雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

義兄の死(2) 最期の命

2016-03-31 21:12:03 | つれづれ日記

義兄の死(2) 最期の命
                        (つれづれ日記№59)

  義兄は18日に還らぬ人となった。
86歳、命のかがやきが風に揺らぐ、ローソクの炎のように
静かに消えた。
延命治療も入院も選択しなかった義兄だつた。
そして、この方針は二人の娘にも共通した考え方だった。

 胃がんが見つかった時には、すでに末期がんのステージだった。
余命宣告もあり、冬を越すのは難しい。というのが主治医の見立てだった。
彼の選んだ道は、抗がん剤や放射線治療はしない。
自宅でゆっくりと最期の命を慈しみ、楽しみたい。
義兄や娘たちの願いでもあった。

 決して落ち込むことなく、今まで彼が歩んできた姿勢を変えることなく、
ゆっくり天命を全うしたい。

 幸いにも痛みはなく、食欲も衰えることなく、
70㌔の道のりを私は妻と二人、よく遊びに行った。
「お見舞い」という形は、なにか心がこもっていなく、
義理一通りという気がして、「遊びに行く」という形をとった。
だから頻繁におとづれ、食事も外に食べに出た。
「お見舞金」も包まなかった。

 最後に逢ったのは3月16日だった。
ベッドに横たわる彼を私は初めて見た。
こちらの呼びかけにも答えず、静かに寝返りを打つだけの彼。

 二日前ぐらいから、食事も取らなくなったという。

 嫁いだ2人の娘たちは、
仕事のやりくりをしながら、自宅療養を支えた。

 後ろ髪惹かれる思いで、私たちは70㌔の道のりを帰ってきた。

 一日置いて18日の朝、訃報の電話を受けた。
18日早朝、二人の娘に見守られて、
眠るように旅立ったという。

 介護施設で暮らす、認知症の妻を残しての旅立ちだった。
いつも妻のことを心配し、自宅で介護ができなくなり
施設にお願いしたことが、「不甲斐なく、残念だ」と、
施設への訪問を欠かしたことのない義兄だった。

 家族葬は、とても心温まる素晴らしいものだった。
生前の義兄の希望通り、質素で、穏かで、
天命を自然な形で受け入れた義兄にふさわしい
静かな「お別れ」だった。
                                     
(2016.3.31記)


 

 

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哀しくも優しい物語

2016-03-28 21:28:31 | ことの葉散歩道

 哀しくも優しい物語
                ことの葉散歩道№26

 雁風呂 (雁供養)

       ※ 伝承 伝説

 津軽半島の東側、
陸奥湾に沿って海岸線を南北に伸びる道路がある。
280号線・松前街道だ。
陸奥湾に沿って走る松前街道付近は今でも辺鄙なところだ。
蟹田川が流れ込む辺りを外ヶ浜という。
この海岸沿いの外ヶ浜地方に哀しい物語が伝えられている。


 青森県津軽の外ヶ浜地方に秋になると渡り鳥の「雁」が飛んできます。
丁度、秋分の日、早めの秋がこの地方を訪れるころ
北の国から海を早めの秋がこの地方を訪れる頃
北の国から海を渡って「雁」が飛んで来ます。
彼らは長い海上の旅を、
疲れた羽を休めるために木片を咥えて飛行します。
たゆたう波の上に木片を浮かべてひと時の休憩をする。
命を賭けた旅なのだ。
そして、海岸に着くと木片を落としていきます。

 次の年の春が訪れるころ、
丁度、春彼岸の春分の日のころ、
彼らは生まれ故郷の北の国に帰っていきます。
鳥たちの北帰行の始まりです。

 その時彼らは咥えてきた木片を再び咥えて飛び立ちます。

 彼らが飛び立った後、
例年のことながらいくつかの木片が残されています。
日本にいる間に、捕らえられたり、病気になったりして、
死んでしまって帰れなくなってしまった雁の数だけ、
木片が残されていると考えられています。

 外ヶ浜地方の人々は、
残された木片を集めて、
命を落とした雁を哀れんで、
風呂を焚き入浴しながら失われた雁の命を愛おしむ。
雁風呂と言ういわれだ。
雁供養ともいう。

