雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

児童虐待 №⑫ 小さな命がまた消えた 虐待の連鎖 

2020-08-28 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 小さな命がまた消えた 児童虐待№ 12
        虐待の連鎖 母もまた虐待の被害者だった

    「のんたん」は泣いて疲れて眠って衰弱した… 
                       母親も育児放棄を経験、蒲田3歳女児死亡 
                                                                                                              (2020.7.11東京新聞Web版) 
   全国版で一斉に報道された児童虐待死の事件は、
   私には「またしても……」という思いが強かった。
   だが、事件の詳細を調べるうち、
   事件の裏側にひそむ容疑者の愛情薄く育った環境を思うにつれ、
   彼女の哀れさが浮き上がってきて、なんともやりきれない気持ちになった。

     事件の概要(7月9日 朝日新聞・要約
)
     三歳の女児が飢餓と脱水で死亡した事件で、
   保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された母親(24)が調べに対し、「当時、居間のドアを
   ソファで塞ぎ開けられないようにして外出した」と供述していることが捜査関係者への取
   材でわかった。女児が居間から出た形跡は確認されておらず、母親の8日間の外出の間ずっ
   と居間に閉じ込められていたとみられる。
          
     母親は事件以前にも、女児を1人自宅に残し、パチンコや飲み会などで出かけていたといい、
    放置が常態化していた可能性も考えられる。

    「死ぬとは思わなかった」。
    3歳児の娘を一週間放置し、衰弱死を招いた若いシングルマザーの供述だ。
    重大な過ちを犯したという罪の意識など微塵も感じられない。
    
    なぜ8日も家を空けてしまったのか。
    母親の容疑者は勤務先(東京)の居酒屋
で知り合った男性に会うため、
    長女の稀華(のあ)ちゃんを自宅に残して6月5日から鹿児島県を訪問。
    13日に帰宅し、119番通報した。

   『うそ』の供述
          もっと早く帰るつもりだったが、帰りの便のが取れなかった。
     しかし、6月上旬は飛行機にも空席があったことが確認された。
      交際相手の男性と泊まったホテルは、自分から宿泊延長手続きをしている。
      など、嘘も多い。この手の事件の当事者には、最初は嘘の供述が多いのも特徴である。
      警察の取り調べに堪えられなくなり、
      真相を語り、反省と後悔は最後にというパターンが多い。
           犯した罪の重大さを認識せず、自己保身をする傾向が強い。
     
       
ひもじさと母恋しさに八日耐えわずか三歳(みとせ)の生涯閉じる 
                            …… (東京都)  三神玲子 朝日歌壇 2020-8-16

       何日も子を置き去りに巣を空ける生き物ありや人間以外に
                
            …… (横浜市)  毛涯明子 朝日歌壇 2020-8-23
     朝日歌壇から、二題引用したが、これが一般的な感情だろう。
     
     逮捕された彼女の手首にはリストカットの痕があった。傷は深くなかったものの、
    ヤケを起こさないように警視庁は母親を入院させた。
    結局、退院と同日の今月7日に彼女は逮捕された。

    手首のリストカットの傷跡が、彼女の心の葛藤を物語っている。

      一部の週刊誌では「男狂いのあげく……」などと言う興味本位の見出しをつけて、
    センセーショナルな記事に仕立て上げた報道もみられるが、この放置死事件を
    このような形で処理してしまうと、事件の本質を見失ってしまう。
    
  容疑者・母親も虐待被害者
    彼女の少女時代も、哀しく悲惨なものだった。小学校の途中で児童養護施設に預けられ、
   高校を卒業するまで彼女はここで暮らす。
   彼女の人生に哀しい陰が多い始めたのは、小学2年生のころだったと言われている。
   彼女の母は17歳で結婚したが、我が子への傷害容疑で逮捕(25歳の時だった)。
   父親(25歳)もまた保護責任者遺棄容疑で逮捕されている。
   保護され児童養護施設に措置された彼女は、痩せてあばら骨や腰骨がくっきりと浮き出ており、
   殴られた後だろうか体に多数のあざもみられた。
   衝撃的なことは、彼女の体に刻まれた多くの切り傷だった。逮捕された母親が躾と称し、娘の体を
   包丁で傷つけていたと、当時を知る児相職員は回想している。
 
