雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「春を恨んだりはしない」 池澤夏樹著

2018-09-21 17:00:00 | 読書案内

読書案内「春を恨んだりはしない」ー震災を巡って考えたことー 
                池澤夏樹著 写真 鷲尾和彦 中央公論新社 2011年9月刊 初版

  
    逝った者にとっても残された者にも突然のことだった。
  彼らの誰一人としてその日の午後があんなことになるとは思っていなかった。
                           「春を恨んだりはしない」より 

 (写真はどちらも鷲尾和彦氏のもので表紙の裏表に使用されたもの。文中数十枚の写真が挿入されているが、池澤氏のエッセイに沿うような写真だ)
 幼子を頬ずりしながら抱っこしてみつめる先に、光の差した海が広がる。あの日のことを忘れたように拡がる海に、親子は何を思っているのだろう。よく見ると幼子は大きく口をあけて笑っている。
「春を恨んだりはしない」というイメージが浮かんできます。
 2枚目の少年も海を見ている。
ちょっと荒れて暗い海が目前に広がっている。頭上に広がり沖の方まで続いている熱い雲が、水平線の間際で切れている。そこから弱い光がこぼれている。少年の前に広がる白く泡立つ波濤も、この光の恵みを浴びて輝いています。
明日はきっと晴れるのだろう……
少年の背中がそう語っている。

  この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった。桜を見る視線がどこかうつろだった。

  東日本大震災後約半年間の間に、何度も現地を訪問し、折に触れて新聞や雑誌に掲載されたエッセイの集大成だ。震災の全体像を描きたいという思いが、自然の脅威の前に私たちはいかに無力であったことか。震災の傷の荒々しさに私たちはいかに無力であったか。作者は感情に流されることなく粛々と日常の中の非日常を文字に託して表現している。
 一人一人の被災者の抱いている哀しさを、
支援に奔走する人たちの努力を池澤はさりげなく表現している。

 被災地の荒れた光景を見ながら、池澤は
  「これらすべてを忘れないこと。今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる」のだから
 と思いを馳せながら、古今和歌集の歌を引用する。

   深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け
 
 (草深い野辺の桜よ、おまえに心があるなら今年だけは墨色に染めた花を咲かせておくれ)
   薄桃色に咲き、盛が過ぎればはらはらと風に舞って散る桜の花は、哀しみの縁から
   立ち上がれない者にとって余りにも悲しすぎる。失った者への悲しみが桜の花と共に
   ふつふつとよみがえってくる。
   せめて今年だけは、墨染めの花を咲かせてほしい。

 地震と津波の日から半年を過ぎた被災地を巡りながら、ありのままの姿を受け入れ、
 筆者の目はゆるぎなく現実をみつめ、思索し、それを文字に託していく。

 章立ては9章あり、私は第7章の「昔、原発というものがあった」に一番興味をひかれた。

 「あの日のことは、忘れない」いや、忘れてはいけないのだ。
 希望をなくし、哀しみに暮れたあの日の傷も、
 時間と共に癒され、記憶も薄れていく。
 私たちは、後世の人たちに何を伝え、何を残していったらいいのか考えなければならない。
 これは震災を経験した者たちの責務ではないか、と思う。

 最近読んだ本の中で、ベスト・テンにいれたい思索を深めるための本です。

 (2018.9.21記)     (読書案内№131)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ⑤ 海は見えるか

2018-09-18 09:26:06 | 読書案内

 読書案内「海は見えるか」真山仁著
  ⑤ 海は見えるか

 
   東日本大震災による甚大なる被害を受けて、
  政府は約一兆円の予算規模で防潮堤整備に乗り出した。       
  巨大な防潮堤が、果たして災害防止の最良の方法なのかという見当もなく、
  まるで行き当たりばったりとしか思えぬ案がまかり通っている。
   ……そんな中で松原海岸にも防潮堤の建設が決定したのだが、
  いよいよ着工という段になって住民から計画見直しの声が上がったのだ。
                         「海は見えるか」より

