キリストの墓 青森・新郷村
奇想天外なお話し(伝説)
国道R454を太平洋に面した青森県八戸市から、十和田湖に向かって西へ向かって直線距離で約30㌔地点に新郷村がある(十和田湖を起点にして西へ向かうと約20㌔)。ここにとんでもなく奇想天外な伝説がある。
平成29年5月31日現在の新郷村の人口は男女合わせて2,619人、世帯数949戸の小さな村だ。
ゴルゴタの丘で磔(はりつけ)にされたキリストが、密かに日本に逃げのびていた。
村にはキリストの墓があり、墓前では毎年慰霊祭が行われ、キリスト伝説は村の観光戦略にもなっている。
村を貫く国道R454沿いの高台に木製の十字架が立つ墓が二つ並ぶ。
「キリストの墓」とキリストの身代わりとなって十字架に架けられたとされる弟の「イスキリの墓」だ。
キリスト祭が開催されるのは毎年6月の第一日曜日。ゴルゴダの丘ならぬ新郷村の丘にあるキリストの墓
それでは、ゴルゴダの丘で処刑されたのは誰だったのでしょう。
案内板によると、イエスの弟イスキリが兄の身代わりにとなって十字架の露と果てたとあります。以下、案内板から引用。
<<キリストの墓>>
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。
この伝説が生まれたれたのは比較的新しく、昭和10年、茨城県磯原市(現北茨城市)から訪れた天津教(新興宗教)教祖竹内巨磨(たけのうちきよまろ)氏により、竹内家の古文書をもとに発見されたそうです。従って、昭和10年以前にはこのような話はまったくなかったようです。毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドラヤの歌と踊りが奉納されます。
なんとその踊りはご覧のようにどこから見ても「盆踊り」です。この「ナニャドラヤ」は
地元の人は誰でも知っているが、歌詞の意味は誰も知らないという。古代ヘブライ語で「主よ讃えよ」という意味だと説もあるが、眉唾(まゆつば)でしょう。
新郷村は大字名に戸来(へらい)という地名が現在でも残っているが、これは「ヘブライ」が訛ったのだという説もある。
この村にはもうひとつ「大石神ピラミッド伝説」もあり、当時の村長佐々木傅次郎が始めた村おこしだ。
古代へのロマンを育むにはあまりにも奇想天外な伝説なのだが、新郷村ではことの是非は問わず村おこしの一環として、村のホームページにも「キリストの墓」「キリスト祭」としてアップしている。
(2017.6.22記) (郷土の歴史№3)