二つの原発事故
1951年、米国は世界初の原子力発電の始動に成功。
そして、1953年、アイゼンハワー米国大統領は国連で「原子力の平和利用」を呼びかけ、原子力発電が世界に普及するきっかけを作った。
「希望の火」、「第三の火」の火として世界に普及していくはずの原子力発電であったが、26年後の1979年米国スリーマイル島の原発事故である。
世界で最初の原子力発電を開発し、世界第一の技術を持つアメリカの事故に、少なからず不安を抱いた世論ではあったが、反原発・脱原発の運動には至らなかった。
スリーマイル島の事故から7年後の1986年チェリノブイリ原発事故は、世界を震撼(しんかん)させた「レベル7」の大惨事であった。放射能が空に舞い上がり、被害は広範囲に渡った。
当時の世論は、反原発の意識が高まり、脱原発運動にまで進んでいくかに見えた。
あれから25年、小さな反原発の運動はあっても、世論を動かすだけの大きなうねりにはならず、脱原発の運動には発展していかなかった。
むしろ、化石燃料(石炭・石油)の枯渇問題や地球温暖化を巡るCO2 の問題などで、「第三の火」として原子力発電は逆に脚光を浴びる表舞台を歩んできたかのようである。
世界を震撼させたチェリノブイリ原発事故であったが、あたかも現代社会のエネルギー問題の救世主の地位を譲ることはなかった。
そして、福島第一原発の「レベル7」の事故が起きた。
何故、日本で脱原発への取り組みが進まないのか。
その原因の一つに「電源三法交付金」がある(田中角栄首相時代の1974年制定。電気料金の一部を電源開発促進税として集め、発電所立地市町村などへの交付金や補助金に使われる)。
(つづく)