  どんなに高い防潮堤を築いても、自然の猛威にはかなわない。
  防潮堤が高くなればなるほど、海は人々の生活から遠ざかってしまう。
  海の近くに住みながら、海が見えない。
 
  防潮堤の高さは二メートル強から十五メートル強までと被害の程度によって異なり、
    総延長は400㌔にもなる。

 津波が町を襲う前、この町には美しい松林が続いていた。
 この町で育った人々は、成長する過程で誰だって、一つや二つの思い出を持っている。
 高台に集団移転した町。
 防潮堤建設か。
 懐かしい松林の復活か。
  そこに生活する人の命を守り、街を守ることに変わりはないのだが、
  方法論が異なるから気まずい思いが住民たちの間に広がって行く。

  あんな大津波が再び来た時のために防潮堤が必要だと国や知事、市長は主張する。
 でも、僕は海が見えないのが一番いけないと思います。
 ぞっとするような引き波が見えたから、僕は一刻も早く逃げなければと思った。
 …… 海の恵みで潤う時もあれば、海に牙をむかれひどい目にあうこともある。
 でも、それが海と共に生きるという意味なんだと思います。
                                「海は見えるか」より

  学校の若い教師たちを巻き込みながら、防潮堤論争は反対運動をへと広がっていく。
 児童たちの一部も反対運動に参加していくことになるが、教育委員会や校長は児童が
 政治運動に参加するとは何事かと頭ごなしに叱責する。
 若い教師たちの活躍が期待される……

    東日本大震災から7年半が過ぎた。
    報道の量はかなり少なくなったが、
    心に傷を負い、未だ立ち直れない人たちも多くいると聞きます。
    物理的な復興はカネと時間をかければ、回復してい行くが、
    何ものにも代えがたいものを亡くした人たちにとっては、
    辛い7年半だったに違いない。

    記憶は時間の流れに伴い、少しづつ薄れていきます。
    私たちが遭遇した震災をどのような形で未来を担う子どもたちに
    伝えていったらいいのだろう。
    「自然との共存」というテーマは難しいが、
    対立する考え方では、私たちが築いてきた文明は衰退していきます。
    「自然と人間」の共存できる社会は、目前の危機を回避するだけの政治体制では
    解決できない。
    どんなに便利で快適な社会を実現しても、「自然との対立」の上に築いた社会は
    砂上の楼閣のように脆(もろ)いことは、最近頻繁に起きている自然災害が証明している。
    100年先をみつめる姿勢がなければ、住みよい社会の実現はあり得ないと思います。
    
    現実の快適さを求めるのも仕方のないことだが、少し我慢をして
    10年先、20年先をみんなが考えたら、今よりもいい社会が実現すると思う。
    
    そんなことを考えさせてくれる、東日本災害をテーマにした連作短編集でした。
    5編を紹介しましたが、他に「砂の海」「戻る場所所はありや」があります。
                                                                                        (おわり)

     (2018.9.17記)   (読書案内№130)

     


 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ④ 白球を追って

2018-09-16 07:03:32 | 読書案内

読書案内「海は見えるか」真山仁著
   ④ 白球を追って 

    
 本気で自分の夢を実現したいなら、時に非難されても前に進まなければならないんです。
                            (白球を追って より)

  津波が奪ったものは、家や職場だけではない。
 たいせつな人を喪い、途方にくれながらも 、

   時間が過ぎれば、人は時間の経過の中で日常を取り戻し、
 明日へ向かって新しい一歩を踏み出そうとする。
 新しい職場を求め、住み慣れた故郷を去って行く者、残る者 。
 被災者それぞれが抱えた問題を解決するために、
 時によっては辛い決断をしなければならない。

 小野寺が関わる地元少年野球チーム「遠間アローズ」は、
 優勝経験を持つほどの実力を持っている。 
 年子の兄弟栗田克也と栗田豊はどちらも体格に恵まれ、チームの最有力選手だ。
 兄はチームのキャプテンでホームランバッター。
 弟は小5ながら他校からも注目されるエースだ。
 
