雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「電池が切れるまで」 子ども病院からのメッセージ②

2017-11-27 21:47:35 | 読書案内

読書案内「電池が切れるまで」
    子ども病院からのメッセージ②
 この記事は前回(11月23付)の続編になります。
 ①を未読の方はこちらを先に読んでいただけると理解が深まると思います。
 特に、宮越由貴奈ちゃんの詩「命」は是非読んでいただきたいと思います。

 宮越由貴奈ちゃんの詩には、『宮越由貴奈さんの詩「命」』というタイトルで山本厚男教諭(豊科南小学校勤務・子ども病院院内学級担当)が一文をよせていますので、紹介します。

(要約)
 この詩は由貴奈さんの遺作となってしまいました。
後日、お母さんのいわれるには、
院内学級で受けた理科授業「乾電池の実験」直後に作られたということでした。

 亡くなられたあと、富士見小学校児童たちも参加しての葬儀では、
同級生の弔辞の中でこの詩が朗読されました。
…略…しばらくして、宮越由貴奈さんの詩「命」はある学校の道徳の授業に使われました。
また、長野県人権擁護委員会の会誌に掲載されたり、
あるお坊さんの法話やNHKテレビにも紹介され、
他にもたくさんの方々が、講演等で紹介されました。

 多くの人たちが「命」の詩に感動し、由貴奈ちゃんの想いは、
由貴奈ちゃんが亡くなった後も水辺の波紋のように広がって行ったのでしょう。
詩に託された命への思いが、
賢明に生きている由貴奈ちゃんの姿は、読む人の魂を揺さぶります。
どんなに高名な哲学者も、カウンセラーも脱帽です。
宮越由貴奈ちゃんの詩

  ほたる

ほたるはとてもきれいだ
見てるだけでこころがなごむ
でも最初に見たときは少し怖かった

だけどオスとメスで
一生けんめい光をだしあって
自分のいばしょを教えあっているんだね

このごろは
住む自然がなくなってしまって
ごめんね本当にごめんね
来年の夏にもまた
きれいな光を見せてね

 一生懸命光をだしあって生きる姿と、辛い闘病に負けないで生きる姿が重なっていますね。
 病と闘っているにもかかわらず、「ごめんね」と言えるやさしい心の持ち主だった。
 入院中の友だちを元気づけ、明るくするムードメーカーでもあった由貴奈ちゃんでした。
 一緒に戦ったご両親の手記を紹介します。
 由貴奈ちゃんのお母さん陽子さんの手記

五歳の時、神経芽細胞腫と診断され十一歳で亡くなりました。
 信大病院での抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、
子ども病院に移っての自家骨髄移植やその他にもいろいろな辛い治療を受けながら、
入退院を繰り返していたころ、書いたものです。
命という作品を書いたころ、テレビで流れるニュースと言えば、
いじめだとか自殺だとかが多く、
同じころ病院では、一緒に入院していた友達が何人かなくなりました。
生きたくても生きられない友だちがいるのに自殺なんて……そんな感じでした。
それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。
この詩を書いた四か月後に亡くなりましたが、これに書いたとおり充分精一杯生きました。
書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの『命』という詩は
十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。

                                        合 掌

(2017.11.27記)  (読書案内№115)

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読書案内「電池が切れるまで」 子ども病院からのメッセージ①

2017-11-24 09:35:53 | 読書案内

読書案内「電池が切れるまで」
    子ども病院からのメッセージ①

                    すずらんの会編 角川文庫 2006.6初版

  
15年も前に単行本で発刊され、当時ベストセラーになった本の文庫版。
当時、福祉系の仕事の責任者をしていた私は、職場で購入しスタッフに薦めた。
改めて文庫版で読んでみたが、当時の感動が少しも色あせずに残っていたことに感動。
それはきっとこの本が、小さな子供たちが病気と闘う「命」に、真剣に向き合い、
決して希望を捨てずに、辛い手術やリハビリに挑む姿が、子どもたちの詩や文章に
生き生きと描かれているからに違いない。

 子どもたちの命の鼓動が聞こえる

 長野県・安曇野(旧豊科)ICを降りて南に向かって12~3分走ると、赤いとんがり帽子の屋根の建物が見えてきます。長野県立こども病院です。
西に雪をかぶった常念岳を背負ったメルヘンチックな建物です。
    
訪れた17日、関東育ちの私に風は冷たく、枯葉がベンチの周りを舞っていましたが、
入院病棟の窓の中から、あたたかな灯りがこぼれ、
ちらちらと子どもたちが動く姿が垣間見えました。
発刊当時テレビドラマ化され話題になったこの子ども病院を訪れたのは2度目です。
「読書案内」を書く前にもう一度行ってみたい。
詩や文章から伝わる感動を五感で感じたいと思ったからです。