外ヶ浜に住む人々の優しい心遣いが伝わる伝承だ。

 だが、雁の渡航には、こうした習性はないということです。

雁風呂や海あるる日はたかぬなり  高浜虚子

雁風呂やほの暮れ方を浪さはぐ   豊長(とよなが)みのる

 エネルギー革命は、
石油、電気と進化し、
風呂の水くみも、薪をくべて風呂を焚くこともなくなり、
スイッチ一つで事足りるようになった。
「雁風呂」の話を聞くと、失われてしまった風習が懐かしく思い出されます。
                              (2016.3.28記)

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北海道新幹線 津軽海峡を渡る

2016-03-27 06:00:00 | つれづれに……

北海道新幹線 津軽海峡を渡る

 津軽海峡冬景色
  この歌が発表されたころ、北への玄関口は「上野駅」だった。
 確か上野駅の14、15、16、17番線あたりが東北本線の始発ホームだったように記憶してい。
 長い列車が止まっていて、それに乗ると独特の雰囲気が漂ってくる。
 タバコの煙が充満し、酒の匂いが漂い、方言が飛び交う。

 ♪上野発の夜行列車降りたときから…♪
 終点青森駅で降り、ボーディング・ブリッジを渡り、
 北へ向かう青函連絡船へと乗り継いで行く
 ♪ごらんあれが竜飛岬北のはずれと見知らぬ人が指をさす♪
 青函連絡船から眺めた「津軽海峡」の風景である。

 1983(昭和63)年3月13日、青函トンネルの開通に伴い、
 青森―函館間113キロメートルを約4時間かけて就航した航路も運行終了となった。

 
青函連絡船から眺める竜飛岬や仏が浦の名称は映画「飢餓海峡」に登場する。
 監督・内田吐夢 伴淳三郎、三国連太郎、高倉健、左幸子等が出演。原作・水上勉

 世界最初の高速鉄道・東海道新幹線が東京―新大阪間を走り始めてから52年を経て、
 ついに新幹線は北海道へ乗り入れることができた。

 科学が進歩し時代が進むに従い、私たちは利便性を手に入れてきたが、
 情緒という大切なものを失ってきた。
 朝日新聞コラム・素粒子では「速さが情緒を追い抜いていく」と称した(3/26夕刊)。

 夜行列車も青函連絡船も郷愁の彼方に去って行った。

 最速4時間2分で走る北海道新幹線だが、一日10往復(飛行機は8往復、1時間20分~30分)。
    最高時速:240㌔
    東京からの料金:22,690円 (飛行機は27,100円~35,200円)
    2030年度に札幌までの延伸を目指している。

 午前6時35分、上り一番列車の東京行き「はやぶさ10号」は、満席の予約で
 JR新函館北斗駅を出発。
 午前6時32分、下り一番列車の新函館北斗駅行きの「はやぶさ1号」は、満席の予約で
 東京駅を出発。
「ついに津軽海峡を通って北海道の地に乗り入れることになった」と、
JR東日本冨田社長のあいさつは感慨深げであった。
            (2016.3.26記)
          
 
            (つれづれに……心もよう№28)

 

 

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保育園落ちた 日本死ね!!!(3) 便所の落書き

2016-03-25 06:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!! (3) 便所の落書き
  「保育園落ちた」のブログ後段は次のように展開する。
 
ふざけんな日本。
 保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化何とかしたいんだよねーって
 そんな虫のいい話あるかよボケ。
 国が子供産ませないでどうすんだよ。
 金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか
 子供にかかる費用すべてを無償にしろよ。
 不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分くらいクビにすりゃ財源作れるだろ。
 まじいい加減にしろ日本。

  「日本死ね」から始まって「まじいい加減にしろ日本」まで、
   問題になったブログの内容を3回に渡って全文載せた。

 こんなブログを政権批判の材料としなければならないほど、
野党の人材も底をついているのか。
「児童待機問題」を挙げるなら、
正確な資料を示して論じたらいい。
 しかし、メディアはこのブログが、ネットで拡散し、
共感が広がる。政権は一転し改善へ意欲協調(朝日新聞3/9付)、
などとチョウチン記事をかかげ世論に迎合する。

 このような風潮に「(このブログは)便所の落書き」だと、田中氏は自身のブログで嘆いている。
このブログを見たツイッターなどで、「とんでもない奴だ」と、批判する記事が流れ、