 夏休みまで残り一週間を切ったある日、小野寺は兄弟の母親から、
 父親の仕事
の関係で大阪に引っ越しすることになった旨を告げられる。

 優勝候補とは言え、メンバーは大会出場資格ギリギリの11人しかいない。
 同然、栗田兄弟が抜ければ、優勝どころか大会出場もで危うくなってしまう。 
 チームの存続も大切だが、小野寺は兄弟の気持ちを第一に考えたいと思う。

 親の気持ちはわかった。
 だが栗田兄弟の気持はどうなのか。
 チーム監督の気持ちは、校長の考えは。
 チーム仲間の考えは。

 それぞれの気持ちを聞きながら、
 小野寺は子供たちの気持ちを尊重する。
 この短編にも、小野寺の考え方や行動を通じて、
 作者の温かい目が注がれる。

   (2018.9.14記)       
(読書案内№129)

   

 

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災害列島日本 避難者

2018-09-15 08:10:04 | 昨日の風 今日の風

災害列島日本 避難者
 北海道で発生した最大震度7の地震から13日で1週間となる。
避難者は8市町の1592人となっている。
地震直後、
道内のほぼ全域が停電するブラックアウトに陥ったが、
大半の地域で電力供給は復旧している。
しかし、一部の地域では停電や断水も続いている様子です。

 函館の電力供給が復旧したと、2~3日前のニュースは伝えていたが、これはこれで明るいニュースに違いないが、電力の需給バランスは安心できるものではない。
政府は2割の節電を呼び掛けているが、2割節電するということはかなりの努力をしないと達成できないらしい。
経済産業省によると、12日午後7時台の節電率は14・3%だった。

 ※ 道内の家庭や企業に求めて来た節電要請は14日で無くなりました。連休明けの18日からは
   数値目標を設けず節電を求めるという方針に変更。「計画停電は当面実施する必要はな           い」。ただし、一部地域で断水は続いている模様です。(朝日新聞9/15付)

 最も被害の激しかった厚真町の避難所には次のような手書きの張り紙があるそうです。
   「水分をまめにとる」   
   「うがい手洗いをする」
   「足指を動かす」
 脱水症の予防 感染症予防 運動不足によるエコノミー症候群(旅行者血栓症)予防を促す解りやすい情報提供です。
情報の伝達は「迅速に」
      「正確に」
      「適性なときに」が原則であり、
      上記の張り紙はこの条件を見事にクリアしている。

 相変わらず余震が続き、避難所の中では安眠もできない。
 自宅に戻ることができない不安は、
 体験した人でないとなかなか理解できないのかもしれない。

 被災者を支えるボランティアの人、
 現地に足を運ぶことはできないけれど、私にできることはないかと思う人、
 それぞれがそれぞれの思いで一生けんめい一つの輪になろうと努力しています。
 被災するしないに関わらず、この思いは大切にしたい。

 自宅に戻れない人は沢山いる。
 西日本豪雨の被災地……1500人
 熊本地震     ……2万8000人
 東日本大震災   ……5万8000人 
  これ程沢山の人が、長い時間、不自由な生活を強いられている現実を知らされ、
  唖然とするばかりだが、
  「人間は負けるようには作られていない」
  というサンチャゴ老人(ヘミングウェイ原作「老人と海」の主人公が釣り上げた巨大マグロを        鮫の餌食にされ、骨だけになった獲物を小さな船にくくりつけて帰港する)の言葉のように、
  強く生きる力を出してほしい。
  鮫との闘いに力を尽くしたサンチャゴ老人は、
  深い眠りについたが、
  目が覚めればまた漁に出かけるに違いない。

  年を取ったとはいえサンチャゴ老人にはきっと、困難を乗り越える力が携わっているのだ。
  「人間は負けるようには作られていない」
  辛い時、苦しい時に思い出す言葉だ。

