雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「ドクター・デスの遺産」 中山七里著 安楽死の問題を問う

2017-12-26 19:00:00 | 読書案内

ドクター・デスの遺産 中山七里著 角川書店 2017.6再販

 
 警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。
当初はいたずら電話かと思われたが、
捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、
犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。
すると、少年の父親の通夜が行われていた。
少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。
日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる――。
                                    ( ブックデーターから引用)
 次々に起こる安楽死事件は、近親者の依頼を受けた「ドクター・デス」が関わりを持つ事件だ。
現行法では殺人事件として警察の追求を受ける。
「ドクター・デス」とは何者か。
安楽死の要請があった家や病室を影のように訪れ、
苦しむ患者に安楽死の施術をしていく。
難病の娘を持つ犬養刑事はこの娘を使い、
囮捜査でドクターデスをおびき寄せる。
サスペンスにとんだミステリーを「安楽死問題」という重いテーマを絡めた作品だが、
テーマが重いわりには、読者の心に響いてくるものがない。

 医療とは、安楽死とは、尊厳死とは。
この辺の問題をもう少し掘り下げて表現できれば、
味わい深い作品になるのだが……。
ドクター・デスが法を犯してまでも進めていこうとした安楽死、
表題の「ドクター・デスの遺産」とは何だったのだろう。
作者が読者に投げ掛けた課題でもある。

「犯人は捕まえたが罪を捕まえられなかった」という犬養刑事の言葉が
このミステリーの全てを語っているように思えます。

 安楽死を扱った小説に森鴎外の「高瀬舟」という短編があります。
 興味のある方は是非一読をお勧めします。
安楽死について
 安楽死について次のような判例があります。
患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、
死が避けられず死期が迫っていること、
患者の苦痛を除去・緩和する他の手段がないこと、
生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示のあること。

 この条件が必要であり、医師による末期患者に対する積極的安楽死が許される。
としているが、現実にはこれらの条件が満たされていても、
現役の医師が安楽死を遂行することはまずありません。

この小説のように、
塩化カリウム製剤を注射し心筋にショックを与えれば、
やがて患者は心肺停止し、
死にいたるような医療行為は、
日本の現行法では立派な犯罪になります。
現実には、延命治療を拒否し、ターミナルケアを受け、
消極的な安楽死を望む患者も多い。
命の尊厳という視点から考えれは、
日本人の生死観に沿っているように思います。
ちなみに、日本尊厳死協会では、
尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、
自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、
人間らしい死をとげること、と定義しています。
    (読書案内№117)

 

 

 


 


 

 

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イルミネーションとケーキのクリスマス

2017-12-25 08:30:00 | つれづれに……

イルミネーションとケーキのクリスマス

 寂しい……
                      2015.12.25の振り返り記事です。
        この年の2年前の12月、私は14歳の孫を突然になくしました。
        あれから4年の辛い時間が流れましたが、
        いまだに悲しみは当時のままで癒えることがありません。 
        それでも、時は流れ、私は年を取って行く。
        孫の逝った世界に一歩づつ近づいていくのだなと、
        めっきり弱くなった足の筋肉を撫でながら、老いの坂道をゆるゆると下っていきます。
        荒涼とした風景は、あの日の哀しい思いに繋がっていくので好きではないが、
        明るく華やかな景色も馴染めません。

        グラスに揺らぐシャンパンの気泡を見つめながらの
        ちょっと寂しいクリスマスですが、
        老妻と二人だけのクリスマス・イブも結構心の安らぐひと時でした。
          

 
街はクリスマスを迎え、葉を落とした街路樹に、化粧を施し、

 イルミネーションの瞬きで 急速に賑やかさを増してゆく。

 若い世代、恋人同士、幼児を連れた家族ずれたちが

 イルミネーションのトンネルや飾り立てたモミの木のツリーに集う

 

 人それぞれに、幸せの概念は異なるけれど、

 メディアはこの時期、一斉にこうした街の風景を報道する。

 

  クリスマスの賑やかな風景も悪くはないが、

  どこかに違和感があって 素直に喜べない自分がいることに気づく

 

  賑やかさの裏に潜んでいるある種の寂しさを

  敏感に感じとり、

  街路樹だって決して歓迎しているわけではないと思う

 

  夏には日陰をつくり 秋には木々の葉を落とし

  眠りに着こうとするこの時期、

  木々たちは安眠を妨げられ、

  かりそめの華やかさにうんざりしながらも

  黙って耐えている

 

