雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

安田純平氏解放 読書紹介「砂漠の影絵」石井光太著 

2018-10-29 08:30:00 | 読書案内

  安田純平氏解放・帰国
 内戦下のシリアで拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが、
  トルコ航空便で25日午後6時半帰国した。

「拘束中虐待続き心身疲弊」、拘束された3年4カ月は「地獄」だったと報道は安田氏の言葉として伝えている。
「自己責任論」がくすぶり続けているが、「無事に帰国出来て良かった」と、胸をなで下ろすのが多くの人の心情だと思う。

 この報道に触れ、数年前に読んだ小説「砂漠の影絵」を思い出した。

  
読書案内「砂漠の影絵」
             石井光太著 光文社刊 2016.12
                 
砂漠の影絵

  
  概略

 2004年、イラク・ファルージャ。
 “首切りアリ”率いるイスラーム武装組織「イラク聖戦旅団」に5人の日本人が拉致された。
 アリたちの要求は、自衛隊のイラクからの即時撤退という国際問題が絡んでいる。
 しかし日本政府はこの要求を突っぱねる。
 日本国内では、人質の「自己責任論」が巻き起こり、
 処刑の期日は刻一刻と迫ってくる。
  実際に起こった拉致・人質事件を徹底的に分析し、ノンフィクションに近い小説。
 ノンフィクション作家としての経歴を発揮した、臨場感あふれた読み応えのある内容だ。

  …テロリスト集団、彼らはいったい何を考え、何を目的にこのような組織となったのか?
 日本人被害者、テロリストの両方の立場から描かれる、
 現実にギリギリまで肉迫したストーリー。
 闇に包まれた身代金交渉の実態や、イスラーム過激派組織の内情、
 テロリスト一人ひとりの実人生、そして戦争から遠く離れた私たち日本人の生き様が、
 鮮明に炙り出される!

  身代金要求を日本政府に拒否されたテロリストたちは、
 要求を拒否するなら人質一人一人を順次処刑することを宣言。
 「全員で励まし合いながら、解放されるまで頑張ろう」と、結束を固めた5人だったが
 処刑宣言の前に、誰が最初に処刑されるのか。
 5人がそれぞれに胸の内を探りながら、自分ではないだろうという希望的観測を抱いていく過程は
   読んでいて辛い。
 いつ命を絶たれるかわからないような最悪な環境に置かれれば、
 人間は弱い存在にもなる。
 自分を律し、毅然とすることなど出来はしない。
 
 人質の命を盾に、無抵抗な人間を恐怖に陥れ、命を代価に高額の身代金を要求するテロリストたちが、
 自分たちの闘いは聖戦だと主張しても、多くの人は納得しないだろう。
 
 テロ行為そのものが、最も卑劣で、人間の良心を逆撫でするような行為だからだ。
 聖戦という大義名分を掲げた殺人行為だからだ。

 絶体絶命の窮地に立たされたとき、人間はどんな考え方や、行動を取ろうとするのだろう。
 
 なぜ彼らはテロリストになったのか。その生い立ちを描き、
 多面的な登場人物のを描くことによって、物語に真実性と深みを与えている。
 二転三転しながら物語はやりきれない結末を迎える。
 
 「砂漠の影絵」というタイトルの意味。 
 イラクの砂漠地帯で起こっている戦争を実体はあるのだけれど、
 影絵のように不確かな存在というイメージ、あるいは実態の見えない影絵のような存在、
 混沌として先行きの見えない戦争を意味しているのか。 

       (2018.10.28記)  (読書案内№132)
 

 

 

 

 

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伝承 お伽羅哀話 (2)

2018-10-12 17:30:00 | 郷土の歴史等

 伝承 お伽羅哀話 (2)

名主は反対しましたが他に代わりがあろう筈もなく
とうとう賛成し人柱とすることが決まりました。
嫌がるお伽羅を
「皆の為村のために犠牲になってくれ」といい水中に投げ込んでしまいました。
お伽羅は哀しい悲鳴と共に濁流の中に身を没してゆきました。

