戦後70年・証言 「お手伝い戦争」
高木敏子さん(83)の証言
「この国は油断していると『お手伝い戦争』をするようになる。
だから、注意していないとだめですよ」
高木さんの発言はとてもシンプルで、解りやすい。
「お手伝い戦争」という表現が、今の日本の置かれた立場を明確に表現している。
「今、日本はまさにアメリカのお手伝いのために、戦争に行ける国になろうとしている。
『蟻の一穴』というでしょう。憲法が守ってきたものが、ここから崩れてしまいそうで怖いんです」(朝日新聞2015.8.18夕刊・戦後70年 時代のしるし参照)
同盟国アメリカの要請があれば、今までのように”特別法”を制定しなくても、戦場に自衛隊を派遣することができる。
日本は、過去において、金は出すが、戦力の提供、戦闘要員としての自衛隊は、憲法9条があるから派遣できません、と非戦の姿勢をくずすことはなかった。
戦後戦勝国アメリカが敗戦国日本に押し付けた「憲法9条」だが、我々はこれを、敗戦の貴重な反省とし、永久に戦争をしない国として、9条を守り育ててきた。
だが、世界は今とても危うい状況の中でかろうじてバランスを取っている。
戦力を多く持つ国の発言力が強く、持たざる国が肩身を狭くしなければならないような状況が続けば、いつかは大戦の火種が燃え上がり取り返しのつかないことになってしまう。
「自分の国は自分で守る」という気概がなければ、正義を維持することが難しくなってきている。
核の傘のもとで、安穏としていては平和を維持することが難しくなってきている。
だから、「戦争をしてもいい」ということではない。
どんな事情があるにせよ、戦争は絶対にしてはいけない。
対立する者同士の理解と協調を進めるようなシステムづくりが必要だと思う。
そのために、国連の決済力をもっと高める必要がある。
「軍事力」という台座の上で、互いの主張がなされるようでは平和の実現は程遠い。
かってパスカルは「瞑想禄」の中で言った。正義は力なり、力なくして正義はあらず。
正義=武力ではない。正義=知恵の力である。知恵の力が平和を保つ礎(いしずえ)とならなければ、世界の平和は望めない。
(2015.8.22記)