   
    (2018.9.15記)            (昨日の風 今日の風№90)

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老いをみつめる ③ 若さよりきっと大事なものがある

2018-09-13 15:28:02 | 人生を謳う

老いをみつめる 
      
③若さよりきっと大事なものがある


 妻の名も時に忘るる義母なれど老人ホームは退屈と言う                                                                               ………(町田市) 冨山俊朗 朝日歌壇2017.10.02
 老いという淋しい文字がそこにある介護施設の無言の食卓(テーブル) 
                         
   ……森本義臣
 知人を訪ねて老人ホームに行った。
  広い廊下と自分の部屋の間を何度も行き来しながら老女は、呟いていた。
  「家へ帰りたいんだよ。家へ帰りたいんだよ…」
  どんなに良い待遇をされても、やっぱり家より良いところはない。
  
  食事の風景は淋しい。沈黙が漂う中で箸を持つ手と口が緩慢に動く。
  昼のニュースが、誰も聞いていない食堂に惰性のように流れている。
 
 娘の家へ引き取られゆくご近所の老老介護の限界見たり 
                           
………京都市 足立 猛 朝日歌壇2017.07.24
   80歳を過ぎた兄は、認知症で徘徊が始まった妻を施設に送る時、
   大きな涙を数的落として泣いた。「すまない、申し訳ない」と。
   その兄は末期がんが発見され、妻より先に彼岸に旅立った。
   老老介護では、介護するものが先に逝ってしまう例をよく耳にします。
   介護に疲れ、療養をせずにいる老体にいつの間にか病魔が忍び込むのか。
   

 若さよりきっと大事なものがある年を重ねていい顔の人 
                         
………堺市 一条智美 朝日歌壇2017.03.27
   老いは、記憶を失い感情の起伏を失くしてしまうが、子どものような顔に還っていくその顔が、
   生きて来た幸せの証なのだろう。
   健康で歳を重ねると、記憶が消去され、体力や判断力、決断力が衰えてくるが、
   世の中の雑事に追われることから解放されるので、(きんさん、ぎんさんのように)多幸感だけが残り、
   たのしい余生を送れる人も珍しくない。

 あてどなき、よるべなき、また後のなき、「なき」を生きゆく身にふる霙 
                            
………福島市 美原凍子 朝日歌壇2017.03.20
    無い無い尽くしの人生は淋しく心細いが、これも人生。
    老いの身に降る霙(みぞれ)。独りぼっちが身に染みる。
    それでも、歩んで行く人生行路に幸あれと願う。

 死なせない死ねない時代たらちねの母の呼吸器はずす夜明けよ  
                             
………東京都 無京水彦 朝日歌壇2017.06.26

    「お母さん、やっと楽になれたね」。大切な人を喪う哀しみと、安堵感が混ざる。
    病室の窓から、朝の光が差し込み、心の内でつぶやく、「お母さん、さようなら…」
      
    (2018.9.12記)    (人生を謳う)

        今回は辛い歌ばかりになってしまいましたが、「老いをみつめる」(つれづれに…心もよう)
        は次のところにもアップしています。
            2018.1.14 老いをみつめる
            2018.5.25 老いをみつめる ② 忘れないでとささやく


 



 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ③ 雨降って地固まる?

2018-09-11 11:13:21 | 読書案内

 読書案内「海は見えるか」真山仁著
 ③ 雨降って地固まる?