 児童養護施設で小学校低学年から高校卒業するまで生活
   高校卒業すると養護施設を出て就職するが、1年ほどでやめてしまう。

   同じ頃に結婚し、2016年11月に長女の稀華ちゃんを出産するのだが、
   夫のDVが原因ですぐに離婚。
   シングルマザーとなった彼女は、17年7月から蒲田のアパートでふたり暮らしを始め、
   そこが悲惨な事件の現場となった。
   虐待する両親に育てられ、児童養護施設で生活し、就職、離職、結婚、夫のDVで離婚。
   シングルマザーの彼女は娘を溺愛する場面もあったが、パチンコや飲み会など家を空ける時も多
   かったようだ。
   一番大切なものがなんであるか忘れてしまうように、こころの隙間を埋めるものは、
   愛娘への愛情ではなく、楽しく遊び騒げる友だちだった。
   頼れるものがほしい。
   淋しさを埋めてくれるものがほしい。
   ここに、愛娘への愛情乖離が起きる。

   侵した罪の重さは、糾弾されてしかるべきものだが、虐待や暴力に喘ぎながら、
   こころの隙間を吹いて過ぎる風に、虐待ゃ暴力という悲しみの連鎖を断ち切れなかった
   彼女の哀れさを感じる。
  
   (昨日の風 今日の風№112)               (2020.8.27記)
   

   


 

            

 

 

 

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読書案内「風にそよぐ墓標」 父と息子の日航機墜落事故

2020-08-17 17:40:28 | 読書案内

読書案内「風にそよぐ墓標」
       父と息子の日航機墜落事故
 
             ブックデータ: 集英社2010年8月12日刊 第1刷 門田隆将 著

35年前の8月12日午後6時56分、羽田発伊丹行きの日本空港123便(ボーイング747ジャンボジェット機)が、群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落した。
 乗員乗客524人の内520人が犠牲となった。
 単独機としては、史上最大の事故だった。
 標高1500メートルの尾根筋の急斜面に、樹々をなぎ倒し、ボーイング747はほぼバラバラになり長い帯
 のように残骸をさらし、人の原型をとどめぬほど損壊の激しい遺体も事故現場を埋め尽くしていた。

  灼熱灼熱の太陽にさらさらた愛する者の肉体は、みるみる変質し、異臭を放って腐敗を始めた。日が
 経つにつれ、それは耐えがたきものになった。しかし、家族は、肉親を家に連れて帰るために、その中
 で気も狂わんばかりの身元確認作業をおこなった。

 「風にそよぐ墓標」冒頭に描写された、事故現場の状況であ。(この記事を書くにあたり、他のルポル
 タージュにも目を通してみたが、あまりにも悲惨な現場の状況を一切の感情を抑えて、燦燦たる状況を
 描写したものもあったが、ここではそれが目的ではないので、紹介を控えた)

  息子、娘、夫、妻、父親、母親……何の予兆もなく突然、愛するものを奪われた家族たちは、うろた
 え、動揺し、泣き叫び、茫然となった。(略)
 極限の哀しみの中に放り込まれた時、人はどんな行動に出て、どうその絶望を克服していくのか、また
 哀しみの「時」というのは、いつまでその針を刻み続けるのだろうか。
                                                                  
   「はじめに」で述べた著者の言葉が、このルポルタージュの目的だ。
   今から25年前に、遺族に会い、書かれた本である。
   事故に遭い、それぞれの哀しみを背負った遺族たちが、重い口を開いて語り始めた。
   心の整理が進み、あの時の哀しみを語るには、25年という長い時間が必要だったのだろう。
   哀しみに沈み、成す術もなく暮らした最初の10年。
   次の10年は生活の立て直しと、生きる気力をを立て直すための10年。
   時が流れ、遺族たちの子供たちが成長し、子供を亡くした親は年を重ね、
   苦労の重みで白髪も増えてきた。
   何年たとうとも、「哀しみ」は浄化されることはないだろう。
   あるとすれば、時の流れの中で、鮮烈な記憶が少しずつ遠ざかっていくことだろう。

  「風にそよぐ墓標」は、ブックデーターにも示しましたが、今から10年前の2010年、
つまり、事故から25年目に書かれたノンフィクションです。
6人の遺族に焦点を当て、辛い25年を振りかえり、
その辛さを乗り越えていく「強さ」を描いていく著者の優しい思いがある。

 第一章「風にそよぐ墓標」
   舘寛敬(ひろゆき)さんが、御巣鷹山で父を亡くしたのは15歳の夏だった。
   あれから25年。40歳になり、結婚もした。
   だが、この25年間8月が近づいてくると、きまって悪夢にうなされる。
   あの日、御巣鷹の事故現場に向かうバスの中で、日航の職員に食ってかかった。
   「(パパを)返してください! 今すぐ!」
           夜になると、弁当が運び込まれてきたが、母は相変わらず食べようとしない。
   「食べんと死ぬぞ」15歳の少年・舘寛敬は母を諭すように告げる。
   「パパは食べてないやん。私もいらん」
   常軌を喪った母に15歳の少年は、無理に即席のうどんを食べさせた。

