雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

公安が来た ③ 真岡猟銃強奪事件の概要

2023-03-25 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ③ 真岡猟銃強奪事件の概要
   これまでの話。

    私にやましいところがあったわけではない。私を名指して訪問してきた警察の意図が
   分からなかったから、それを知りたいという気持ちもあった。「
真岡の猟銃事件ですね」
   と私。
栃木県真岡市は私の住んでいる町から二十数キロの小さな町だった。そこの猟銃店
   が襲われ、散弾銃と銃弾が強奪された事件だ。
この事件は最初から過激派グループの犯行
   と判明し、警察の威信をかけて犯人を追っていた事件だ。

   1970年12月18日、東京・板橋区の上赤塚交番で、交番勤務の警察官から拳銃を奪う計画は、
  警官の抵抗にあい失敗したあげく、仲間が一人射殺された。
  輸送中の「リーダー奪還計画」はとん挫するが、警察への報復作戦へと思わぬ方向へ進んでいき、
  この事件はやがて、私の町から20キロ
程離れた「真岡の猟銃強奪事件」として、
  社会の耳目を集めることになる。

    1971年2月17日 真岡銃砲店襲撃事件・その1(革命左派)の記事より
            以下、新聞報道などの事件の概要は次の通り。
             交番襲撃事件から2か月後、1971(昭和46)2月17日、午前2時半ごろ栃木県真
             岡市の銃砲店を電報配達を装った
革命左派3人が襲撃し、猟銃10丁、空気銃1
             丁、散弾1500発を奪い逃走。8月に逮捕され懲役10年の判決を受け、現在刑
             期終了となっている実行犯の一人Y氏の証言によれば、店にあったすべての銃
             を強奪し、散弾銃の装弾は3500発ほどあったのではないかと言う。
                  朝日新聞の事件当日の夕刊では、『三人で銃砲店襲う』とあるが、これは誤報
             で、実行犯は6人で、うち2人は事件直後に逮捕。

            
             逃走
の途中、ラジオから流れてきたニュースで、小山アジト(坂口永田夫婦が
             館林に移る前に住んでいた)と下館アジト(現茨城県下館市下中山、小山から
             十数キロ)が警察に発見されたことを知った永田氏は、捜査の手が自分たちに
             どんどん迫りつつあることを悟り、パニックに陥ります。

             彼らが隠れ住んでいたアジトはいずれも、私の町を中心にして20~25キロの範
             囲に収まり、特に下館アジトは私の住まいから数百メーターにあった。
             おそらく、私が公安の訪問を受けた理由はこの辺にあると思われた。
             ただ、なぜ公安なのかその理由がわからない。

             革命左派のアジトが次々に警察によって暴かれ追われることになった。
             
             警視庁公安部では、各種の情報から猟銃奪取事件を過激派集団による犯行とほぼ
             断定、関東一円で7千人以上の大捜査網を展開した。

              この時点で、あさま山荘事件まであと1年。


               奪われた猟銃の一部は赤軍連合に金銭授受され、「あさま山荘人質事件」へ
               とつながっていく。
      
            次回: なぜ公安が私のところに来たか

                                     

            (つれづれ日記№83)  (2023.03.24記)

 

 

 

 

 


              

                      

 

 

 

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公安が来た ② 拳銃と猟銃

2023-03-14 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ② 拳銃と猟銃

        これまでの話。
    意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
    「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
    「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」
    黙っている私を気にとめることもなく、
    「〇〇の猟銃強奪事件は知っていますか」と、年上の刑事。
    能面のように感情の表現を殺した顔から、
    緊張を解きほぐしたような穏やかな顔に戻り、
    冷えたお茶を音を立ててすすりながら、つぶやくように言った。

 拳銃と猟銃

    
こんなことで捜査を断念するような警察ではないことを私は今までの経験で知っていたから、
    警戒を解かずに対応することにした。
    といって、私にやましいところがあったわけではない。
    私を名指して訪問してきた警察の意図が分からなかったから、
    それを知りたいという気持ちもあった。
    「真岡の猟銃事件ですね」と私。
    栃木県真岡市は私の住んでいる町から二十数キロの小さな町だった。
    そこの猟銃店が襲われ、散弾銃と銃弾が強奪された事件だ。
    この事件は最初から過激派グループの犯行と判明し、警察の威信をかけて犯人を追っていた事件だ。

