墜ちたB29 米兵を助けた日本人
④ 生きていた3人の米兵
勇気ある一人の日本人の言葉が、米兵を助けた
昭和20年3月、東京大空襲に参加したB29爆撃機が茨城県筑波郡に墜落。当時小学二年の著者は生存米兵三人を目撃。五十余年を経て、墜落機尾翼の番号を手掛りに米兵のその後を究明する。99年刊の増補版。(ブックテータベースより)
「出てこい、出てこい」
と大声で叫びました。
その時3人のアメリカ兵のうちの一人が
「アイ ウィル ギブ ユー ジス ウォッチ 、ソウ プリーズ ヘルプ アス 」
(この腕時計をあげるから我々を助けてください)。
旧制中学校(現茨城県立水海道第一高等学校)で5年間週に6時間以上も英語を学んだ冨山さんにとって、意味を理解することは簡単でした。
「よし分かった。お前たち3人を助けてやる。
集まった大勢の村人に向かって、
「3人は丸腰だ、撃つな!殴るな!助けるんだ! 助けるんだ!」
更に、
「丸腰の3人は身内と同じだ!殴るな!殴りたければ俺を殴れ!」
と懸命に叫んだ。
「丸腰の3人は身内と同じだ」。
なんと勇気に満ちた、
感動的な言葉なのでしょう。
「鬼畜米兵」と言っていた時代に、
しかも、
たった2時間前には500ポンドの焼夷弾を334機の一機として、
投下し東京の空を炎の海にして焼き尽くし、
私たち日本人の同胞を10万人近く死に追いこんだ「敵」の兵隊に向かって、
怒りに満ちた村人の興奮を抑えるように放たれた言葉なのです。
(つづく)
「墜ちたB29」は、「語り継ごう太平洋戦争の記憶」で講演した原稿を加筆、訂正したものです。 |
(2018.8.27記) (語り継ぐ戦争の証言№20)