子どもたちにとって、「命と闘う治療」は不安と辛さを伴うものです。
それを支えているのは、第一に子どもたちの「命」に向き合う一途な気持ちと、
子どもを支える家族であり、医師であり、看護師であり、
院内学級の教師の「命の尊厳」への絶えざるアプローチがあるから、
やさしさがあるから子どもたちは希望を見
失うことなく、
辛い現実に立ち向かっていくことができるのだろう。
そうした子供たちの一人・宮越由貴奈(小学4年)ちゃんの詩を紹介します。

  命

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単にとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

  全文を紹介しました。
  この詩は由貴奈ちゃんの遺作になってしまいました。
  命と闘った由貴奈ちゃんのご冥福を祈ります。
(2017.11.22記)   (読書案内№114)      (つづく)








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シャリのねぇ寿司なんぞ食えるかい

2017-11-14 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

シャリのねぇ寿司なんぞ食えるかい
   

「食いねぇ食いねぇすし食いねぇ」
「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」「あぉ そうかいすしくいねぇ」

 ご存じ、遠州森の石松の「石松三十石船」の船中の台詞である。
喧嘩っ早くて少々頭は足りないが、お人好しで憎めない隻眼の侠客、石松も墓石の下で苦笑いしているだろう。「シャリのねえ寿司なんて馬鹿々々しくて食えるかい」

                静岡県・森町の大洞院にある「森の石松の墓」
  
 糖質ダイエットが流行っているらしい。
徹底して糖質を取らないようにする。結果、ご飯や麺類は極力取らない。
現に、糖質カットでダイエットに成功した有名人がテレビの健康場組で出演して
映像と生身の身体でアッピールするからなおさらだ。
こうした風潮を受けて外食産業や食品会社でも、「低糖質」、「糖質ゼロ」をうたう商品が増えてきた。「糖質ゼロのビール」、「糖質を抑えた面」など、具体例を挙げると、
牛丼チェーン店では定食のライスを湯豆腐(夏は冷や豆腐)に変更できる。ファミリーレストランでは、糖質25%減の自家製麺を提供。

そして、ついに出た。
回転すしチェーン店。
シャリなしの寿司。
ネタのエビの下には厚さ5㍉、幅2㍉ほどの大根の酢漬け。
寿司というより海鮮サラダのような食感だ。
他に手巻きすし風の糖質カットをうたう約10種類を展開中だ。

「こちとら、生まれは江戸っ子だい。シャリのねえすしなんぞ食えるかい」
「ダイエットですしのシャリが食えねぇ、というのなら、すし屋なんぞに行くな」
牛丼屋で定食のご飯の代わりに、湯豆腐でも食うがいい。
ファミレスで低糖質の自家製麺を食い、糖質ゼロのビールを飲めばいい。
「すしは日本の文化だい」
ご飯ものを減らしたからといって、
おかずをもう一皿なんてことをやっていれば、本末転倒だ。

糖質の摂りすぎも大切だが、
日本人の食生活で最もリスクの高いのは塩分です。
塩分の摂りすぎは、ガンや脳卒中など命にかかわるリスクが高くなります。

最後に声を大にして言いたい。
ダイエットのためにすしのシャリが食えなかったら、すし屋なんぞに行くな。
すしネタはシャリのほんのりとした甘み味とわずかに加えられた「酢」の味によって
何倍も引き立つのだ。
        (2017.11.14記)  (昨日の風 今日の風№80)

 

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「死刑、覚悟できている。だけど…」

2017-11-13 19:06:12 | つれづれ日記

「死刑、覚悟できている。だけど…」

 人を殺しておいて、本当に覚悟ができているのか。

「一日も早く死刑にしてほしい」

  青酸連続不審死事件で殺人罪などに問われた筧(かけひ)千佐子被告(70)に対し、
京都地裁は7日、死刑判決を言い渡した。

「明日の夢もなく、ただ死刑の日を待つのみ」

8月以降、朝日新聞記者が34回にわたって京都拘置所で面会をしたり、
はがき等で通信を交わした記録である。
この二つの発言を見れば、
今は、粛々と判決を待つのみだという気持ちの表れかなと思われる発言だ。

だが、紹介された彼女の発言は許し難い、自分本位の発言に変化していく。
判決前の接見で得られた発言。
「死刑になることは分かっている。
覚悟はできているの。
だけどね、私も人の子やからね。
本当はまだ生きていたい」