これをメディアが、「よいしょ」する。

 定見のないメディアが浮き彫りになる。メディアは傍観者ではない、風潮に踊らされてはいけない。

 「便所の落書き」とこき下ろした杉並区議会員・田中雄太郎は、(児童待機問題の解決は必要と認めたうえで)
 「日本死ね」などと書き込む不心得者や、そんな便所の落書きをおだてる愚かなマスコミ、便所の落書きにいちいち振り      回される愚かな政治家が後を絶ちません。…略…右往左往する票乞食たちもみっともない。無視すればいいだけの話ではありませんか。
 痛烈なカウンターパンチだ。
田中氏のブログに批判的な意見に対して、氏は、「自分の意見」は変えないと頼もしい。

 「日本死ね」を支持する人と、「便所の落書き」を支持する人と二局対立するようだが、
私は、品位に欠け、乱暴な文章展開に、やっぱりこれは「便所の落書き」だなと思いながら、
こんなことに振り回されている日本は、「平和ボケ」しているんだなと思う。
    
      安倍政権は2013年度から待機児童の解消に本腰を入れ始めた。
       保育の受け皿を17年度末までの5年間で40万人分増やす計画で、
       14年度までに約21万9千人分が新たに整備された。
       だが、器は作ったが「保育士の不足」という課題ができ、保育士の
       賃金格差の是正をしなければ、人材確保も難しい局面に立たされて
       いる。 
                                                                                             (つれづれ日記№58)
                                       (2016.03.24記)    (終)


                                                                                                                                

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保育園落ちた 日本死ね!!!(2) 違和感

2016-03-22 08:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!!(2) 違和感
 前回は「保育園落ちた…」のブログに火がついて、共感が広がっている状況を書いた。
国会論議にもなり、そりはそれで「待機児童問題」に一石を投じた、ということでは意味があった。
だが私には、違和感が残った。ここまでが前回の記事。
冒頭部分は前回紹介したので今回はブログの中段を紹介する。

 子どもを産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに
日本は何が不満なんだ?
 
 何が少子化だよクソ。

 子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だから
 Wって言ってて子ども産むやつなんかいねーよ
 不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
 オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
 エンブレムなどどうでもいいから保育園作れよ。
 どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。

 一段目と二段目は、我が子が保育園に落とされた腹いせを、ぶちまけている。
このブログ全体の内容は、品性に欠け、社会への不満を自分の不満にすり替えて
ぶちまけけているようにしか思えない。私は最初このブログは、
政権攻撃の材料を作る「やらせ」ではないかと思ったが、
朝日新聞の記事によると実在の30代の女性らしい。
しかし、記事はなぜこのような表現手段をとったのかを、女性に質してはいない。

「待機児童」を論じるに、別な方法はないのか。
 しかし、別な見方をすれば「待機児童問題」をこういった奇抜な方法で示さなければ
黙殺され話題にならなかったろう、という見方もできる。

 女性の望み通り「話題」になり、ブログに火が付き、メディアが飛びつき、
政治家までが飛びつき、政権攻撃の材料に、国会で取り上げる始末である。
 どこか狂っている社会現象だ。


 この現象を「便所の落書き」と一刀両断に切り捨てた政治家がいる。
次回はこのことについて書きます。
             
(つれづれ日記№57)
             (つづく)                (2016.3.21記)
 

 
 

 
 

 

 

 

 

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保育園落ちた 日本死ね!!!

2016-03-20 08:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!!
       
保育園落ちた日本死ね!!!
       何なんだよ日本。
       一億総活躍社会じゃねーのかよ。
       昨日見事に保育園落ちたわ。
       どうすんだよ私活躍できねーじゃねーか。
                   (ブログ冒頭部分)
   

  匿名のブログである
「議論のしようがない」と言っていた政府だったが
ネット上でブログに共感する声が広がると、国会で審議され、政府は待機児童への政府対応を強調しはじめた。
その裏には、世論の大勢が政権批判に転じないよう、必死に安泰を願う政権の姿が見えてくる。

 ブログの内容は2/29の衆院予算委員会で民主党の山尾志桜里氏が取り上げ、
メディアが飛びつき、ブログが躍った。

 「社会が抱える問題を浮き彫りにしている」と山尾氏が迫れば、
首相は「実際に起こっているのか確認のしょうがない、これ以上議論しょうがない」とそっけない反応だった。

 「保育制度の充実は必要」と、反発した市民らはネット上で暑名活動を展開。
 数万人規模の署名を山尾氏に提出。

 野党はここぞとばかりに、政権批判のボルテージをあげる。
 発端となったブログをフェイスブックで共感を表す「いいね!」が押された件数は

 4万6千件
(3/9報道)を超えたという。

  「児童待機問題」に一石を投じ、政権を動かしたという意味では、
  意味のあるブログだったのかもしれない。

 しかし、私はこのブログを巡る一連の騒動に、違和感を持っている。
 次回はそのことに触れたい。
         (つづく)               
(2016.03.19記)

