今年の夏の暑さは尋常でなかった。
寝苦しい夜が続き寝不足気味の朝を迎える。
寝汗をかいた体を幾分冷たくしたシャワーで体温を下げ、
すっきりした状態で朝食をとる。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年の夏はどうなのでしょう。
朝晩、幾分涼しく感じられますが、日中はまだまだ暑く、
麦わら帽子をかぶっての畑作業は老いの身にはかなり応えます。
やがて田んぼのあぜ道や、河川の土手に彼岸花が咲き始めるでしょう。
秋がひそやかに忍び寄ってくる残暑の一日が暮れていく。
清少納言は「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」がいいと、
また「夏は夜」、「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」と日本の四季の美しさを見事に表現しています。「枕草子」
待ち遠しい秋の作品を集めてみました。
秋は夕暮れ
秋は夕暮れ。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに
烏のねどころへ行くとて
三つ四つ、二つ三つなど、
飛びいそぐさへあわれなり
まいて雁などのつらねたるが
いと小さく見ゆるはいとおかし。
日入り果てて風の音など
はた言ふべきにあらず
枕草子 清少納言
現代語超意訳
秋は夕暮れの黄昏どきがいいね。夕日が差してきて、西の山端におちか
かるころ、カラスがねぐらに帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と、急
いで飛んでいく様子は、しみじみとして、心にしみる。まして、雁など
が連なって飛んでいくのが、とっても小さく見えるのは、これまたとっ
てもおもむきがある。
日が沈んで、風の音がさやさやと聞こえ、虫の音などが草むらから鈴虫、
クツワムシ、マツムシなどの声が聞こえてくる。
そんな秋の夕暮れは、言葉では言い表せない風情がある。
ススキ、女郎花、吾亦紅、萩などが、決して華やかではないが、秋の夕
暮れを彩る風情は、「さみしい」というのではなく、その一歩手前にある
こころの琴線に触れて来る感情のひだが揺れている状態。それが秋。人生
の黄昏どきと重なる秋の夕暮れである。
与謝蕪村 戸を叩く狸と秋を惜しみけり
ひとざと離れたわび住まい。傾いた屋根の上には草が生えている。
「秋を惜し」むと歌っているので、晩秋のおそらくは黄昏時が過ぎ
て夜のとばりが下りるころは、何となく寂しさを感じる季節である。
咲き誇った花たちも、その使命を終え葉を落とし冬ごもりの準備が
始まる。萩の花も、吾亦紅もささやかな彩の使命を終了する。
ススキがさやさやと風に鳴る。かすかに冬の予感を孕んだ風の足音
が戸を叩く。まるで人恋しさに山から里山に下りてきた狸が、隙間
風の吹きこむ荒れ屋の戸を叩いているような時雨でも降りそうな晩
秋の里の風景だ。
去年より 又さびしひぞ 秋の暮
老いの身にはこれから冬を迎える秋の暮は、一層寂しさが募ってく
る。「去年より」という言葉に込められた老年の孤独が感じられる。
松尾芭蕉 この道や行く人なしに秋の暮
妻子も持たず、人生を旅になぞらえ孤高の俳諧道を歩み、「わび さび」
の境地を極め俳聖といわれた芭蕉翁の孤独がじんじんと伝わってくる秀
句だ。
思えば長い旅であり、「わび さび」の道もまた先の見えない厳しく、寂
しく思えるときもある。旅の行く先々で句会を開き、主(あるじ)の歓待を受
け、やがて宴の時もおわり、師と仰ぐたくさんの人から解放され、用意
された床に横になれば、よる年のせいか疲労も重なり、すぐに眠りが訪れ
る。
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
旅の途中で病んで床に伏しても、夢に現れるのは枯野を歩んでいく自分の
姿だ。4日後、俳聖芭蕉翁は帰らぬ人となった。享年50歳。元禄七年10月
12日。遺骸は去来、其角ら門人が船に乗せて淀川を上り、13日午後滋賀県・
近江の義仲寺に運ばれた。14日葬儀、遺言により木曽義仲の墓の隣に葬ら
れた。焼香に駆け付けた門人80名、300余名が会葬に来たという。
(ウィキペディア参照)
(季節の香り№40) (2023.9.15記)