高齢の男を手玉に取り、青酸連続死の殺人罪に問われた筧千佐子被告だ。
ここには、
殺人という罪の重さも、
かけがいのない命を奪うという身勝手な自分を悔いる気持ちなど微塵も感じられない。
自分の金銭的欲望のために何人もの人の命を殺め、
表の顔は「覚悟は出ている」と装いながら、
裏の顔がひょいと顔を出す。
「人の子やからね」「本当はまだ生きていたい」と本音をのぞかせ、
罪の意識など微塵もない。

「あなたを愛した人が目の前で倒れて苦しんでいる時、
ほんの少しでも可哀想だという気持ちはわかなかったのか」

記者の誘導尋問にしばらく沈黙した筧被告の答えはなかった。
7日、京都地裁の判決が出た同日午後の面会記録。

「まだ生きていたい。
控訴をして、
それでもだめならあきらめがつく。
笑って死んでいくよ」。


「覚悟はできている」という発言と裏腹に、
「まだ生きていたい。
控訴を」すると本音を言う心の裏には、
「生」に対する未練が見える。
この期に及んで「笑って死んでいくよ」と見栄を張る筧被告が哀しい。
最後まで、虚構の心中から逃れられない被告はあわれだ。
             (参考:朝日新聞11/7夕刊 11/8朝刊)

                                          (2017.11.11記)       (つれづれ日記№70)

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楽園追放 禁断の木の実を食べて楽園を追放される

2017-11-09 18:00:00 | つれづれに……

 

  楽園追放

 

     禁断の木のみを食べて楽園を追放されるアダムとイブ

「マザッチオ作  1427年頃」
楽園追放の最も有名な絵画。神は天地を創造し、6日目に自分をかたどって土で人を造った。
また、アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ

二人はエ デンの園で暮らしていた。
神は「この園にある全ての樹の実を食べても良いが、善悪の知識の木の実だけは決して食べてはならない」と言った。

ある日、エデンの園を歩いていたイヴは、
蛇にそそのかされて禁断の木の実(善悪の知識の木の実)を食べてしまった。
イヴはアダムにも食べさせた。
すると、2人は自分たちが裸であることに気づき、
恥ずかしさのあまり体をイチジクの葉で隠した。

 神は約束を守らなかった罪(原罪)により、
二人を楽園から追放し(失楽園)、蛇を地を這う動物とした。
以後、女には産みの苦しみが与えられ、
男は苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなった。
誘惑者の蛇は手足を失い、一生腹で這い回る姿になってしまう。
          
日本人がイメージする禁断の果実は、赤いリンゴ。ヨーロッパでは青リ 
         ンゴ。イブが食べたリンゴは、聖書には木の実としか記されていない。                  後世、リンゴが美味しくてかわいいことからリンゴとされたようです。また、
          ふたりが身にまとっていた木の葉が、イチジクの葉なので、イチジクの実と
          解釈する人もいるようです

 
 顔の部分を拡大して見ましょう。
 中世の「宗教画」には、無表情な人物描写が多い中で、
 この絵には「失楽園」の嘆きと悲しみが豊かに描かれているように思います。

 「シャルル・ジョセフ・ナトワール作  18世紀半ば」
こちらのアダムは神の怒りに対し手を合わせ、許されるよう懇願して
います。イブは泣いているのか、眠そうにしているのか、
どちらなんでしょうか・・・。左の背後で蛇が脱走中です

  

  
「マイスター・ベルトラム(ベルトラムの親方)作  14‐15世紀」
神は禁断の木の実を指さし、「お前たちがこの果実を食べたのか」と叱責します。
問われたアダムは首を傾げ、「イブが私に勧めるから、ついつい……」とイブを指さしますが、
顔も視線もイブを見ていません。
イブのせいにして、責任逃れをしようとするアダムのやましい姿に見えます。
一方、名指しされたイブの表情は、晴れ晴れとした表情で、
「いいえ、私が果実を食べたのは、この蛇がしつこくに誘惑したからなのです」。
「決して私が悪いのではありません」
罪の意識も恥じらいもないようです。
木の葉で股間を隠し(恥じらいの自己防衛)、
責任転嫁という意識がすでに追放を前にして現れている絵だと思います。


 絵画鑑賞には、文字からの情報や知識だけに頼らずに、自分の感性を磨き、
作者が何を表現しようとしたのかを捉えることができれば、
楽しい鑑賞ができるのではないでしょうか。
         (2017.11.09記)  (つれづれに……心もよう№70)

 

 

 

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秋色に染まる

2017-11-06 18:00:00 | 季節の香り

秋色に染まる
  妻と来て山ぶどう買う道の駅嗅げば蔵王の秋かおりたつ …… (仙台市) 沼沢 修
          温泉もよかった、小旅行の帰路立ち寄った道の駅。お土産にぶどうを手に取ると、
          今くぐって来た錦秋の蔵王の秋の名残りが匂い立っていた。

