公安が来た ④ なぜ、私は公安の訪問を受けたのか
これまでの話。
私の住んでいる町近辺で起こった過激左派による「真岡猟銃
強奪事件」は約一年後の1972年2月19日「あさま山荘事件」
へと拡大し、警察官2名、民間人1名の死傷者と警察官26名、報道関係者1名
の犠牲者を出し、10日目の2月28日警察の強行突入により、犯人(連合赤軍)5人
は逮捕され、人質は219時間ぶりに救出された。
多くの死傷者を出しながら、犯人側が無傷で10日間も抵抗できたのは、警
察庁長官の指示により「無事救出」を最優先とし、犯人は全員生け捕り逮捕、
火器使用は警視庁許可(犯人に向けて発砲しない)、ことがその理由の一つに挙
げられている。
(写真4枚 当時のことが生々しくよみがえります。視聴率89.7%という数字が視聴者の関心の高さを物語っています。)
公安が来た ①では、突然の警察訪問で、訪問の理由を一切言わずに「私も、会
社もやましいところは一切ない」と協力を拒否し、態度を硬化させた。
今回は、その続きを記載します。
意固地になっている私に、年上の刑事が言った。
「これから先は、捜査ではなく、茶飲み話ということで話を進めましょう」
「お互いに聞かなかったこと、言わなかったことにしていただいても結構です」
新しく淹れたお茶をすすりながら、年配の方が、私の顔に視線を走らして言った。
「確か〇〇さん(私の名前)は、東京の大学を出たんですよね」
質問の意図が分からず私は黙っていた。
「〇〇学部の経済学部でしたよね」
質問の答えを促すようでもなく、間をおいて私を見つめ、
次の質問をどう切り出そうかと思案しながら両腕の肘を膝につけ、
屈むような位置からすくい上げるような視線を送ってくる。
一見柔和な目のように見えるが、送ってくる視線にはとげがあ。
刑事の目だ。
得体のしれない、心を鎧で覆ったようなガードの固い目だ。
地方の警察官のようなドロ臭さなどみじんも感じさせない、
洗練さと冷たさをほんのわずか漂わせている。
こんな目を、どこかで見たことがある。
私はこの特異な目を思い出そうとした。
「学生時代に何かなかったですか?」
私の思案など無視するように、ボソリという。
『何か』の意味が分からず、
「知っているなら、具体的に言ってくれ」。
警察や新聞記者はいつでもそうだ。
手の内を絶対に明かさない。
手本引きの博徒が、肩にかけた半纏の内側で札を操り指を動かし、
相手の一瞬の戸惑いを決して見逃さない。
「『我々とあなたの接点』を思い出してください」。
手の内を明かさないで、相手に言わせようとするいつもの手だ。
訪問の意図が全く理解できない私は、
「言わなかったこと、聞かなかったこと」で済ますような相手ではないことを
十分に理解しながら、
『私』ではなく『我々』、と言うことは警察との接点と言うことだなと、
胸の内で反芻する。
私には犯罪歴もないし、前科もない。
「何か思い出すことはありませんか」と、私の胸の内を探ってくる。
獲物を追い詰める話の筋道をたてながら、目の前の刑事は手本引きのカードを
懐の中であやつりながら、私の出方を考えながら次のカードを探っているのだろう。
(つづく)
(つれづれ日記№84) (2023.4.10記)