 やがて悲しい出来事も終わり村は水没することもなく
家屋財産田畑何ひとつ失うことなく人々は助かりましたが
一人として明るい表情を見せる人はいませんでした。

皆が罪の意思義にさいなまれ、
ある者は「川の中からお伽羅の泣き声が聞こえた」といい、
又、村に疫病が流行り始めると「お伽羅の祟りだ」と言って恐れました。
 いつしか人柱にしたお伽羅の供養をしようということになり
村中こぞって鬼怒川辺りでお伽羅の霊を慰めました。
村落の菩提寺でもありこの地方の本寺でもある安楽寺に供養塔を建てて
お伽羅の菩提を弔いました。
疫病もおさまり平安な暮らしが戻るとお伽羅の供養のためとして
「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進し
永代に亘り供養がつとまるようにとの村人の願いからでした。
ここにまつられている石塔は村人の改心と
感謝の誠をあらわしたものと伝えられています。
   
 やさしいお伽羅の哀しい一生を思い遣り
懺悔と慈悲の懇ろなる供養と末永き回向が勤められますことを念じつつ
  南無阿弥陀仏 南無妙法一心観仏        合掌

天台宗別格本山正覚山蓮前院 厄除元三大師 安楽寺

  以上が2回にわたって紹介した「伝承 お伽羅哀話」の全文です。
  さて、「伝承」として紹介されているお話ですが、
    果たして、この話に信憑性があるのか?
  お伽羅の供養のためとして「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進」
    とあるので、この安楽寺に寄進された「伽羅免」が 
  現在でも残っているのか?
    さっそく、安楽寺の住職さんに確認の電話を入れてみました。
  「伽羅免」は残っていないが、
  お伽羅が住んでいた場所(庄屋の家?)は特定できています。
    つまり、伝説ではなく、伝承としてこの地域の村人のあいだに語り伝えられた
  「お伽羅」哀話だということなのでしょう。
 
  遠い昔におきたお伽羅の不幸な物語の「哀話」を、後の世に伝え、
  供養塔には今も花が供えられています。
  人間の身勝手な行為とお伽羅の霊を敬い供養する相反する気持ちでわありますが、
  二面性を持つ人間の行動パターンとして認識することも大切なことと思います。
                                   (つづく)

          (2018.10.12記)      (郷土の歴史等№7)

    次回は番外編として、各地に伝わる「人柱」伝説について掲載します。

 

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伝承 お伽羅哀話 (1)

2018-10-09 21:50:45 | 郷土の歴史等

伝承・お伽羅哀話
   両側に深い木立の続く緩やかな上りの表参道の先に長寿門が現れる。
    
  
  この門をくぐれば厄除開運 健康長寿 病気平癒がかなえられるという
  有り難い門で長寿門と言われている。
  門をくぐり、境内の端を西の方に歩いていくとお伽羅の供養等が
  忘れ去られたようにひっそりと建っている。
  土地の人が供えたのだろうか、野菊と造花がお伽羅の悲しみを労わるように
  生けてあった。
  
 
    お伽羅の供養塔           伝承 「人柱お伽羅哀話」案内板

 伝承「人柱お伽羅哀話」(案内板より)

昔、幾日も幾日も大雨が降り続いた年がありました。
鬼怒川は増水し、
河畔の村々では皆が今にも決壊しそうな堤防を固唾をのんで見守っていました。
渦巻く濁流にすべてを押し流される恐怖心は募るばかりで
誰も彼も為す術もなく天を仰ぎ無力感に襲われるばかりでした。
そんなとき誰云うともなく
「龍神様に人柱をたてて怒りを鎮めてもらおう」と言い出しました。
その声は次第に広がり、
誰を人柱にするかということになり、
誰もすすんで人柱に立てようとする人はいませんでした。