  町の喧騒を離れ ひっそりと迎えるクリスマスがあってもいいはずだ

  高価なデコレーションケーキではなく

  ショートケーキのイチゴを食べながら、

  電気を消し、ろうそくの明かりに揺らぐ互いの存在が、

  かけがいのない存在だと思えれば

  これは極上のクリスマスだ。

  その時、

  シャンパングラスの中で揺れている灯りが

  どんなイルミネーションよりも輝いて見える

    (当時の心境はカテゴリー「翔の哀歌」に綴りました。)

           (2015.12.25記に加筆しました)

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ローソン、深夜・早朝帯の「無人」化営業(一部): (便利なことはいいことか№2)

2017-12-21 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

 サービス過剰?、無理をしなくても…
 ローソンが深夜から早朝の午前0~5時までの時間帯を「無人」化を検討し、
来春から首都圏で導入することを検討している。

 スーパーやコンビニができ、瞬く間に個人経営の店を凌駕し、
町の通りをシャッター通りにしてしまって久しい。
「欲しいものを欲しい時に好きなだけ買える」(ローソンの竹増社長)ことを売りにして
24時間営業を展開してきたコンビニだが、
深刻な人手不足を緩和するための策として深夜・早朝の営業無人化を検討するらしい。

 人手不足が原因ならば深夜・早朝営業なぞ辞めてしまえばいいものを、
客が少ない深夜も商品の納入作業があり、
店を閉めると日中の営業にも支障が出るというのが業界の定説らしい。

 無人の店に客が入るにはスマホが必要だ。
入口のセンサーや商品のバーコードが、無人のレジにあるタブレット端末とつながり
無人化を推進する仕組みになるらしい。
つまり、スマホがないと入店できない仕組みだ。

 24時間営業と手軽さを特徴として業界実績を伸ばしてきたコンビニ業界だが、
24時間営業して、どれほどの利益があるのか。
「欲しいものをいつでも手に入れる」便利さを維持するために24時間営業するって、
サービス過剰じゃないのか。
「脱24時間」のための実験的措置らしいが、
「サービス過剰」や「無理」は長続きしないのだから、
営業時間の短縮を検討すべきではないか。


(昨日の風 今日の風№83)

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便利なことはいいことか

2017-12-12 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

便利なことはいいことか
   北海道新幹線

  
 世界最初の高速鉄道・東海道新幹線が東京―新大阪間を走り始めてから52年を経て、ついに新幹線は北海道へ乗り入れることができた。
 
科学が進歩し時代が進むに従い、私たちは利便性を手に入れてきたが、情緒という大切なものを失ってきた。
 朝日新聞コラム・素粒子では「速さが情緒を追い抜いていく」と称した(2016/3/26夕刊)。

 情緒豊かな夜行列車も青函連絡船も遥か郷愁のかなたに消えていった。
上野駅東北本線のプラットホームに立てば、
北国の匂いを充満させた長距離列車が白い蒸気を吐きながら、
乗り込む乗客を待つ。
酒の匂いとタバコの充満する社内。
こういう雰囲気がたまらなく好きだった少年時代。
今から60年も前の風景だ。

 最速4時間2分で走る北海道新幹線だが、一日10往復(飛行機は8往復、1時間20分~30分)。
    最高時速:240㌔
    東京からの料金:22,690円 (飛行機は27,100円~35,200円)
    2030年度に札幌までの延伸を目指している。
 「ついに津軽海峡を通って北海道の地に乗り入れることになった」と、北海道新幹線開通の挨拶でJR東日本冨田社長は感慨深げであった。
東京から新函館北斗間を4時間2分で走る速さに驚き、
我が国の新幹線の技術に感動したのを覚えている。

 しかし、熱が冷めてしまえば、乗車率も減少傾向にあり、
更なるスピード化を計画せざるを得ないようだ。
JR北海道の島田修社長は16日の定例記者会見で、
在来線特急と同じ時速140キロに抑えている青函トンネル区間での北海道新幹線の最高速度について、
160キロへの引き上げを検討すると明らかにした(青函トンネルを含む約82キロ区間は、在来線の貨物列車と線路を共用しており、新幹線とすれ違う際に荷崩れを起こす懸念から、速度を制限している)。
実現すれば、
現在は最短で
4時間2分の新函館北斗-東京の所要時間が3分ほど縮まり、
空路から需要がシフトする目安とされる4時間を切る。
 所要時間は3時間59分となる。たった3分の短縮だが、空路対応策としては大きな前進なのだろう。これは高速化の第一段階で、さらに共用区間でも最高速度の260キロで走らせる検討を進めている。
 