          熟年夫婦の仲睦まじい姿が目に浮かびます。
  
  夕方の塩尻駅を吹き抜けるぶどう色の風かすかに甘い …… (富士市) 松田梨子
        
小旅行の帰りなのだろうか。夕方の塩尻駅のプラットホームに風が通りすぎる。
          ぶどう色した風で、かすかに甘い香りを乗せて私の鼻先を掠めて消えていく。

  少年の心となりて木通(あけび)採る気づけば妻も少女のこころ …… (仙台市)沼沢 修
          こんなときの妻は、いっそう可愛く思われる。同じように木通採りに夢中になっている
          夫も可愛く映っているに違いない。木通採りに夢中になっている少年と少女。

   萩の咲く浄土寺真如町あたり静かな二人の時間を歩く …… (西宮市)佐竹由利子
          若いっていいなー……
          ふたりだけの時間よ止まれ。
   

   黒塚に芭蕉も子規も詣でしと安達ケ原を秋の雲過ぐ …… (福島市)美原凍子
         安達ケ原の鬼婆の墓といわれている伝説の黒塚に手を合わせ、
         偉大な先人たちもこうして、ここで手を合わせたのだろうと感慨に浸る。
         この安達ケ原の黒塚の上を秋の雲がゆっくりと流れていく。
         雲の模様は晩秋の訪れを知らせている。

  華やかに山や谷を染めて、樹々たちは間もなく訪れる厳しい冬の前の短い時間に
  ひと時の安らぎを醸し出している。
  この大自然の摂理に身を置いたとき人は、俗世のしがらみから解放され、
  無垢な自分に還ることができる。

     (朝日歌壇2017.10.22付から選びました)
      
    (季節の香り№31)  (2017.11.5記)

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希望 ことの葉散歩道 (№22)

2017-11-04 18:00:00 | ことの葉散歩道

希望   ことの葉散歩道 (№22)

この記事は2016.01.05に掲載したものですが、前回(2017.10.30)の「人生の最期」に関連した内容なので、加筆して再掲しました。

 「何がしたかったの」と問い掛けられれば、
自分の歩んできた人生を否定されたような気がします。
辛くなります。
車椅子の生活でも、
後遺症で思うように体を動かせなくても、
その時々に応じて、「したいこと」はあるはずだ。
そういう気持ちを理解し、サポートしていただけたら、
人生は豊かになります。
光が見えてきます。
どんな格差社会に生きようとも、「土に還ってしまえば」すべては、
無常の時間の流れにゆだねることになります。
 だからこそ、
多くの人は理想の「人生の最期」を求めるのでしょうね。
                   (2017.11.04記)
 

「何がしたいの」って聞かれて、

うれしいと泣く女性がいた。

※ 「それでも やっぱり がんばらない」より 

鎌田 實著 集英社

 前途に明かりが見えないような辛い目にあっても、人は希望を捨てない。

どんな些細なことでも、「希望」が生きる支えになり、自分自身の力となってくる。

 例えば、車椅子から降りて自分の足で歩きたい。

スプーンではなく箸でご飯を食べたい。

お粥ではなく 白いご飯を食べたい。

 

 まずは生理的欲求を満たしたい。

次に、外的欲求を満たすことに気持ちが動く。

歩きたい、車椅子でもいいから外に出て新鮮な空気を吸いたい。

 

 末期の癌に侵され、たどり着いた病院で「何がしたいの」と聞かれ、うれしいと彼女は泣いたという。

おそらくは余命宣告をされ、気持ちの整理のつかぬまま、

ベッドに横たわる彼女には、なんと優しい励ましの言葉に聞こえたことか。

 

 支えられた人たちに「最期のお別れ」くらいはきちんと伝えたい。

お迎えが来るまでは、笑顔で暮らしたい。

 

 ささやかな願いがやがて生きる希望に繋がってくる。

たった一度の人生なのだから、最期の時ぐらいは穏やかに静かに心許した人に看取られたい。

万人が思う終末期の願いである。

 

 著者の鎌田實はさらに次のように文章を締めくくる。

関東のある町から諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやって来た初日、問診で聞かれた言葉。以前の病院で、彼女は「何がしたかったの」と過去形で聞かれた。治らないがんがあったとしても、私は、今、生きているんですって怒った。そうだ、生きている限り、したいことがあるはずなんだ。

       出典:「それでも やっぱりがんらない」

          集英社 単行本 2005.5刊行 

              文庫本 2008.2刊行

                                            (2016.01.05記) 再掲

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