 人柱をたてるとは難工事の際荒ぶる神の心を和らげるため
犠牲(いけにえ)として生きた人を水底や土中深く生き埋めにすることであり、
誰一人として愛しいわが子を人柱にはしたくなかったのです。
 その時何処からともなく「お伽羅を人柱にしよう」と誰かが云い出しました。
お伽羅と云う娘は諸国巡礼の母娘の二人連れで
旅の途中常総市まで来た時母は病気で亡くなり、
天涯孤独の身となった娘でした。
名主が境遇に同情し奉公人として養っておりました。
気立ての良いこころのきれいな娘でしたが、
村人たちは身寄りのないお伽羅を人柱にしようとしたのでした。
                            (つづく)
        (2018.10.9記)       (郷土の歴史等№6)

 

 

 


 

 

 

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こころよく我にはたらく仕事あれ……① 石川啄木の歌

2018-10-05 17:20:56 | 労働問題(過酷労働・過労死・仕事と生きがい等)

     こころよく我にはたらく仕事あれ…
 ① 石川啄木の歌

 こころよく我にはたらく仕事あれ
        それをし遂げて死なむと思う
              石川啄木 「一握の砂」1910年

  啄木にとって「こころよくはたらく仕事」はあったか。

 放浪と病苦、貧苦にあえぎ故郷岩手県・渋民村で代用教員として働き始める。
 この時啄木20歳。

 1年後には北海道に渡り、函館、札幌、小樽、釧路と漂白し、
 新聞記者として働くが残ったのは、借金と失意だけだったという。

 22歳の春、妻子を残し上京し、小説家たらんとするが、
 彼を待っていたのは、貧乏、借金
 そして放蕩、病気。小説は売れずここでも彼は深い挫折を味わう。

      いと暗き
  穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
  つかれて眠る
       
※ 真暗な穴に心が吸われていくような思いで、
         ただただ疲れて私は眠る。貧困、放蕩の末に
         啄木は闇のなかに「死」をみつめていたのではないか。 
  
  こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それを仕遂げて死なむと思う
       
※ 東京朝日新聞に校正係として勤めていたときの歌です。
         啄木にとって「こころよくはたらく仕事」とは、文学で
         身を立てることだった。現実との乖離に苦悩する啄木の
         思いがこの歌となって噴出したのでしょう。

  浅草の夜のにぎはひに
  まぎれ入り
  まぎれ出で帰しさびしき心
       ※ どうしようもない苛立ちが、やがて啄木を孤独感におとしめる。
         群衆の中に居てなお孤立した啄木の姿が哀しい。
         この歌の前に次のような歌も歌っている。
           こみ合へる電車の隅に
           ちぢこまる
           ゆふべゆふべの我のいとしさ

  啄木24歳(1910年 明治43年)
     「一握の砂」刊行。啄木は当初、
     歌集の書名を「仕事のあと」として考えて
     いたが、最終的に「一握の砂」とした。
       頬につたふ
       涙のごはず
       一握の砂を示しし人を忘れず
     余談になりますが、「一握の砂を示しし人」は誰なのか。
     女性だと仮定すれば、「恋愛歌」として多くの人の共感を呼ぶ。
     だが、男と仮定した場合、「人生歌」とも解釈できる。
     「一握の砂を示しし人」は、心を許した人生の先輩や友人などが思い浮かぶが、
     歌の内容が甘すぎる。やはり、女性とした方がしっくりするのではないか。

       いのちなき砂のかなしさよ
       さらさらと
       握れば指のあひだより落つ
        指のあいだよりさらさらと落ちる砂の無常観が、
         「いのちなき砂のかなしさよ」という上五七によって
         さらに強調されている。イメージとしては、頬につたふ/涙のごはず/
         一握の砂を示しし人を忘れず/に通じる歌です。
  生活苦にあえぐ苦しさや、孤独感をその時々の感情の赴くままに歌に託した啄木。
  啄木の歌は、青春のやるせなさ、哀しみや孤独感、
  貧困などの日常の出来事を素直に五七五七七託し自己表現している。

  小説家になりたかった啄木は「歌は小生の遊戯なり」と言っているが、
  やがてこの言葉は歌集「悲しき玩具」として結実する。
  1912年4月13日(明治45年) 啄木肺結核にて死去。満26歳
      
