読書紹介「蜩ノ記」(2) 葉室 麟著 祥伝社 2011年刊
武士の意地か、なぜ苛酷な生き方を自分に課すのか
秋谷は庄三郎に向かっていう。
「死を恐れていないわけではごさらぬ。
……それがしとても命が惜しくて眠れぬ夜を過ごすこともござる」。
しかし、と秋谷は続ける。
「ひとは誰しもが必ず死に申す。
……それがしは、それを後三年と区切られておるだけのことにて、
されば日々をたいせつに過ごすだけでごさる」と、
死を三年後に控えても、
微塵(みじん)も揺らぎのない生き方を示してなお、
「……どのような心持で最期を迎えるかはいまだわかり申さぬ」と、
心に湧いたさざ波のような不安を吐露する。
ご側室お由(よし)の方との不義密通は本当に存在したのか。
ときは秋谷切腹の日に向かってゆるやかに流れていく。
藩主が他界し、お由の方は出家して松吟(しょうぎん)尼と称し、秋谷と再会する。
「おひさしゅうござる」。
秋谷が声をかけると松吟尼は黙ったまま会釈を返し、茶を点て始めた。
その手がわずかに震え、
「心が乱れました。お恥ずかしゅうございます」と、松吟尼は悲しげにつぶやく。
誰にも言えず、
心の奥底に沈めて封印した思いを告げる前に、
手の震えが雄弁に松吟尼の胸の内を物語っている。
切腹の朝が訪れた。
小説はたった一行、
『蜩の鳴く声が空から降るように聞こえる』
と記し幕を閉じる。
無駄な言葉の一切をはぶきたった一行の言葉に、作者の万感の思いが
託されている。同時に、秋谷の生きざまのすがすがしさを表現する推敲に推敲され
た言葉の選択がうかがわれます。
(終り)