※共有区間:トンネルとその前後の区間は新幹線と貨物列車が線路を共用し走行している。新幹線開業が具体化していく中で、高速走行する新幹線が貨物列車とすれ違うときに生じる風圧で、貨物の荷崩れや脱線といった危険性が指摘された。そのため、現在は140㎞/hで走行している。

 空路との熾烈な戦いの結果なのだろうが、情緒がなくなり、車内に東京の匂いをのせたまま新幹線は北の大地に到着することになる。
便利さを一つ得るたびに
何か大切なものを失っていくような気がしてならない。

(2017.12.11記) (昨日の風 今日の風№82)

 

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東京駅で消えた 夏樹静子

2017-12-08 20:00:00 | 読書案内

読書案内「東京駅で消えた」 夏樹静子著
             徳間文庫 2016.11刊 1989年中央公論社より初出

 2012年、開業100周年を二年後に控えて丸の内駅舎が創建当時の姿に復元された。
スティションホテル、オフィス、商業施設などが集約され、あたかも小さな街を思わせる様相だ。
小説の舞台は、改修前の開業70周年を迎えたころの東京駅を舞台にしているが、巨大化した駅という  点では変わりない。
                                     (復元された東京駅) 

 夫が定刻になっても帰ってこない。
判で押したように帰宅する夫は次の日の朝になっても帰ってこない。
大手ゼネコン帝都建設取締役の曽根寛の痕跡は東京駅で消えていた。
無断で一晩家を明けるくらいそう珍しいことでもないのだろうが、
夫に限っては考えられないことだった。
「事故か」、「失踪か」。
だが、曽根寛は意外なところから死体で発見された。
東京駅のめったに使用されない地下道に設置された「霊安室」のベッドで、
他殺死体で発見されたのだ。
この発見場所が奇想天外で、興味をひかれる。
(駅員の限られた者しかその存在を知るものはいない。暗くかび臭い霊安室は、列車事故で亡くなったり突然死をしたものを収容する部屋だ)。
丸の内口と八重洲口との行き来は複雑で、
田舎者の私には苦手な駅の一つである。
霊安室のベッドに人知れず横たわる他殺死体という意外性が
冒頭から読者を惹きつけていく。

第二の殺人は駅構内にあるホテルの非常階段で発見される。
駅構内をめぐり第三、第四の殺人が起き、被害者の接点を求めて捜査は進む。
ナイロンストッキングによる絞頸、
駅構内の殺人現場という二つの共通項は犯人が同一人であることを示している。
やがて浮かんできたのは
大手ゼネコンの施工した東京駅新幹線工事の施工ミスが浮かんでくる。
発注者である国鉄の現場責任者と当時現場の責任者を務めていた曽根の間に何があったのか。
関係者の過去を探る過程で現れてくるサラリーマンの悲哀が浮き彫りになる。

 人知れずその存在さえ知る人の少ない「霊安室」、
車椅子で新幹線ホームまで行ける「地下通路」、
皇室関係者が緊急時に利用できる「避難通路」、
ほとんどの人が足で踏んで素通りしてしまう中央階段には、六角形の銘坂がある。
昭和5年時の首相浜口雄幸がモーゼル銃で狙撃された場所を示すプレートだ。
大正10年には、日本初の平民宰相・原敬が短刀で胸を一突きされた場所にもプレートが埋め込まれているそうだ。
東京駅にまつわる様々なエピソードが語られる。

 東京駅は大正3年の開業だから、
その長い歴史の中で、
様々な人々の数えきれない出来事が起き、
時の流れに流されていったに違いない。

 この小説に登場し、
命を奪われた人、
そしてその加害者もかけがえのない人生の1ページをこの東京駅に刻んだに違いない。
 最後の文章は次のように書かれて、小説は終わる。
 自分を圧し包んでいる静寂の底から、たくさんの人声が湧き出してきた。この東京駅の長い歴史の流れに身を投じていった人々の、歓びや哀しみ、狂気や怨嗟の声が、今もこのドームの空間に息づいている……。

   
著者について
 1938年東京生まれ。慶応大学在学中からミステリーを書き始め、1970年『天使が消えていく』で作家デビュー。1973年『蒸発 ある愛の終わり』で日本推理作家協会賞、1989年『第三の女』は仏訳されフランス犯罪小説大賞を受賞、2007年に女性初の日本ミステリー文学大賞を受賞。代表作に『Wの悲劇』『量刑』『花の証言』シリーズ作品「検事 霞夕子」「弁護士 朝吹里矢子」等。「東京駅で消えた」は1989年中央公論社より初出

