北海道 旭川いじめ凍死事件 ②
旭川中二いじめ 第三者委員会による最終報告書について
最終報告書に触れる前に、①で示した概要のもう少し詳しい事件の内容を
お知らせします。
2021年2月⒔日夕刻、母親が外出した際に家を出ていって行方不明になった。
家を出る直前に爽彩(さあや)さんは複数の友人にLINEでメッセージを送っていた。
『今日死のうと思う 今まで怖くてさ 何もできなかった ごめんね』
メッセージを受けた友人の一人が、警察に通報し、母親は娘の疾走を知ることになる。
北海道旭川市の2月は寒く当夜の気温は零下17度にもなり、
外出時の服装が薄着だっことから安否が気遣われていた。
失踪から19日が経ち一向に行方はわからず、その痕跡さえつかめず捜査は手詰まりとなり、
旭川警察は3月4日、公開捜査に踏み切った。
母親は懸賞金まで掛けて、一人娘の爽彩の無事を祈った。
悲報が母親の元に届いたのは、3月23日の午後2時半。
失踪から38日が経っていた。
旭川の春は遅い。積雪の多い町は雪が解けずに根雪となって残る。
それでも遅い春の兆しは、積もった雪を徐々に溶かしていく。
やがて春が訪れれば、公園は雪解けを待っていた子どもたちの遊び場になっていく。
解けた雪の下から爽彩さんの体の一部分が姿を現したのを
公園近くの住民が発見した。
爽彩さんは凍り付いたままもの言わぬ遺体となっていた。
「安置所で遺体を見たら、間違いなくあの子だったんです。
娘は凍っていました。私は何度も娘に謝りました」 後日、取材に応じた母親の言葉である。
2019年4月、爽彩さんは北海道旭川市立の中学校に入学。
大人になる過程でくぐる門は、
たくさんの夢と少しの不安を抱えた少年少女たちの学び舎であるはずだった。
だが、爽彩さんへのいじめは入学間もない4月から始まった。
爽彩さんの顔は日を追うごとに暗くなり、顔つきが変わり、笑顔が消えてしまった。
異常な様子に母親は何度も、「娘はいじめられているのではないか」と相談した。
4月に1回、5月に2回、6月に1回の担任への相談は、母親の心配とは裏腹に
とても真剣に考え、対処しているとは思えない言葉が返ってくる。
「あの子たちおバカだから、いじめなどないですよ」
「今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか」(親族の話)
「いじめありますよね?調べてください」との母親の電話に、
早い時にはその日の午後や次の日に担任から連絡がくる。
「本当に仲のいい友達です。親友です」
母親の心配とは、具体的な根拠も説明せずに、熱意のない言葉が担任から帰ってくる。
報道によれば、いじめは徐々にエスカレートしていったようです。
母親が担任に相談した時点で、適切な対応をしていれば、
爽彩さんは、命を落とさずに済んだと思われ、
学校、教育委員会等の無責任な対応に激しい憤りを覚えます。
6月15日に爽彩さんは、公園に呼び出され、
自慰行為を数人のグループが見ているところで強要される。
グループのいじめはさらにエスカレートしていき、自尊心を壊された爽彩さんは、
更なる犯罪行為と思える様ないじめに遭い、自殺未遂を計ることになる。
「死ぬ気もねぇのに死ぬとか言うなよ」
と爽彩さんを煽ります。
爽彩さんは10人近くに囲まれ孤立無援の状況の中、4㍍の高さの土手を降りて、
川へ飛び込み、警察の出動となりました。
地元の情報誌「メディアあさひかわ」はこの事件を次のように報道しています。
自身の不適切な写真や動画を男子生徒によってSNSに拡散されたことを知った女子生徒が
精神的に追い詰められ、橋から飛び降りて自殺未遂を図った。
この事件後、爽彩さんは一連のいじめによるPTSDで苦しみ、2021年2月13日失踪し、
3月23日凍り付いた変わり果てた姿で発見された。
これが〈いじめ凍死事件〉の概要です。
凄惨ないじめの内容にまで触れた報道もありましたが、
爽彩さんが受けた心の傷を思うと、私にはこれ以上の詳細を書くことはできませんでした。
死亡した経緯について、
市の第三者委員会がおよそ1年4ヵ月にわたって調査してきました。
20日に公表された調査の最終報告書は、2022年4月に出された中間報告と変わらず、
新たな展開は認められず、6項目を「いじめ」と認定するにとどめている。
最終報告書に新たに盛り込まれたのは、学校や教育委員会の対応についての見解だけでした。
遺族はこの最終報告書を不服として、再調査を求める事項を発表している。
〈1〉いじめ防止対策推進法第2条に基ずく、爽彩さんにたいする「いじめ」に関する調査検証。
〈2〉「いじめ」と自死との関連性の調査検証。
〈3〉「いじめ」に対する学校及び教育委員会の対応に関する調査検証。
等を要求しています。
(つづく)
(ニュースの声№18) (2022.9.28記)