの肉親を失うかもしれない状況の中で、私(妹)は、ますます固く心を閉ざし、明日の見えない薄明かりに立ち、公衆電話の受話器をとる。

 

  第一章「物語の始まった崖」の第一話「まだ若い廃墟」の物語は、こうして終わる。切り立った絶壁がなだれこむ込む海で、青年の遭難死体が発見される(=物語の始まった崖)。 兄妹が住んでいる町(炭鉱を閉山したばかりの活気のない街=若い廃墟)という意味が込められているようだが、第二話以降でこの兄妹が登場するわけではない、若い二人の不安と絶望を暗示してこの原稿用紙にして22枚の第一話は終了する。

  第二話(蒼い空の下の海)。連絡船で海峡を渡り父のいる故郷に帰った来た若夫婦。寒い甲板に立ちつくす二人…

  第三話(この海岸に)。この街のアパートに越してきた、幼い子どもを持つ夫婦。引っ越し荷物のトラックが来なくて、寒風の吹きさらす道路に立ち尽くし待っている男。

  第四話(裂けた爪)。家庭に問題を抱え焦燥した日々を送るガス店の二代目若社長。

  いずれも原稿用紙にして20枚位の短編であるが、詠んだ後忘れられない何かが残る。日常生活の中で起きる不安や無意識下のマンネリ、悩み、苦しみが淡々と述べられて行く。

 読後感の楽しい小説ではないが忘れられない小説である。ストーリー全体に流れているテーマがあるとしたら「仕事あるいは職業と人生」ということか。仕事とどう向き合い、人生を歩んでいくか丹念に書き込まれた短編集である。

 著者は、1990年、41歳の若さで妻子を残して自死。その理由は誰にもわからない                    

 

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「本能寺の変の真相に迫る」を読んで(2)

2011-02-20 07:37:17 | つれづれ日記

  小説「逆軍の旗」(藤沢周平著)から明智光秀の胸中を探る

 さて、私の大好きな小説家・藤沢周平は、その著書「逆軍の旗」で光秀の心境を次のように描写している。

 藤沢氏は(1)であげた「怨恨説」や「野望説」、「黒幕説」のどの説にも属せず、主君信長の人間性に視点を置き、謀反(逆軍)にいたった光秀の胸中を描いている。

 『信長との間に、ひそやかな乖離(かいり)が始まったのはいつのころだったろうか』と光秀の回想が始まり、以後信長の狂気ともいえる残虐無道が、光秀の視点で述べられる。

 

 信長は叡山の焼き打ちでは、三千の寺社、僧坊を焼き、経巻を焼きつくし、僧俗数千の首を切った。

 『そういう殺伐ができる信長という人物に、一瞬戦慄を感じた』光秀であった。

 叡山焼き打ち(元亀二年・1571年)の時に感じた違和感は、その後身近に起こったいくつかの出来事の中で、微妙に屈折し、信長と光秀の間の裂け目を広げていったようだ。

 本願寺・一向一揆を武力で鎮圧したときは、二万の男女を、城の周りに幾重にも柵をめぐらして閉じ込めた後で、四方から火を放ち焼き殺した。

 「そこまですることはない」と光秀は思う。

 正月朔日(ついたち)の岐阜城で、主君信長の狂気の兆候を、光秀は見てしまう。

 『信長は身内衆の酒宴の席に、薄濃(はくたみ)にした首三つを檜の白木で作った折敷(おしき)に乗せて出し、酒の肴にして興じた。(薄濃とは髑髏(どくろ)を漆で下地に塗って、その上に金泥(きんでい)で塗り固めたものであり、この時の首三つとは、前年に滅ぼした朝倉義景、浅井長政と長政の父久政の首であり、長政は信長の妹「お市」の夫でもあった)。