       (2017.12.7記)  (読書案内№116) 










 

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12月の絵本「クリスマスのころわん」

2017-12-06 22:23:58 | あむじいのいっしょに読もう

12月の絵本「クリスマスのころわん」
12月に入って最初の「いっしょに読もう」の時間です。
 今まで、運動場の木のベンチで読んでいましたが、さすがに寒くなって来たので、図書室に移動しました。ここは、エアコンもあり快適です。たった一つ欠点は、たくさんの本と一緒にオモチャが置いてあるので、こちらで遊んでしまう子が何人かいることです。


今日の「いっしょに読もう」は、クリスマスがテーマ。
読む前のお話し合いは、季節がらとても盛り上がります。
サンタの話、プレゼントの話。クリスマスツリーの話。
全員が発言できるように目配り、気配りが大切です。
ひとしきり発言があった処で、今日の絵本の話をします。
要点をとらえ、「これからいよいよ本読みが始まるぞ」と雰囲気を盛り上げます。

お星さまがキラキラ輝いている空から何かがおちてきて、ころわんの頭の上にふんわり落ちました。
だれがおとした帽子だろう
「ぼうしを なくした だれかさん、きっと さがしにくるよ。ぼくここで まっててあげる。」
待っているころわんのところに、あかい服を着た大きな人が下りてきました。
「わんころちゃん ひろってくれて ありがとう。」
あかい服を着た大きな人は、お礼に 大きなキラキラ輝く星をプレゼントに置いて行きました。

あかい服を着た大きな人は、いったい誰だったのでしょう。

ここでまた みんなとお話し合いです。
「あかいふくをきたひとはだれ」「ころわんってやさしいんだね」「きらきらぼしみんなもほしいですか」「サンタさんにプレゼントおねがいしたひと」「サンタさんは何に載ってくるのかな」

 読むだけだったら7~8分で終わるお話です。
「アムじいのいっしょに読もう」は、子どもたちとお話をしながら進めるので30分の時間が必要です。
楽しい時間の流れの中で、元気がいっぱいもらえるかけがえのないひと時です。
      (2017.12.5記)

(アムじいのいっしょに読もう№6)

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信号機のない横断歩道

2017-12-04 22:48:04 | 昨日の風 今日の風

信号機のない横断歩道
 信号機のない横断歩道は怖くて渡れない
 田舎の街だ。横断歩道はあるのに、信号機がない。
 車は制限速度60㎞の道路を70ぐらいで、
  見通しの良い直線道でビンビン飛ばしていく。
 周辺に人家もないから、ついスピードを出してしまうのだろう。
 車を運転していると60~70ぐらいのスピードでは、そんなに早いとは思わない。
 だが、道路の端に立って横断歩道を渡ろうとするとき、
   前述のスピードは歩行者にとって危険を感じるような速さだ。
 遠くに見えた車がみるみる近づいてくる。
   足がすくむ。
   後ずさりしてしまい、
 なかなか道路を横断することができない。
 現に、私が利用する横断歩道では死亡事故も起きている。

 法律はどうなっているのか。
 道路交通法38条「横断歩道等における歩行者等の優先」
 横断歩道等に歩行者等がいる場合は
  横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。
  この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、
  又は横断しようとする歩行者等があるときは、
   当該横断歩道等の直前で一時停止し、
 かつその通行を妨げないようにしなければならない。  
 

 道交法38条は明らかに、「歩行者優先」を明記している。現実は信号機のない広い道路で横断歩道手前で止まる車は非常に少ない。私の経験では皆無に等しい。最近では、少し遠回りになるが、信号機のある交差点を利用するようにしている。

 そこで、この横断歩道のある道路を実際に車で走ってみた。
見通しも良く100㍍ぐらい前から鮮明に横断歩道を確認することができる。
横断歩道の上に人が立てば、運転者は確認できるはずだが、車は止まらない。
信号のない道路の横断歩道の前で止まると、
後続車に追突される恐れがあるからなのだろう。
そのため、歩行者は命がけで横断舗道を渡らなければならない。
というよりも、この信号機のない横断歩道は渡る人がいない。

 ちなみに、平成28年の交通事故の発生状況を見ると、
人対車の交通事故の内約30%が横断歩道を横断中に起きている。

横断歩道で車は止まらない。
横断歩道には危険が一杯。
小学校低学年にこんなことを教えなければならないなんて、
ちょっと情けないと思うこのごろだ。
                                               (2017.12.04記) (昨日の風 今日の風№81
)
         

 

 

 

 

 

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