妻へ また巡り会える日まで
(逢えなくなった人たち №2)
目を閉じれば、
気さくで、誠実な妻の明るい笑顔が浮かびます。
映画好きな妻はジャンルを問わずよく見ていました。
音楽は華原朋美やエグザイルを好んで聞いていた妻。
こよなく愛した宝塚歌劇団は特に水夏希のファンで、
幾度も劇場へ足を運んでは、
その美しい舞台に酔いしれていたものでした。
相撲も大好き、
野球も大好き。
国技館も、ナイターの球場へも何度も足を運びました。
何をするにも一生懸命。
決して手を抜かない。
感動すれば子どものように喜び、
怒りの対象があれば、歯に衣着せずにものが言える。
十一年間にも及んだ闘病生活。
生きたいという気持ちを人一倍強く持ち続けた妻は、
ひたむきに治療を重ねておりました。
決して、明るさを失わない。
裏を返せば、他人への思いやりである。
どんなに辛くても、胸の内に閉じ込め、
ひたすら、明るく振る舞う姿に
みんなが元気をもらった。
辛い闘病生活の合間を縫うように
旅行にも出かけた。
先の見えた生命(いのち)の灯を燃やしながら、
現世の思い出をたくさん作り、
それはまた、
私や子どもたちへのお別れのプレゼントだったのかもしれない。
子煩悩で家族思いだった妻。
動物が好きで、
かつて共に暮らした愛犬のことをとても可愛がっていた妻は、
元気になったらまた犬を飼いたい……そう願っていたのですが、
それも叶わぬ夢となりました。
在りし日を偲べば、
訪れた別れに切なさは募りますが、
今はただ、妻の冥福を祈るばかりです。
(会葬礼状のほぼ全文を掲載しました)
K子は、53年の生涯を駆け抜けていった。
余命宣告をされて、闘病を続けながら、仕事を続けた。
K子が仕事を辞めたのは死の一週間前だった。
「あなたの明るさと、働く姿勢が職場の良いお手本になる」から、
休みながらでもいいから勤めてほしいという会社の要望にも応えた。
放射線治療で、すっかり髪の毛が抜けてしまった頭部を、鮮やかな色のバンダナで包み
職場に現れるK子には、闘病の辛さや、余命宣告された暗さなど何処にも感じられなかった。
「臨終は静かに訪れた」、と夫のMから聞いている。
Mの手を握り、安心したように目を閉じ、
(おそらくは、痛み止めのモルヒネで意識がかすみ)
臨終の言葉もなく、
握った手のぬくもりが、
語りつくせぬ思い出と、「ありがとう」の言葉に代えて、
Mの手のひらには、1年半を過ぎた今でも妻・K子のぬくもりが残っているという。
合掌