   
   心的外傷後ストレス障害ー通称PTSDは、生命や身体が危機にさらされ、恐怖や無力感、
  戦慄を体験したトラウマによって引き起こされる心身の苦痛や障害だ。
  大樹が発災から一年経ったある夜、突然悪夢にうなされた時に、専門医はPTSDだと診断した。
                                       雨降って地固まる?より 

  教室を抜け出し、雨のグランドにずぶぬれで立ち尽くす庄司大樹。
雨。
あの日も、あの日も、あの日も雨だった。
おばあちゃんの遺体が見つかった時、お母さんの遺体が見つかった時も雨だった。
妹の洋子の遺体が見つかった時も、雨が降っていた。
お父さんの車が発見されたときも雨が降っていた。
大樹にとって雨は哀しい過去の出来事に繋がる。

 震災から1年過ぎた今でも、悪夢にうなされる。
「時々、家があった場所を見に行きたくなる大樹。でも向かっているうちにどんどん苦しくなって、結局遠回りしちゃって、家にたどり着けない。」

 明らかに、PTSDによる回避行動だ。
大樹にとって、過去へさかのぼる思い出は、辛く悲しい出来事に繋がっていく。

 そんな大樹に小野寺は、励ますことが無意味なことを知っているから、
ただただ寄り添い、懐(ふところ)深く大樹の寂しさや辛さを受け入れるのみ。
阪神・淡路大震災で妻と幼子を亡くした小野寺にできる「優しさ」の表現なのかもしれない。
元校長の浜登は、時によっては小野寺に寄り添い、大樹にさりげなく寄り添う。

  
 頑張るな! 弱音を堂々と吐ける男の方がかっこいいんですよ。
 ……本当に強い人間は弱音を吐くんです。それができるようになって初めて、
 弱音を吐いてはいけない時がわかるんですよ。
 それが分かるまではしっかり弱音を吐くんです。

 大樹に向けた浜登元校長の言葉だが、小野寺もいつの間にかうなづ居ていた。。
 

                   (2018.911記)          (読書案内№128)


 

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読書案内「海は見えるか」 真山仁著 ② 便りがないのは

2018-09-08 08:30:00 | 読書案内

読書案内「海は見えるか」真山 仁著
 ② 便りがないのは

    
   東日本大震災から一年余りが経過し、遠間第一小学校の児童は半数以下に減っていた。
  転居した家庭が増えたからだ。生活の安定や子供の将来を考えれば、移住は致し方ない選択だつた。
  故郷を捨てるのは辛いが、仮住まいで停職につけない状況で、どうやって子どもたちの未来を描くのか。
  地域との絆を断ち切ってでも、新天地を選ぼうとする親の決断を、小野寺は立派だと思った。
                                    「便りがないのは…」より                                                       

   小野寺には、六年生の仲山みなみの作文が気になった。
 「地震は怖かったし、余震も怖いです。たくさんの大切なものがなくなったし、
 元にもどらないのととても悲しいです。
 ……うまくいかないのを地震のせいにするのはやめようと強く思うようになりました。」
 という書き出しで始まる「みなみ」の作文で、最近親切にしてくれた自衛隊員からのメールが途絶え、
 とても心配している。

 「私は自衛隊のみなさんが被災地でしてくださったことを、もっと伝えていかなければと強く思っています」
 遺体を捜し、洗浄し続ける自衛隊員と出会った「みなみ」。
 震災で命を落とした遺体の多くは、ヘドロなどにまみれて泥だらけだ。遺体は丁寧に洗浄され、警察の検視に
 回されるのだが、洗浄には無残に汚れた遺体と再会する遺族への思いやりという意味も込められている。
 百戦錬磨のベテランでも逃げ出したい過酷な仕事だから、
 5日以上は任務に当たらないよう義務づけられており、
 まして宮坂のような経験の浅い若手は配置されないのに、
 宮坂はこの遺体洗浄という過酷な任務に率先して志願した。

 その宮坂が自殺していた。
 津波で兄を亡くした喪失感を埋めるように宮坂を慕っていた「みなみ」に、
 宮坂の自死を伝えるべきか。
 小野寺は逡巡する………………。

 どんな過酷な事実があろうとも、知る権利があり、
 人間はそれを乗り越える力を持っている。

 臨時教員・小野寺徹平頑張れ!!