 薄濃の話は、一級資料といわれている『信長公記』に記載された一件であるが、大河ドラマで描かれたような、信長が光秀に向かって、この薄濃を盃代わりにして酒を飲むよう強要したというのは、シナリオ作者の創作である。

                                       (つづく)

 

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「本能寺の変の真相に迫る」を読んで(1)

2011-02-13 22:42:26 | つれづれ日記

  「本能寺の変」に関わる信長と光秀の関係で、

「なぜ光秀が謀反を起こしたのか」という謎に挑んだ小説は沢山あり、

すでに小説の材料としては出尽くした感がある。

 

 著者の谷口克広氏の小論を読むと

怨恨説から野望説、黒幕説まで多くの歴史学者をはじめ、

歴史家、小説家が競うようにして光秀の胸中を探ろうと独自の史論を展開してきたようである。

 

 歴史の解釈にも時代の流れがあり、前記の三説のどの説が有力か判然としない。

 

 種々の説が台頭するということは、資料をあさり、その限られた資料をどう料理するか、

つまりどんな切り口で資料を読むのかで、どの説を取るかが決まってしまうようである。

 

 真実は歴史の闇に飲み込まれ、なかなか先が見えてこないということなのだろう。

 

(邪馬台国の所在地でも、九州説と近畿説があり、新たな資料(遺跡)が発掘されるたびに論争を巻き起こしている)

 

 一方、もっとも一般受けする説は「怨恨説」であり、

NHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」でも「怨恨説」を採用しているようである。

 光秀に対して執拗に繰り返される折檻、無理難題を負わされ光秀を窮地に追い詰めていく信長。

 武田氏を滅ぼした後、「我々も骨を折った甲斐があった」という光秀に、

信長は並みいる武将の前で、「利いた風な口をきくな、お前はどんな血を流し、

どんな働きをしたのか」とののしるシーンも大河ドラマに描かれていたことを思い出します。

 

 やや説得力のある説として、

谷口氏は「明智軍記」(17世紀の終わりごろに書かれた本)に書かれている『中国出陣にあたって光秀は、

未征服の出雲・石見に国替えの命を受け、これまで持っていた丹波・近江の領地を召し上げられ、

中国で先陣を張っている秀吉の配下につけ』と、理不尽で屈辱的な下命を受ける。

 (このシーンは「江 姫たちの戦国」の中でも描かれ、光秀の指の震えとともに、無念の心情を余すことなく表現していたから記憶に新しい)。

  「怨恨説」の根拠として取り上げられる資料の一つである。

 

  「本能寺の変の真相に迫る」ー怨恨説から野望説、黒幕説までー 谷口克弘著

  (中央公論2011.1月号記載を参考にしました)

                                                  (つづく)

  

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時代映画に見るリアリティ(2)

2011-02-06 17:30:39 | 映画

 命を散らしていく場面を、これでもか、これでもかと描いて見せるリアリズムの裏に見えてくるものがある。

 「侍」とは何か。

 「武士道」とは。

 「忠義」とは。

 「命」とは、といった「生き方」に関する命題が浮かんでくる。

 血を流し悶絶していく男の場面に、現代に生きる我々は、命の虚しさを感じ、

 死んでいく者にある種の哀感を感じてしまうのではないか。

  こうした感情の果てに「命の尊厳」という最も現代的で新しいテーマが見えてくる。

重い命がグロテスクに描かれ、死んでいかなければならない男の覚悟が気高くさえ思えてきます。

 事実、(1)で示した三本の映画のシーンで私が感じたのは、自らの命を「断つ」という場面で、

 「悲しみに似た感情」を抱き、目頭が熱くなってしまった記憶がある。

 具体的にいえば、忠臣蔵で浅野内匠頭(たくみのかみ)の幕命による止むにやまれぬ切腹シーンに感じる

「悲しみに似た感情」である。

  現代劇では描くことが難しい「命」の問題を 「死」という側面から考えさせられた3本の映画でした。

                                                           (おわり)

 
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