  1912年6月20日 啄木第二歌集「悲しき玩具」が発刊される。
         新しき明日の来るを信ずといふ
        自分の言葉に
        嘘はなけれどー
         「嘘はなけれどー」言葉に託くした啄木の深い絶望を思うと
          心が痛みます。
         途中にてふと気が変わり
        勤め先を休みて今日も
        河岸をさまよへり

        呼吸(いき)すれば
          胸の中(うち)にて鳴る音あり
         凩(こがらし)よりもさびしきその音
                  
「悲しき玩具」冒頭の歌です。
           限りなく暗く寂しい心象風景が浮かんできます。
           「私にとって歌は悲しい玩具である」といった啄木にとって
           仕事とは何を指すのだろうか。


                               啄木と仕事という視点で啄木の歌を鑑賞してみました。          
           (2018.10.6)          (労働問題№3)

   

           

 

 

 

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「切り絵」の世界 メルヘンチック 妖艶 細密…

2018-10-02 06:38:30 | つれづれ日記

「切り絵」の世界
    メルヘンチック 妖艶 細密……
 切り絵=カッターで切り抜き色のついた台紙に張り付ける。
これくらいの知識しかなかった。
案内のポスターを見て、「切り絵アート展」を見に行ってびっくり。
我ながら、切り絵に対する見識のなさを恥じると同時に、その世界の奥行きの深さと多様性に圧倒された。

 ここに繰り広げられた世界は、メルヘンチック 妖艶 細密 繊細 豪快 エキゾチック。作家一人一人が、自分の思いを技量に託し、個性的な作風を展開している。
 一堂に集められた切り絵作家の作品は、まさにしのぎを削り、他を寄せ付けない孤高の世界を展開している。

  一口に切り絵と言っても、技法や表現方法によって作風はまったく違っていて、多種多様な作品が生まれています。現代日本を代表する11人むの作家の作品を、一堂に展覧します。細密さを極めたレースのような切り絵や、光を使って紙芝居のように場面が変化する作品。ドラマチックな物語や空想の世界を描いたものや、素朴な風景を描いたものなど11人の個性が光ります。
                            (ポスターの案内文から要約)

        関口コオ「近松心中物語」
     妖艶の世界をカッターで仕上げていく。「近松心中物語」の悲恋・道行が作者の怨念となって表現されているような作品。

 

                                    林 敬三「七人の侍」 
   集まった「七人の侍」達、眼光鋭い精鋭たち、
  さて何が始まるのか。緊迫した時間が漂っている。 

 
           倪 遄良「光陰の理~ときのことわり~」
 ロマネスク調の画面の中で抱擁する男女。二人の男女から放散される光の線。「光陰の理」とは
どんなことなのだろう。


  柳沢 京子 「春よ来い、道祖神」
  春を待つ男女の着物の模様が、この切り絵の雰囲気を表している。 

    
 辰巳 雅章 「キツネの嫁入り」 
 どれが切り絵と絵画がコラボしたような作品。作者の個性が光る。   

         
                      酒井敦美「春の羽根」
 電灯の点滅で画面が表と裏にへんかします。今の画面は表ですが、一端電灯が消え次に点灯したの画面は、少女は後ろ向きになって桜の大木を見つめている構図に代わります。なんとも不思議なアートです。
筑紫ゆうな「無題」井出文蔵「一寸法師   百鬼丸「武田信玄」


 蒼山日菜「Voltaire ヴォルテール」
    想像の範囲を越えた緻密さがある。筆記体で書かれた英文の手紙を、一筆書きのように最後の人文字までつなげて彫り込んである。髪の毛のように細い線をどのようにして切っていくのか。
想像の範囲を超えている。

 展示された11人の作家たち。
 芸術とは個性の表現だとつくづく思う。
 それ故に孤高の峰を登り、海原の波をかき分けて
 自分の道を切り開いていく戦士なのかもしれない。
 孤独な戦士。

       (2018.10.1記)     (つれづれ日記№75)

 

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