    後日、「あさま山荘銃撃事件」へと発展する発端となる「真岡猟銃事件」の経緯について
    説明しておきたい。
   
    事件の発端は革命左派のリーダーが逮捕され、
    獄外にいた組織指導部の永田洋子(元死刑囚・獄中死)たちはこのリーダーが、
    護送車で裁判所に連れてこられる道中を襲い奪還することを計画をたてた。
    そのための「リーダー奪還計画」の武器となる銃が必要となった。
    
    最初に狙われたのは、東京・板橋の交番だった。
    1970年12月、仲間が警察官を襲うが、失敗しその場で一人が射殺されてしまう。

    同志の死は組織に結束と緊張を生んだという。

    警察官の拳銃などで、護送中の「リーダー」奪還を本気で考えていたのだから
    「奪還計画」もずいぶん未熟で甘い考えだったと思う。

    仲間一人を射殺され、目的は「リーダー奪還」ともに「警察への報復戦」ということが、
    左派の仲間たちの間での暗黙の了解事項となった。

    次に狙うことになったのが、「真岡の猟銃店」だった。

       (つれづれ日記№82)       (2023.03.13記)

 

 

 

 







    
                                 

 
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公安が来た ① 銃強奪事件の犯人は?

2023-03-06 06:30:00 | つれづれ日記

公安が来た ① 銃強奪の事件の犯人は?
  公安が私を名指しで来た
     お客様が見えています。事務員が私を呼びに来た。
     二人の男が私を待っていた。
     風体から普通の人ではないなと思いながら、尋ねられるままに名前を言うと、
     警察手帳を開き、
静かなところでお話を伺いたいというので、応接室へと通す。
     再び私は名前を確認された。
     警察が私に何の用事なのか、思いつくまま訪問の理由を尋ねると、
     それには答えず、「最近人を雇いましたか」といきなりの質問だ。
     「ムッ」としながら「はい」と私。
     「よろしかったら名前を教えていただけますか」と若いほうの刑事。
     「理由も教えていただけずに、いくら警察でも名前を教えるわけにはいきません」
     と私。今なら「個人情報にかかわることは教えることはできない」というところだ。
     「4人ばかりをこの四月に採用しました」と私。
     「その中に男は何人いますか」と若い刑事。
      つまりは、最近採用した男のことを知りたいのだ。
     「新規採用で男子一名を採用しています」と私。
     「年齢は?」と聞き役の若い刑事。
     それならそうと、回りくどい訪ね方をしないで、最初から「最近
採用した男がいれば、年齢を
     教えてほしい」と単刀直入に聞いてほしかった。
     「学卒の新規採用です」と私。
     「職種は?」と畳みかけるように問いかけてくる。
     堪忍袋の緒が切れた私は、一気に相手を責めた。
     「大体失礼ではないか、なぜ私を名指しで来たのか。質問の理由の説明もない」と私。
     このような理不尽な訪問の仕方に、私はイライラしていた。
     「あなた方の質問には一切答えるつもりはない。どうしても情報が欲しいなら、終業後に
     従業員を捕まえて聞いてみたらいい。
     ただし、会社の敷地の外でやってください。
     ほとんどの人は送迎用のマイクロバスで最寄りの駅まで行きます。
                 バスの運行を妨げるようなことがないよう注意してください」と私。
     「警察に疑われるようなことなど、私も会社もやましいところは何もない」と
     よけいなことまで言ってしまった。
        
     私は若かった。
     相手は20代後半の若い刑事と40半ばの二人。
     「捜査の秘密」とやらで、相手の機嫌を損ねることなど百も承知の刑事たちだ。
     「質問しているのは俺の方だ」と言わんばかりに、私のイライラなど一向に気にかけず
     「ボイラーの管理は、有資格者がしていますか」と聞いてくる。
     「私には答える義務はないが、拒否する権利はある」と私。

     意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
     「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
     「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」
     黙っている私を気にとめることもなく、
     「〇〇の猟銃強奪事件は知っていますか」と、年上の刑事。
     能面のように感情の表現を殺した顔から、
     緊張を解きほぐしたような穏やかな顔に戻り、
     冷えたお茶を音を立ててすすりながら、つぶやくように言った。
                                  (つづく)

       (つれづれ日記№81)     (2023.03.05記)
          
     



      
     

     

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