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今日、ママンが死んだ……(義兄の死)

2016-03-19 08:00:00 | つれづれ日記

今日、ママンが死んだ   (無常の死)

 今日、ママンが死んだ」
  カミユの小説「異邦人」の冒頭の文章である。
   不条理の文学は「母の死」から始まる。


 「 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」
  と平家物語は 生者必滅のことわりを琵琶の音色に載せて謳いあげる。
  滅びゆく平氏一族の哀れを無常の風で包む。

 「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
  よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
  ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、
  またかくのごとし。

  と鴨長明も方丈記で、足掻(あが)いてもどうにもならない人生に
  方丈の狭い庵で無常を感じていた。

  「今朝、5時49分に父が亡くなりました」
  電話の向こう側で、長女のすすり泣く声がくぐもって流れてくる。
  16日会いに行った私に義兄は力なくベッドに横たわったまま、
  弱々しい笑顔を浮かべるのみ。
  その2日後、義兄は2人の娘に看取られ、帰らぬ人になった。


  電話を受けた私も泣いた。


  末期の癌、自宅療養、認知症の妻を残し
  たった1週間のベッドの生活で
  「ちょっと行ってくるよ」とでもいうような旅立ちだった。

  生きた証。
  350ページにもわたる自分史が残された。

  家庭の環境等に関係なく、「死」は誰にも平等に訪れる。

  「無常」

  その時を、天命として捉え、往生できれば
  最後の幕引きとしては、最高の幕引きだ。

  歳を重ねれば重ねるほど
  出会いで得るものよりも、
  別れで喪うものの方が多くなる。

  「無常」だなあー
         (2016.03.18記)

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春は別れの季節

2016-03-16 21:33:26 | 季節の香り

春は別れの季節 (季節の香り№25)

 陽だまりの中で 福寿草が咲き
 食べものの少なくなった里山から
 野鳥たちが 庭の万両実をついばみに来る

 クリスマスローズが盛りを迎え
 梅の花が咲く
 作りすぎた大根が 畑の中で霜枯れていく
 
 春の準備で 耕された畑の土の中で
 冬の眠りから無理に起こされた虫たちが
 小鳥たちの餌食になる

 梅の花が散る頃
 桜の花芽が大きく膨らんでくる

 別れの季節がやって来たのだ


  今日、保育園で長年続けているボランティアの最後の行事があった

  週三回続けている「あむじいのいっしょによもう」の最後の集いである
  絵本、紙芝居、お話しなど 一つのメニューを20分かけて進める
  主役は園児たち
  私は話のリード役
  だから「よみきかせ」ではなく「いっしょによもう」なのである

  発言自由、字の読める園児には数行を読んでもらう
  質問も自由
  話が横道にそれるのも歓迎

  何でもありだから、参加するのも自由
  面白くなかったら 運動場ゃ砂場に行って遊ぶのも自由

  子どもは正直だから面白くなければすぐいなくなる
  だから私も真剣勝負
  ネタづくりは十分にして臨む

  極端に言えば一人しか集まらなくても
  「あむじいのいっしょによもう」は開催されます
  一人しかいなければ その子を抱っこしてお話をする
今日は さくらぐみのみなさんがあつまりました。
今日のメニュー「かちかちやま」「やきざかなのうらみ」「あめのひはいやだよ」です。

 そして、今日はさくらぐみの最後の日です
みんな仲良く
みんなありがとう
 4月になれば 新しいお友達に会えるよ
  

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福寿草の里

2016-03-15 12:10:19 | 季節の香り

福寿草の里  松本市四賀(旧四賀村)
 四賀の福寿草が懐かしく思い出される。
 小高い丘全部が福寿草に覆われ、ちょっと冷たい気温の中を散策するのも
 春の訪れを満喫できてとても癒されます。
 泥濘(ぬかるみ)などもあが、長靴などの貸し出しもあり、楽しく過ごすことができます。

 例年、この時期が信州・安曇野を訪れる最初の訪問になっていた。
 雪解けを待ちわびたようにして、300㌔の高速道路を走る。

 到着すれば、かわいい孫たちが迎えてくれる。
 「孫たちに会いたい」このことのためだけに遠い道のりを走り、
 この年最初の訪問を「四賀村の福寿草」で孫にあえた嬉しさを、
 互いに実感していた。

