雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

風の行方(14) 人の心と科学(2)

2012-09-23 21:30:28 | 風の行方・原発

第2部(3)  人の心と科学(2)

 幸せを願い、人間の社会は成熟社会を追求してきた。

英知が科学を発展させ、私たちはいつの時代でも、

その時代のもっとも良いと思われる科学技術の恩恵を享受してきた。

 幸せを追求してきた科学技術であるが、時として科学は、

人間に牙をむいて襲いかかってくる。

 1950年から1960年代は全国各地で、公害問題が発生した。

後に四大公害と言われたメチル水銀による新潟水俣病(阿賀野川流域)、

熊本県水俣市の水俣病(熊本県・鹿児島県・八代海岸沿岸)、

カドミウム汚染のイタイイタイ病(富山県神通川流域)、四日市ぜんそく(三重県四日市)などは、

人間の科学に対する無節操な行為が引き起した科学の負の部分である。

 

 「原子力の平和利用」もまた「核」という問題を解決できないままに、

見切り発車をし、原子力は一方は、「核兵器開発」の道を進み、

一方は枯渇する化石燃料と地球温暖化現象のエネルギー救世主として、

原子力発電の道を歩むことになる。

 

 見切り発車で安全の確認ができない状態の原発を、

「安全神話」というオブラートで包み、

推進と開発のための膨大な予算をつぎ込み、

反対運動を切り崩してきた、国や電力会社や原発推進派の専門家の責任は重大である。

 

 「安全神話の崩壊」は私たちの心に何をもたらしたのだろう。

 

 2011.3.12午後3時過ぎ、

福島第一原発1号機の原子炉建屋が、鉄骨の骨組みを残し吹き飛んだ。

原発の「安全神話」が崩れ去った瞬間である。

続いて、14日午前11ごろ、今度は3号機で、2回にわたって爆発があり、

水素爆発特有の白い煙が空高く舞いあがった。

 

 未曾有の地震と巨大津波に襲われ、

その上、原発事故の見えない恐怖が私たちを襲った。

                               (つづく)

              (写真は、2011.3.14爆発する福島第一原発3号機福島中央テレビの映像)

 

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風の行方(13) 人の心と科学(1)

2012-09-13 22:02:48 | つれづれ日記

第2部(2) 人の心と科学(1)

 過去から現在へと途切れることなく営まれ、続いてきた文明は、

本来、人間の幸せを願って営まれ、高みへと発展してきたはずだ。

 しかし、時として人間はとんでもない過ちを犯してしまい、   

幸せのために築いてきた文明を根こそぎ失うはめになってしまう。

 そこには、人間の存在そのものを否定してしまう危険で愚かな因子が潜んでいる。

 

  モアイ像で有名なイースター島の文明は、ある日突然に崩壊したわけではない。

狭い土地の限られた資源(木材・畑等)と外界から閉ざされた閉鎖的環境の中で、

資源浪費型の極端な偶像崇拝の祭祀文化を、

競争的に発展させてしまった点にあるといわれている。

 

 その結果、

エネルギー問題と人口問題を解決できなくなり、

文明の滅亡を迎えることになった。

 エジプト文明の興亡もピラミッドの造営に求めることができる。

造営に必要な膨大な労働力と、

これらを養うための食糧、運搬資材としての木材、煮炊きをするための木材など、

富と権力によって環境は破壊され、豊かな森は伐採され、水源も枯渇していく。

 

 ここでもまた、エネルギー問題と人口問題を解決できないために、

文明の衰退と崩壊を招いてしまった。

 

 原発の原子炉もまた「安全神話」に守られた危険な偶像である。

化石燃料の枯渇や地球温暖化の救世主として、

原子力の平和利用が国家施策としてスタートしてから久しい。

              (画像・@niftyニースから転載)      

                                               (つづく) 

 

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風の行方(12) 第2部(1) はじめに 

2012-09-03 21:29:44 | つれづれ日記

  東日本大震災を契機に東京電力福島第一原発の事故は

「原子力の平和利用」の御旗のもと、国策として推進されてきた事業であったが、

原子力という科学の進歩がたどり着いた負の部分を、私たちに危険な警鐘として知らせる事故でした。

 

 私は、シリーズ 1 「科学技術の光と影」の中で、

約3600字6回で福島原発事故の経緯を追いながら「安全神話」の崩壊を述べ、

『科学が生んだ「光」のみを追求してきた結果に、安全の裏に潜む「影」の部分がモンスターとなって、

私たちを翻弄した』ことを述べた。

 

 次のシリーズ 2 「脱原発に向けて」では、

約3900字7回で、原発設置地方自治体がなぜ「原発依存症」に陥ってしまうのか、ということを、

「電源三法交付金」を切り口に、

「原発銀座(一つの地域に集中して原発が設置されること)」という、一極集中を招いてしまう経緯を述べ、

最終章では、『核と人間は共存できない。私たちは、ヒロシマ、ナガサキの原爆の悲劇を、

チェリノブイリ原発のメルトダウンの恐怖を決して忘れてはならない』と述べて稿を結んだ。

 

 シリーズ3回目は「風の行方」と題し、津波に襲われた太平洋沿岸宮城県を実地踏破し、

悲劇の爪跡を紀行文風にまとめた(11回・約9800字)。

 

 第2部では、原子力の流れを追ってみたい。

 

 

 

 

 

 

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