雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「豊かに老いを生きる」 日野原重明著

2010-04-29 16:20:12 | 読書案内
 『年輪を重ねることで初めて見えてくる風景もあります』
  人生の午後を実り豊かに過ごすために90歳を超える現役医師からのメッセージ 
                         (表紙帯のキャッチコピーより) 


 我が国の65歳以上の人口の割合は、1970年に7%に1994年に14%に達し、
この間わずか24年しか要していない。フランスの114年、スウェーデンの82年、
比較的短いイギリスですら46年、ドイツの42年に比べてはるかに短い。

 先進諸国のどの国でも体験したことのない、我が国の「高齢化対策」は、
進んでいく高齢化現象に後れをとり、その施策が後手後手になってしまっている。

 認知症高齢者の割合によれば、
1990年(H2)101万人→2010年(H22)225万人→2020年(H32)291万人
高齢化にともなって、認知症も加速度的に増加し、施策は遅々として
進まず後手後手になっている。

 さて、こうした高齢社会の現状を把握したうえで「豊かに老いを生きる」とは、どういうことなのか。

 著者の日野原重明氏の語り口は、平易で優しく、読む人の誰にでも理解できるように、論を進めている。

 著者はアン・リンドバークの著書から、
「55歳から私の中年、人生の午後が始まる」を引用し、
人生の午後を迎える中年の時期を、第二の青春、第二の開花期、
そしてまた、第二の成長期ととらえて、
豊かに老いていくことを、具体的に述べている。

 「生きがいを持って、生きていくこと」。
一言で言ってしまえば、これが決論であるが、
そう言ってしまえば、身も蓋もない。

 今年、99歳になる明治44年生まれの、現役の医師である著者が
「生きがいを持つ」とはどういうことかと、
具体的に、わかりやすい文章で述べる内容には
説得力がある。

 若い時に、どのような生き方をしてきたのか。
「生きる」ということは選択の連続であり、
岐路に立った時、どのような道を選択したか。

 真剣に生きようとすればするほど、
選択する機会も多岐に渡り、挫折も多く経験する。

 こうした積み重ねが、
「人生の午後」を迎えたときに、
衰えていく、体力と知力に対して、
あるいは、
喪失体験の寂しさなどを
乗り越えていく、原動力になるのではないかと、
著者は述べる。

  「私たちの生涯のテーマは、よく生きることです。
  生涯の前半はよく生きることはできなかったかもしれないが、
  せめて有終の美をかなえるためには、
  今、
  何を行うべきかを考えつつ、許された日々に
  全力投球しなければならない」

  安易な生き方しかできなかった者には
  「人生の午後」は、陽だまりの日向ぼっこかゲートボール
  三昧の人生しかないとすれば、
  人生寂しいものがあります。

  それでも、健康であれば、
  「良し」としなければならない
  高齢・長寿社会のなかで
  「豊かに老いを生きる」ことの難しさを
  痛感する今日この頃である。
  

 


 
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花の舞

2010-04-26 22:31:53 | 季節の香り
 桜の花が満開になり
 人も小鳥も蝶さえも
 爛漫の春を満喫し

 花冷えの気候は
 花の命を幾分長持ちさせたようです

 私は
 咲く花よりも
 散っていく花のほうに
 魅力を感じています

 あるかなしかの風に揺られて
 はらりと散る最初の花びらの一枚
 
 秒速5センチで落ちて揺らいでいく落下の舞に
 命のはかなさを予感し
 春の終わりの
 そこはかとないもののあわれを観るような思いで
 次に続く花吹雪の乱舞を予期してしまう

 その不安定な心情が好きなのです
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ちいさな後輩たちへ

2010-04-22 11:12:11 | つれづれに……
 時は過ぎ
 この地に生きて はや60数年

 昔の仲間たちに会えば
 必ず思い出話の一つや二つに花が咲き
 物忘れが多くなった
 記憶力がなくなった

 などと話した後で

 健康の話になり
 薬の話になって

 「お互い年はとりたくないですねぇ」
  と、笑いながら話を締めくくる

 その笑いの中に、
 小さいときからの
 「ワンパク坊主やあどけない少女の面影」が
 浮かんでいるのに気が付くと
 なぜかホットした気持ちになる

  春の風に誘われて 中学時代の母校を訪れてみた

   木造の小さな当時の校舎からすれば
   かなり立派な鉄筋の校舎が建っていた

   狭い校庭で野球場のスペースのとれない我が校は
   バレーボールのコートを一面とり
   猛特訓に励み
   強豪校をなぎ倒し勇名を馳せた

   当時の選手の中には
   グランドに立てば
   叱咤激励の先生の声や
   自分たちの試合運びに湧きあがった歓声が
   いまでも聞こえてくるに違いない

  遠い青春の日々


   広くゆったりとした休日のグランドでは
   赤いユニホームの少年サッカーチームが
   元気にボールを蹴っている
   体育館が建ち プールが設置され
   おそらく教室では教材のパソコンを使っての授業が
   ごく自然に展開されいるのだろう

   豊かになった社会の中で
   子どもたちは健やかに育っていく

 だが、子どもたちよ
 真っすぐな道を歩いてきた者など
 誰もいないのです

 どこかで曲がり角をまがり
 道を踏み外し
 先が見えなくなっても

 いつの間にか

 また次の道を見つけて歩いていく

 小さな後輩たちよ
 君たちの未来も決して明るいとは言えないかもしれない

 その時のために
 君たちの祖父や祖母が
 自分の歩く道を切り開いてきたように
 
 戦える力をつけて欲しい
 地図のない人生行路をこれからも
 ゆっくりと私たちは歩いていく

 誰のためでもない
 自分自身のために

   秒速5センチで桜の花びらがゆったりと散った
   
   惜春……
                 (同窓会だより七号をブログ用にアレンジして掲載) 




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春爛漫 ああ…惜春

2010-04-12 12:25:42 | 季節の香り
 曇天の春の日がウォーキングにはちょうどいい。

 花曇り。

 遠くに連なる桜並木は
 白い帯となって
 まさに「霞たなびく」絵である。

 満開になった桜が
 あるかなしかのやさしい風に触れて
 ハラリと散り始めるのを眺めるのは
 何とも言えず
 風情を感じる

 春の空を覆うばかりに咲き誇る桜の花びらの
 最初のひとひらが
 枝を離れて
 落下する

 その瞬間から

 舞い落ちる花の乱舞が始まる

 ああ…
 惜春

 春は初夏へ向けて
 一気に流れていく 



 
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