 懐かしくも、哀しい思い出だ。

 14歳の12月初めに孫を亡くした哀しみは、
 心が折れて、自分の存在がどこにもないような日々。
 闇に閉ざされた道をを、手探りで歩くような辛い日々だった。

 以来、孫たちがいる長野の地を訪れなくなってしまった。
 自然に恵まれたこの地の何を見ても、孫との思い出に繋がり、
 そのことがますます早逝した孫への未練となって、
 心がなえてしまう。

 50万株という福寿草の群落が、四賀の小高い丘を埋め尽くす。
 今年も、きっとそんな風景が訪れているのだろう。

 「旅人になりたい」といっていた孫は、
 この福寿草の群落にも来ているかもしれない。
  
 現地の写真を見ながらそんなことを思う春の訪れだ。

 

  ブログ・さわやかな風 2 さんのブログ写真を見て久し振りに「四賀の福寿草」を思い出しました。また、「白鳥湖」や「大王わさび園」「国営アルプス公園」「松本城」等々いつもなつかしく拝見させていただいています。ありがとうございます。
   信州の春は花々が一斉に咲き競う明るい春の幕開けです。懐かしいなー
  

 

 

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「復興」という願い (東日本大震災№2)

2016-03-13 08:00:00 | 東日本大震災

「復興」という願い (東日本大震災№2)

  5年目を迎える東日本大震災を前に、
朝日新聞と福島放送の共同企画で「福島県民 共同世論調査」を行った。

 罹災東北三県のニュースには、「復興」という言葉が頻繁に登場する。

復興はどの程度進んでいるか。
街の復興は、住民の思うように進んでいるのか。

 土ぼこりを舞い上げて、ダンプが高台に土を運ぶ。
 津波で破壊された海岸には、見上げるような防潮堤が計画される。
 土建、建築に携わる作業員が街を賑わす。

 だが、住民は戻ってこない。

 福島県民へのアンケートは
「復興」への道筋はついていると思うか
 「あまりついていない」53% 「まつたくついていない」9%

  震災5年が経過しているのに6割の人が不満を持っている。
  あまりにも長い5年。家族がバラバラに避難し、
  風評被害や放射能被害で農産、畜産、漁業など未だに先行きの見通しがつかない。

  「復興」とは、ライフラインが整備され、住民が戻り、
  働く場所が確保されて初めて実感が伴ってくる。
  仮設住宅から災害復興住宅へと住まいの確保が推進されても、
  それだけでは住民は戻ってこない。

  「復興」が遅れれば遅れるほど、若い世代は、避難した地域に根付いていく。
  若い世代が戻ってこなければ、街はやがて消滅への道を歩み始める。
  住民にとって「復興」とは、街が活気を取り戻すことである。

  福島の場合は、地震、津波の被害の上に、原発事故への不安が重くのしかかってくる。

  放射性物質や原発廃炉作業をめぐる不安が、県民には根強く残っている。
  「原発事故による」放射性物質が自身や家族に与える影響についてどの程度不安を感じるか」

     「不安」と答えた人68%

  「廃炉作業で深刻なトラブルが起きる不安をどの程度感じるか」

     「不安」と答えた人85%

 

   昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では、
   町民約7400人のうち、街にもどったのはわずか440人だ(2月4現在)

   避難区域の除染や解除も必要なことだが、
   放射線量が極めて高い帰還困難区域の今後の扱いについて、
   政府は明確な方針を打ち出していない。
   こうした状況下では、故郷に見切りをつけ、新しい土地での生活を確保しようとする
   住民が出てくるのも必然だろう。

   見通しの立たない状況下で、足踏みするのも限界がある。
   人間は希望を持たなければ生きる力を徐々に削がれてしまいます。

   一日も早い「復興」。
   インフラ整備だけではなく、人が住み、
  「活気」のある街づくりを実現することが国や地方行政に携わる人の急務だ。
   そして、一番必要とされるのは、自分たちの街は、自分たちの力で作っていこうとする気力だ。
   決して、国や行政任せにしてはいけない。

   26兆円をかけた復興事業だ。   

  共同企画 共同参画という姿勢が問われる。

    テレビニュースでは、死者・行方不明者1200名を出した岩手県・大辻町の
    「まちびらき式」の開催もようが放映された。
     「復興」への一歩が踏み出された。

                            (2016.03.12記)   

 

   

 

  


  

 


 

 

 

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