雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「人生の目的」・五木寛之著を読んで

2011-03-29 08:38:43 | 読書案内

  そもそも人生に目的はあるのか。あるとすればそれは何なのか。そんなことを思いながら読んでみた本である。

 『灯火なき暗夜に生き悩む人間の一人である』と自分を位置付け、さらに『生きるためには、あたりを照らす灯火を探さなければならない。どんな小さな灯りでも、それが力になるだろう。その灯りを「希望」と呼ぶか、「信念」と呼ぶかは、あるいは「人生の目的」と呼ぶかは各人の自由である』と氏は述べている。

 灯火なき暗夜で、人間は孤独や悲しみに耐えて生きていくことはできない。

 かすかな明かりの先に見え隠れする「小さな希望や優しさ」があるからこそ人間は頑張ることができる。

 確かに『思うとおりにならない』ことの多い人生かもしれないが、生きていく上で私たちは数え切れない「しがらみ」を身に着けざるを得ない。

 「しがらみ」を捨てて、身軽になり生きていければいいのだが、地位や名誉や名声のない無欲の世界で生きていくことは、俗人には非常に困難なことである。

 東北関東大震災の被災者について

 愛する家族や、親しい人を失い、育て守ってきた家や財産の全てを失った時こそ、くじけそうになる心を奮い立たせて、今日を生きるための灯りを探し、その灯りを「希望」や「信念」に置き換えて、前向きに生きていこうとする姿こそ、「人生の目的」なのではないだろうか。

 具体的な「目的」ではなく、生きていく過程で遭遇する「困難」や「悲しみ」を乗り越えていく姿勢、「生きる力」を「人生の目的」と考えたらどうだろうか。

 誰も助けてくれない「孤立無援」の人生はない。

 どこかで誰かが手を差し伸べてくれる。

 そのとき、

 人の優しさに気づいたら、いつか自分も他者に対して優しくなれる。

 なんと素晴らしい人生ではないか。

 辛い気持を乗り越えて欲しい。

              ※「人生の目的」五木寛之著 幻冬舎文庫 2000年11月初版刊

 

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石原都知事発言「やっぱり天罰」について

2011-03-17 20:22:34 | つれづれ日記

 3月14日、東日本関東大震災について、大震災への国民の対応について報道陣に感想を問われ、石原都知事は次のように答えた。

 「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」。

 この部分だけを取り上げて論ずれば、「天罰」とは何事か、ということになる。

 しかし、石原氏は次のようにも発言している。

 「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘している。

 さらに、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を……」とも話ている。(ポヒュリズム:大衆に迎合しようとする態度。大衆迎合主義という意味)

 「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べている。

 以上が14日の石原氏の発言である(朝日新聞3月14日記事による)。

 

  私は、基本的には、石原氏の発言に賛成である。アイデンティティーに関する発言など全くその通りで、政治も含めて日本人のアイデンティティーはどこに行ってしまったのかと危惧を覚える。そもそも、日本にアイデンティティーはあったのか、石原氏の発言はこのことを、氏特有の歯に衣着せぬ物言いで表現したのではないか。大震災に関する発言を求められた石原氏がもっとも言いたかったのは実はこのことだったのではないか。

 「どこの国に、親の死を伏せて年金を受け取る国民がいるのか」というような発言もしている。

 今度の大震災を「我欲」、「物欲」、「金銭欲」にまみれた日本社会の垢を、一気に洗い落とすための、機会とすればいい。というところに、石原氏の思いはあったのでしょう。

 石原氏の文学者・小説家としての発言として理解できるが、政治家としての公人の発言としてはなんとも配慮に欠けた、発言ではなかったか。まして、「天罰」云々は配慮を欠いた発言ではなかったか(このことに関しては、後日謝罪の発言があった)。

 しかし、「天罰」とは、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても許せる発言ではない。決して天罰ではないが、あえて「天罰」としても、どうして東北関東の被災地の人たちだけが罰を受けなければならないのか理解できない。

 最愛の家族を失い、かけがいのない親しい人たちを失い、家を失い、傷心の罹災者の方々には安易な励ましの言葉もないが、人間は歴史の中で幾多の困難を乗り切り、立ち直ってきた経験があります。

 被災地から遠く離れた私の家は、屋根の瓦が飛び、家の中の物が倒れた程度の被害です。何のお手伝いもできませんが、せめて、節電、節水に励み、余分なものやガソリンは買わないように努めています。

