哀歌 翔よ!! (6)
突然の訃報
2013年12月8日(土)。
年の瀬の忙(せわ)しない日々が少しずつ感じられ、
年賀状の準備など新年を迎えるための諸事に取り掛かり始めた。
おそらくは今年最後の通信になるだろうはがき
(日々の雑感、読書紹介、映画鑑賞等、特に原発問題や東日本大震災には力を入れシリーズで発信していた)
を、『見えない心(より良き支援のために)』というタイトルで約900字にまとめ、
はがきに印刷し宛名を書き、明日の日曜日に投函できるように、
書斎の机に置き、所用を思いだし近くにある福祉センターにでかける。
こうして一日が終わろうとしていた。
(このはがき通信は、突然の訃報により投函する時期を逸し今でも私の手元に保管されている)。
今日、この文章を書くにあたり、これを読みなおし、私は唖然とした。
一般論として書いた内容が、訃報を受けた私の心境にぴたりと重なっているのだ。
以下、冒頭の数行を引用します。
『人の気持ち(こころ)は、絶えず変化し、いつも不変ということはありません。
昨日はとても元気で、会話もはずみ、優しい頬笑みさえ浮かべて、とても穏やかに話すことができたのに、
今日は顔色も悪く、表情も暗く、会話もはずまない。
いったいどうしたことなのか…』と。
夕方の5時少し過ぎだったと思う。
陽が落ちて暗くなった外気は、徐々にその温度を下げ、寒さがジワリと忍びよってくる。
食事にはまだ間があり、快い疲労感が私を包んでいた。
電話が鳴る。
「長野県からです。長野県からです」
電話が告げる声を聞きながら、ああ、長野の孫たちからの電話だろうと、
長椅子から手を伸ばし送受器をフックから外す。
「はい」、答えた私に孫の声ではなく、長男の声が響いた。
「お父さん、翔が死んじゃったよ」。
号泣の中で、「翔が死んじゃったよ」を繰り返す声。
後は言葉にならない。 (2月末記)