雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

キリストの墓  青森・新郷村

2017-06-23 08:30:00 | 郷土の歴史等

キリストの墓  青森・新郷村
   奇想天外なお話し(伝説)
 国道R454を太平洋に面した青森県八戸市から、十和田湖に向かって西へ向かって直線距離で約30㌔地点に新郷村がある(十和田湖を起点にして西へ向かうと約20㌔)。ここにとんでもなく奇想天外な伝説がある。
 平成29年5月31日現在の新郷村の人口は男女合わせて2,61
9人、世帯数949戸の小さな村だ。

 ゴルゴタの丘で磔(はりつけ)にされたキリストが、密かに日本に逃げのびていた。
 村にはキリストの墓があり、墓前では毎年慰霊祭が行われ、キリスト伝説は村の観光戦略にもなっている。

 村を貫く国道R454沿いの高台に木製の十字架が立つ墓が二つ並ぶ。
 「キリストの墓」とキリストの身代わりとなって十字架に架けられたとされる弟の「イスキリの墓」だ。

 

   キリスト祭が開催されるのは毎年6月の第一日曜日。ゴルゴダの丘ならぬ新郷村の丘にあるキリストの墓
  それでは、ゴルゴダの丘で処刑されたのは誰だったのでしょう。 
  案内板によると、イエスの弟イスキリが兄の身代わりにとなって十字架の露と果てたとあります。以下、案内板から引用。
<<キリストの墓>>
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。

 この伝説が生まれたれたのは比較的新しく、昭和10年、茨城県磯原市(現北茨城市)から訪れた天津教(新興宗教)教祖竹内巨磨(たけのうちきよまろ)氏により、竹内家の古文書をもとに発見されたそうです。従って、昭和10年以前にはこのような話はまったくなかったようです。毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドラヤの歌と踊りが奉納されます。
 なんとその踊りはご覧のようにどこから見ても「盆踊り」です。この「ナニャドラヤ」は
地元の人は誰でも知っているが、歌詞の意味は誰も知らないという。古代ヘブライ語で「主よ讃えよ」という意味だと説もあるが、眉唾(まゆつば)でしょう。
 新郷村は大字名に戸来(へらい)という地名が現在でも残っているが、これは「ヘブライ」が訛ったのだという説もある。
この村にはもうひとつ「大石神ピラミッド伝説」もあり、当時の村長佐々木傅次郎が始めた村おこしだ。
 古代へのロマンを育むにはあまりにも奇想天外な伝説なのだが、新郷村ではことの是非は問わず村おこしの一環として、村のホームページにも「キリストの墓」「キリスト祭」としてアップしている。

                                (2017.6.22記)      (郷土の歴史№3)

 

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多選の是非・茨城県知事7選出馬表明 (2)

2017-06-16 08:41:55 | 昨日の風 今日の風

多選の是非・茨城県知事7選出馬表明(2)
  
 多選の是非については、拙ブログ4/12付でカテゴリー昨日の風 今日の風で、
 その弊害を述べましたのでそちらを参照にしてください。

 その時、冒頭で次のように多選の弊害を述べました。
  トップを長いこと同じ人物が勤め続けることは、好ましくない。
  空気が淀みます。
  淀みは停滞に繋がります。
  停滞は気力の減退につながります。
  気力の減退に続いて訪れるものは、自己保身です。
 
  このスタンスは今回も変わりませんが、 
  今回はもう少し具体的に多選の弊害を述べてみたいと思います。
  

     選挙で県民が選んだ知事ではあるけれど現在、6期目24年間の同一知事による県政である。
  「知事の権限はものすごく大きくなっている。だから多選の首長の不祥事がたくさん出てきたんです」

  菅官房長官は4月上旬檄を飛ばし、自民党が擁立した大井川和彦氏を激励した。
  現自民党は、橋本県知事の多選を争点にして、
  なんとしても7選28年間の知事就任を阻止しようと躍起になっている。
  同じように石破茂も水戸を訪れ、多選を争点にして、橋本茨城県知事の県政に終止符を打ちたい様子である。

  長く務めれば務めるほど、現職は有利になってくる。

  知事を務める間に市町村の首長や議員、業界団体と結びつきを強める。
  知事と懇意になれば、市町村の陳情などし易くなるし、県政への太いパイプを強調し、
  選挙に備えることもできる。同様に業界団体も懇意な関係を通して、
  利益を確保したいという下心が見え見えである。