 被災された皆さんが一日も早く立ち直り、心の傷が癒されることを願ってやみません。

   

 

 

 

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雪に埋もれた温泉宿

2011-03-11 08:11:40 | 季節の香り

 北へ向かって走る鈍行列車で4時間半、駅に着いて迎えの車に乗って50分。

目的の温泉地は今年も期待通り、静かに雪の中に埋まっていた。

 見渡す限りの雪が宿を覆い、人間の腕ほどもあろうかと思われる氷柱(つらら)が鋭利な刃物のように先を尖らして軒先を飾っている。

  3月の上旬、里には梅の香りが漂い、春の息吹が感じられるのに、ここはまだ厳冬の寒さが支配し、木々を眠らせ、鳥たちのさえずりもない。

  ただひたすら雪の舞い落ちる露天の湯につかる。

  時折、松の梢に積もった雪が落ちてきてほてった体を冷やしてくれる。

 

  あまりに豊かになりすぎ、便利になりすぎた私たちの社会が、この見せかけだけの繁栄の中の幸せと引き換えに、失い、犠牲にしてきたものは少なくない。

  私たちの先人が築いてきた、幸せを育む社会が、生きずらい社会に傾斜していったのはいつの頃からなのだろう……。

 

  鈍行列車と厳冬の秘湯は、さまざまのことを思い起こさせ、疲れた気持ちをリフリッシュさせてくれる貴重な旅となります。

                                                                       季節の香り(3)

                     

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「本能寺の変の真相に迫る」を読んで(3)

2011-03-06 15:03:36 | つれづれ日記

  小説「逆具の旗」から明智光秀の胸中を探る

   話を「逆軍の旗」に戻そう。

   信長の非情な行為の描写のあとで、光秀には『遠い闇に音もなくはためいて消える稲妻のように、ときおり露出する信長の狂気が見えてくるようであった』と、光秀の心情を述べている。

   (1)で示した「……お前はどんな血を流し、どんな働きをしたのか」と信長が光秀をののしる場面を「逆軍の旗」から抜粋してみた。

   『ほとんど絶望的に沈んでいく気持ちを、立て直しながら光秀は謝った。「お許し召され……」酒気は、全く覚めていた。光秀は寒かった。それは寺の外の闇に残る雪のせいだけではない。かすかに震える肩口に、いきなり酒を酌んだ盃が飛んできて(光秀に)当たった』……

   『肩からしたたる雫を感じながら、光秀は冷たい板敷に平伏した』。

 凍るような恐怖が、光秀を襲った。

   『目の前にいるのは、新しい世界の、輝く盟主ではなく、危険な独裁者の、立ちはだかる黒く巨大な姿だった』。

    光秀の抱いた恐怖はやがて、「虫けらのようには死にたくない」、「坐していても滅ぶ」のであれば……。

    桂川を渡り京の町を疾風のように駆け抜け、本能寺へ……。

    孤独で有能な武将の姿である。

    光秀が「逆軍の旗」を掲げ、主君信長を本能寺に倒したのは、

    怨恨でもなく

    天下取りの野望でもなく

    黒幕に操られたわけでもない

    と、藤沢周平は小説の中で暗示している。

    信長の狂気を目の当たりにし、主君殺しという反逆者の汚名をいとわず、光秀は己を生きるために、結果的に破滅へ向かう坂を下りて行ったのではないか、と。

   そして、最後の二行はこう結ばれている。

   (怒涛のように押し寄せてくる秀吉の軍を迎え撃つために布陣した光秀は、いつまで待っても来ない援軍を待ちながら、高みに立ち自軍を眺めた)。

   『樹の間から、麓に敷いた陣が押し立てているいちじるしい明智軍の旗幟(きし)が見えた。風がないために、旗幟はことごとくうなだれ、光秀の眼に葬列の旗でもあるかのように、異様に映った』。

   光秀の最期を暗示して、見事な描写で小説「逆軍の旗」は終わる。

   いずれにしても、遠い昔に敗者として、歴史の闇に沈んでいってしまった人の生涯を悼(いた)みその心境をあれやこれやと想いを馳せるのは楽しく、知的想像力をかきたてられます。

                                                     (おわり) 

          逆軍の旗 藤沢周平著 文春文庫 

          「本能寺の変の真相に迫る」 谷口克広著 (中央公論2011.1月号掲載)

 

  

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