世界文化遺産・富岡製糸場
日本近代の光と影 ②
繁栄の陰で「あゝ野麦峠」
生糸を生産する製糸業は工場制手工業として北関東、甲信の養蚕地帯を中心に発達した。
海外の技術を取り込み飛躍的に生産力が高まり、清国を抜いて世界最大の生糸輸出国となっていきます。
明治後期は、軍備拡張を急ぐ政府により官営八幡製鉄所が設立される等、重工業も発達しました。
当時、製糸業は、外貨の獲得を望める唯一の製品だったようです。
富国強兵を図る政府は、生糸が稼ぎ出した外貨を軍艦や兵器の購入に当てていきました。
やがて日清・日露戦争へと、歴史の流れは暗い軍国主義へとなだれ込んでいきます。
「男軍人 女は工女 糸を引くのも国のため」とうたわれた工女節は、
当時の世相を反映し、決して大げさな歌ではなかったのです。
今度、世界文化遺産に登録された「富岡製糸場」は、官営のモデル工場として、
当時の最先端の技術を取り入れ、労働条件も民営製糸工場とは比較にならない恵まれたものでした。
しかし、「あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-」(山本茂実著・昭和43年刊行)
に記述された製糸業に携わる女工の生活は、
富岡で働く女工とは比べ物にならないほどの重労働を強いられたようです。
飛騨の山奥の貧農から厳寒の野麦峠を超え、
諏訪地方に散在する「民間の製糸場」に、身売りするような形で働かざるを得なかった工女たち。
この記録文学(ノンフィクション?)に描かれた工女の姿は、生糸産業の裏面を伝えるに十分である。
「お国のため」という大義名分のもとに、
生糸の生産が貧農・小作層の子女による安価な労働力で賄われたことを、私たちは忘れてはいけない。
官営工場として始まった富岡では休日や就業時間への配慮もありましたが、
多くの工場において、彼女らは「工女節」を歌いながら過酷な労働環境に耐え、
家計の足しとして期待する親のために働いたことを忘れてはならない。
♪工女づとめは監獄づとめ 金の鎖がないばかり♪
♪かごの鳥より監獄よりも 宿舎住まいはなお辛い♪
♪ここを抜け出る翼をほしや せめてむこうの陸(おか)までも♪
♪宿舎流れて工場焼けて 門番コレラで死ねばいい♪
女工節が製糸労働の過酷な労働体験を伝えている。
(2014.7.29)