      (2018.9.7記)     (読書案内№127)
  
   










 

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読書案内「海は見えるか」 真山仁著 ① それでも、夜は明ける

2018-09-06 08:30:00 | 読書案内

読書案内「海は見えるか」真山仁著
    東日本大震災から一年以上が経過した津波被災地の街
    いたるところに瓦礫の山があり、復興の兆しも人の心も傷ついたまま
   
だけれど、大人も子供も将来への一歩を踏み出そうとしている。

   (幻冬舎文庫 2018.4刊 初版) 
  連作短編集「そして、星の輝く夜がくる」の続編である。

   
  あれだけの大災害を経験すれば、誰だって大なり小なりPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるものらしい。
 しかし、ほとんどの人は時間の経過の中で日常を取り戻し、ショックや傷も徐々に薄れ、癒えていくのだという。
 だからといって震災の記憶が消去されたわけではない。ふいに激しいフラッシュバックを引き起こす火種は
 心の奥底に常にくすぶっている。
                                     海は見えるか  真山 仁

  「それでも、夜は明ける」
   
阪神・淡路大震災で妻子を亡くした小野寺徹平は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けた
   東北・三陸の小さな町の臨時小学校教員として赴任する。
   いささか慌て者の若者であるが、生徒たちに向ける目は温かく優しい。
   震災で家も祖母も両親も妹も庄司大樹はその全てを失った。
   大阪の叔母のところに引き取られることになっているのだが、「今は行きたくない」という。
   避難所で「みんなに可愛がってもらって、頑張れた。その恩返しもしないで、この町から
   離れたくない」という大樹を小野寺は一時的に預かることにした。
        夜。
   大樹はうなされて目を覚ます。
   また、あの日の夢を見て叫んだのだ。
   強く抱きしめた小野寺は何度も「大丈夫」と繰り返した。
   「僕は自分だけ逃げたんです。おばあちゃんもお父さんもお母さんも洋子も、
   みんな津波に呑まれた。僕は見てるだけで何もしなかった。みんなが助からなかったのは
   僕のせいです。ごめんなさい、ごめんなさい」
   嗚咽(おえつ)する大樹の背中をさすってやりながら、小野寺は、
   「おまえは悪くないんやぞ、大樹」
   それは、神戸・淡路大震災で妻と幼い娘を亡くした小野寺の自分へのはげましでもあった。
   そして、最後の一行を次のように結ぶ。
   この一行で私は救われ、明日への希望の光を見ることができる。

   夜明けを告げる鳥の声が聞こえた。
  
                       (つづく)           

                                                  (2018.9.5記)      (読書案内№126)
    ※ 「そして、星の輝く夜がくる」の読書紹介は以下にアップしています。
      興味のある方は、読んでいただければ幸甚です。
       「そして、星の輝く夜がくる」(1) 2015年2月16日
                                      〃        (2)      〃    2月20日 
                                      〃                   (3)      〃    2月23日
                                      〃                   (4)      〃    2月24日

 

 

 

 

 

    
      

 

 

 

 

 

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百寿者(百歳)社会が目前に

2018-09-04 09:18:12 | 人口問題等

百寿者(100歳)社会が目前に
   日本人の平均寿命は、人口減少と反対にどんどん伸びて80歳の大台に乗った。
 さらに、 百寿者の人数も増えているようで、平均寿命と百寿者の比率は比例している。
   このことは、世界的な傾向らしい。 
  国連統計・世界の100歳(センテナリアン)人口の推移
    
(センテナリアン=100歳以上を生きた人の呼称、日本では百寿者という)  
    
   1950年………2万3千人
       1990年………11万人  
        1995年………15万人
        2000年………21万人
        2005年………32万人
          現在日本の百寿者の人口は6万1000人。
          2050年には日本の100歳以上の人口は100万人を突破する。
          100万人を突破するということは、具体的に示すと2007年に生まれた
          子どもの半分は107歳まで生きることになるそうです。
    世界一の長寿国日本
     (2010年人口10万人に対する百寿者の人数)
      1. 日  本 34.85人
      2. フランス 26.88人
      3. アメリカ 22.45人
 