   現場に行きたい、現場に行ったら、あの人に会える……
   現実と夢や妄想の区別が、
   この時の須美子には、つかなくなっていたのかもしれないと著者は記録する。

   事故現場へつづく道は、森と藪を切り開いて作られていた。
   今でこそ、麓の駐車場から30~40分で到着できる道が整備されているが、
   上野村側のルートは閉鎖され、
   当時は自衛隊や地元の消防隊員が切り開いた岨道を行くしかなかった。

          歩いても歩いても先が見えない道。
     森や林を縫うようにして歩く。いったい、どれだけ歩けば事故現場にたどり
つけるのか。
     突然、道が開け、想像もしなかった景色が飛び込んできた。
     目の前に広がるお花畑。
     憔悴してぼろぼろになった母。
    「ああ、きれい…」「親父は(死ぬ)直前にこのきれいな景色が見れたんだ…」
          そう思うことで、一瞬哀しみで一杯になった心が癒された。
    
     もう引き返さなければ部分遺体の公開に間に合わない。
           「親父、行きたいけど、これ以上は行けない……」
   背負っていったリュックから紙を出し、須美子は次のように書いた。
   舘 征夫 昭和十七年九月十三日生
   ここはとってもお花のきれいな所です。
   やすらかにねむって下さい。
   もう苦しくありません
    それを、木の枝に差し込み、持って行った果物をその前に置いた。
    須美子はその「紙の墓標」に手を合わせ、
    寛敬は詩文の靴の靴ひもを抜き出し、紙の前に置いた。
    「親父、ここまでしか来れなかったよ。もう引き返さないといけない。ごめんね」
    四十歳になった寛敬は、この時のことをはっきり記憶しているという。

    母子が残したお花畑の「紙の墓標」は、ここを通りかかった新聞記者の手によって、
    八月十八日、読売新聞朝刊に報じられた。
    墜落現場に通じる三国峠近くの登山口から約一キロ歩いた急斜面のお花畑に十七日、
    犠牲者の家族らが供えた「紙の墓標」が建てられた。ヤマユリ、アザミ、リンドウなどに囲まれ 
    た、はがきほどの大きさの白い墓標は吹き渡る風に静かに揺れていた。
    記事は写真入りで紹介された。

    この後、親子にとっては、損傷が激しくぼろぼろに千切れた遺体の確認作業が待っていた。
    哀しく、辛い地獄を彷徨うような作業を、母に代わって十五歳の少年は果敢に挑むのだが、
    私の拙い表現力では、とても紹介できるものではない。
    墜落事故から25年を経た時間の経過が、その過酷な作業を母子は丁寧に語り、筆者はそれを
    感情を抑えて冷静に受け止め、淡々と文章にしている。
    
    この章の最後に筆者は次のように書いて章を閉じる。
    寛敬が、とてつもなく大きかった父という存在を客観的に捉えることができるまでには、四半世
    紀という気の遠くなるような歳月が必要だったのである。と。

    PS: 「風にそよぐ墓標」を紹介するにあたり、六章に分けられた家族の「父と子」の物語を全部紹
      介するつもりだったが、それは非常辛い作業だつた。
      結局私は、表題にもなっている第一章「風にそよぐ墓標」のみの紹介になってしまった。
      このノンフィクションに流れているものは、
      「どんなに辛く、悲しい体験をしても、人間は時間の経過とともに立ち直っていく強い力を
      持っている」という著者の心なのかもしれない。
      この本の扉の裏に引用された明治の文豪・田山花袋の詞を引用して、
      このブログを閉じます。

      絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得らるるごとき勇者たれ
                    運命に従ふものを勇者といふ
                               田山花袋
     この本の内容にふさわしい含蓄のある詞である。
     日航機墜落35年目の夏、コロナ禍の影響や高齢で御巣鷹山登山に参加できなかった
     遺族も多いと聞きます。
     尾根は、1500メートルを超える急斜面にある。登山道の整備が進んだとはいえ、
     急な階段がいくつもあり、入口の駐車場から40分ほどかかる険しい道だ。
     35年の時の経過は、人々の記憶を少しずつ忘却の彼方へと押しやってしまう。
     私たちは、人知れず風にそよいでいた「紙の墓標」のことを、忘れてはいけない。
     お花畑を渡る高原の風が、今日も「紙の墓標」を人知れず揺らしているのでしょうか……

     全ての遺族の方々に奉げたい言葉である。


    (読書紹介№153)         (2020.08.17記)


    

    

   
   
   


 


  



