公安が来た ③ 真岡猟銃強奪事件の概要
これまでの話。
私にやましいところがあったわけではない。私を名指して訪問してきた警察の意図が
分からなかったから、それを知りたいという気持ちもあった。「真岡の猟銃事件ですね」
と私。栃木県真岡市は私の住んでいる町から二十数キロの小さな町だった。そこの猟銃店
が襲われ、散弾銃と銃弾が強奪された事件だ。この事件は最初から過激派グループの犯行
と判明し、警察の威信をかけて犯人を追っていた事件だ。
1970年12月18日、東京・板橋区の上赤塚交番で、交番勤務の警察官から拳銃を奪う計画は、
警官の抵抗にあい失敗したあげく、仲間が一人射殺された。
輸送中の「リーダー奪還計画」はとん挫するが、警察への報復作戦へと思わぬ方向へ進んでいき、
この事件はやがて、私の町から20キロ程離れた「真岡の猟銃強奪事件」として、
社会の耳目を集めることになる。
以下、新聞報道などの事件の概要は次の通り。
交番襲撃事件から2か月後、1971(昭和46)2月17日、午前2時半ごろ栃木県真
岡市の銃砲店を電報配達を装った革命左派3人が襲撃し、猟銃10丁、空気銃1
丁、散弾1500発を奪い逃走。8月に逮捕され懲役10年の判決を受け、現在刑
期終了となっている実行犯の一人Y氏の証言によれば、店にあったすべての銃
を強奪し、散弾銃の装弾は3500発ほどあったのではないかと言う。
朝日新聞の事件当日の夕刊では、『三人で銃砲店襲う』とあるが、これは誤報
で、実行犯は6人で、うち2人は事件直後に逮捕。
逃走の途中、ラジオから流れてきたニュースで、小山アジト(坂口永田夫婦が
館林に移る前に住んでいた)と下館アジト(現茨城県下館市下中山、小山から
十数キロ)が警察に発見されたことを知った永田氏は、捜査の手が自分たちに
どんどん迫りつつあることを悟り、パニックに陥ります。
彼らが隠れ住んでいたアジトはいずれも、私の町を中心にして20~25キロの範
囲に収まり、特に下館アジトは私の住まいから数百メーターにあった。
おそらく、私が公安の訪問を受けた理由はこの辺にあると思われた。
ただ、なぜ公安なのかその理由がわからない。
革命左派のアジトが次々に警察によって暴かれ追われることになった。
警視庁公安部では、各種の情報から猟銃奪取事件を過激派集団による犯行とほぼ
断定、関東一円で7千人以上の大捜査網を展開した。
この時点で、あさま山荘事件まであと1年。
奪われた猟銃の一部は赤軍連合に金銭授受され、「あさま山荘人質事件」へ
とつながっていく。
次回: なぜ公安が私のところに来たか
(つれづれ日記№83) (2023.03.24記)