少子・高齢化が進む中で、出生率が低下し、平均寿命は年々伸びている。
 年々過去最高を更新している。
 厚生労働省の調査(2016年
)で、平均寿命は女性87.14歳、男性80.98歳。
 国際比較でみると、男女とも香港に次いで世界2位となった。

 日本人の平均寿命が過去を更新し、伸びていくことは喜ばしいことなのだが、
 社会的なことを考えると喜んでばかりはいられない。
 日本は、寿命は長いが、多くが寝たきりで「健康寿命」は短いという問題も抱えている。
 経済成長率は抑制され、社会保障は追いつかず、
 福祉事業や医療費関わる予算は天井知らずに増加していく。

 さらに、三大死因と称される、がん、心臓病、脳卒中のいずれかで死亡する確率は女性が46.45%、
 男性が51.15%と試算されている。
 医学が進歩し、これらの病気で亡くなる人がいなくなると仮定すると、
 平均寿命は女性で5.74歳、男性で6.95歳延びると推定され、
 平均寿命は更に伸び、女性92.88歳 男性87.93歳になる試算もある。

限界寿命
 人間の寿命はどこまで伸びるのだろう。
 Nature論文によると(すみません、私が読んだわけではなく、孫びきです) 、115歳前後が
 当面の限界寿命らしい。しかし、研究者によっては限界寿命を120歳とする見方もあります。
 それは、臓器移植や生化学の研究がどこまで進むかにかかっているようです。

 ただ漫然と生きていくのではなく、
 第一線を退いた後の第二の人生は残りの人生ではなく、
 人生の折り返し地点だということを認識し、
 どのように生きたらいいのか、
 私たちは真剣に考えなけれはならない時代の入り口に立たされているのかもしれない。

 人間は永く生きすぎたら、ますます孤独になり、他人の世話になり良いことはないのではないか。
 一抹の不安が湧いてきます。
 でもご安心。
 最近の研究によれば、
 「加齢に伴って幸福感は高まる」
 という研究報告があります。
 「金さん、銀さん」の例がそのよい例と思います。
 最新研究から見えてきた、百寿者の知られざる世界。
 こうした研究が、超高齢社会の新たな処方箋となっていくのでしょう。

  (2018.9.4記)   (人口問題等№2)

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七年連続人口減少

2018-09-03 08:30:00 | 人口問題等

七年連続人口減少(総務省)
     
人口は七年連続で減少している。
     日本の人口は前年より37万2千人少ない1億2464万8千人になり、
     人口減少に歯止めがかからない。

     一方65歳以上の高齢者は56万1千人増の3515万2千人となり、
     総人口に占める割合は過去最高の27.7%だった。
     高齢者の割合が7%に達した時から、社会の高齢化が始まり、
     14%超えると高齢社会の出現といわれている。

     人口減少に歯止めがかからず、
     一方では65歳以上の高齢者の総人口に占める割合が年々増加する傾向にある。
     
この少子高齢化現象は今後も続くと総務省統計局は推測する。
     
     労働・生産人口の減少、社会保障の歪み、医療費の増加、
     過疎に伴う限界集落の増加など
     社会構造を支える仕組みの対応が追いついていかないから、
     経済成長率が抑制されてしまう。
     私たちの身近な問題を考えてみる。
     晩婚、未婚の増加、保育園・幼稚園の不足・行政省庁等の障害者雇用の水増し、
     企業の不祥事など、数え上げたらきりがない混沌社会の中を
     私たちはあえぎながら泳いでる。
     希望の島影が見えるわけではない。 

     この生きずらい世の中を私たちはどう乗り越えていったらいいのだろう。
     せめて自分の行く先だけは見失わずに歩んで行く努力をする。
     自分第一主義にだけはなるまい、と思いながらの人生行路だ。
   (2018.9.2記)      (人口問題等№1)

 

 

 

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