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コロナウイルスを詠う ③ 人間の愚かさ淋しさ味方にし……

2020-08-07 12:34:32 | 人生を謳う

コロナウイルスを詠う ③ 人間の愚かさ淋しさ味方にし……

非透過性納体袋我が胸に茨線(ばらせん)のごとく刺さりて止まぬ 
                       …… (さいたま市) 伊達裕子 朝日歌壇  2020-05-10

この春に初め遇ひたる言の葉の〈納体袋ふかぶか淋し〉 
                       …… (宝塚市)  櫂 裕子 朝日歌壇 2020-05-31
  日透過性納体袋に収納された遺体。弔いの儀式もない。最期のお姿を見ることもできず、火葬される。
  白い骨になって初めて会うことができる。この非情さが、「新型コロナウイルス」の容易ならざる感染
  力を物語たっている。コメディアンの志村けんさんがなくなり、マスコミは「納体袋」の非情さを報道した。
  多くの人達が、この報道で、コロナ禍かの容易ならざる感染力を意識したように思う。
  人を笑わせ、心を明るくする、その裏側で貪欲に笑いの研究をしていたコメディアンの死は、悲しく涙を誘う。

ウイルス禍の街はマスクに牛耳られ忘れがちなる口紅悲し 
                      
…… (茅ヶ崎市)  岡田みいこ 朝日歌壇 2020-05-17
   マスクで顔の半部を隠してしまう。今の季節には息苦しさを感じ、思わず外してしまいたい衝動に駆られる。
 どうせ、外出してマスクを外すことなんてめったにないことだから、ファンデーションも口紅からも遠ざかってしま
 う自分に気づき、飾ることに気を使わなくなった自分に苦笑いをする。そういえばコロナ禍の影響で、女性用化粧品
 の売れ行きも落ち込んでいるとか……

お葬式みな一様にマスクしてマスクせぬのは棺の母だけ 
                                                                                 …… (江南市)  村瀬雅美 朝日歌壇 2020-07-05
 「三密はも不要不急の外出も控えましょう」
 最愛の人の旅立ちも、質素にひっそりと行われることが多くなりました。そうした状況を踏まえて、
 棺に横たわる帰らぬ人の顔をしげしげと見つめる。
  最近、こんなことがありました。
 86歳になる先輩が80歳になる妻を失くした。進行性ガンで3カ月の入院中
 一度も面会が叶わず、面会を許されたときには、意識もなく、もの言わぬまま命の灯を消してしまった。
 コロナ禍とはいえ、辛く悲しい臨終を夫は、どうにもならない自分を情けないと悔やんでいました。
 葬儀もまた淋しい。たった3人(夫と若夫婦)だけの通夜と告別式。
 コラえてもコラえても涙が流れて止まらなかったと……

村ざかいの道祖神は伝えおり建てられし年に疫病ありと 
                                                                               
  …… (神奈川県)  吉岡美雪 朝日歌壇 2020-07-12
  普段は顧みられなくなった村ざかいの路傍に鎮座する道祖神。村に侵入する悪霊や厄病から村を守る
 道祖神は、民間信仰の素朴で優しい思いを具現しているのでしょう。
 遠い昔に建てられた疫病封じの道祖神は、村人の願いを叶えられたのでしょうか。
 「どうぞコロナが侵入(はいらない)ように……」と無意識のうちに手を合わせている自分がいる。

人間の愚かさ淋しさ味方にし生き延びふえる新型コロナ 
                                                                                
  …… (西宮市)  大山 緑 朝日歌壇 2020-8-28
   「自粛」することも、最初は「こんな生活もいいかな…」、しかし、この期間が長引けば長引くほど、
   こころがささくれ立ってくる。こころのトゲトゲが他者に向けられ、自粛警察なる言葉が社会の空気を暗くし
   て、生きづらさの風が社会をかけめぐる。
    緊急事態宣言が解除され、東京アラートも線香花火のようにすぐに消えた。
   「自粛」のすすめが解除されたわけではないのに、再び人の動きが活発になり、クラスターが頻繁に発生する。
   「夜の街」が標的にされ、失業、生活苦、DV、子どもたちは言葉を忘れた様に心を閉ざす。
   「普通の生活を取り戻したい」、「経済の活性化」も喫緊の課題だ。
   どちらを優先するのか、二者択一ではない。同時進行で進めていかなければ、
   社会のバランスは崩れてしまう。
   人間の愚かさや我儘の狭間に、淋しさの谷間に、新型コロナは忍びこんでくる。
   コロナウイルスだって生き物。人間という最適の宿主をそう簡単に離しはしない。

(人生を謳う)    (2020.08.06記)

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