  選挙に勝利するには、組織力が重要なポイントとなる。
  いかに多くの推薦団体を確保するかが勝利のポイントになってくる。

  知事の権限は大きく、茨城県内の市町村への影響力も大きい。
  こんな話がある。
  「消防関連施設の運用費を補助してもらうなど、市町村は『餌を食わされている』。
  知事を応援しなかったら、予算をつけてくれない可能性がある」
           (ある首長の話、として朝日新聞が紹介している)

  予算はある一定の決まりや、条件をクリヤーした申請者に平等に配分するのがルールだ。
  だが、予算には枠があり、申請者が多くいる場合は何が優先されるのか。
  頭に浮かんでくるのは最近の「森友学園」や「加計学園」問題など、上からの鶴の一声がなかったのか
  どうか。

  政治家に便宜を図ってもらう。良くある話だ。
  実際に私の関わった福祉団体で、補助金の使途不明金が監査で指摘された。
  「全額を返還せよ」という行政指導である。かつ、今後の補助金は支給を停止するというものであった。
  数日後、地域代表の名のある国会議員を通じて、事態の収束を計ると、次の日、担当部署の吏員が数名訪れ、
  「不問に付す」という話である。
  明らかに、天の声、鶴の一声が降って来たのだ。
  こんな話は、数え上げたらきりがない。

  多選が続
き、前回にも書いたが、
  一定の人間が行政の恩恵を受けることがあってはいけないのだ。

  原発について
   茨城県には運転開始から39年を経た日本原電東海第二原発(東海村)がある。
   40年の運転期間を超え再稼働をする場合、原電は知事の了解を得ることが必要。
   知事の判断によっては廃炉になる可能性も十分だ。
   しかし、現知事の橋本氏も大井川氏もこの問題には触れず、
   「他の課題の方が県民は関心がある」として、逃げ腰だ。
   特に橋本氏の場合、原発問題に関しては、
   方向性を示さず県民の意向に沿うよう努力すると矛先をかわしてしまう。

   たくさんの人が原発、及び関連企業で働いているから、
   原発反対を表明すると獲得票が減少する恐れがあるから、優柔不断の姿勢をずっと維持している。
   原発の再稼働を争点にしないで、住民の意見を聞く機会がないまま再稼働が決まってしまえば、
   取り返しのつかないことになる。

   多選を許すな。
   
   多選の是非が先行して政策の議論が埋もれたまま、選挙戦だけが過熱している(朝日新聞)

   住民の意見をなおざりにして、都合のよい選挙戦を展開していけば、
   民主主義は腐敗し、民主主義が目指した理想はだんだん遠のいてしまう。

           ※ 知事の多選について、神奈川県は「禁止」、埼玉県は「自粛」すると定めた条例があり、
               いずれも「3期12年」を限度とする。だが現在、4選以上の多選の知事が13人と、ほぼ
             4人に一人を占めている。(朝日新聞)
                               ※  多選の是非(1)は4/11付ブログ(昨日の風 今日の風)に掲載しています。
              興味のある方はご覧ください。
               (昨日の風 今日の風№73) (2017.06.15記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「駅路」 松本清張著

2017-06-06 08:30:00 | 読書案内

読書案内「駅路」松本清張著
 時には家庭を犠牲にし、
一生懸命働いてきた定年を迎えるその日、
机の中を整理し、私物を鞄に詰める。
大きな花束を贈られ拍手で送りだされる。
外に出て振り仰げば、
もう二度とは訪れないだろう会社の建物が黄昏の空にたたずんでいる。
駅へと続く街路樹の並木道を駅へ向かって歩く。
この道も二度とは訪れないだろう。
いつもの習慣で駅前の路地を左に折れ、馴染の酒場の暖簾をくぐる。
定年後の退屈な日々を想うと、
解っていたことだが、
退職後に備えて何も手を打たないで来た自分が急に哀れに思われた。
したたかに酔って、
もうろうとした意識で、
「俺にはもっと別な生き方があったのではないか」と、思ったりもする。

 定年の日に自分の人生や生き方に思いを馳せるシーンであり、
だれにも似たような感慨深い経験があるのではないか。

 この短編に登場する男もまた、別の人生を夢見て失踪し、家族の前から姿を消す。

 『 銀行の営業部長を定年で退職した小塚貞一は、その年の秋の末、簡単な旅行用具を持って家を出たまま、行方不明となった。家出人捜索願を受けて、呼野刑事と北尾刑事は捜査を始める。家庭は平和と見えたし、子供も成長し、一人は結婚もした。人生の行路を大方歩いて、やれやれという境涯に身を置いていたように思える。自殺をする原因もない。自分から失踪自分から失踪したとすれば、何のためにそのような行動を取ったのか……。(ウィキペディアより)』

  捜査に当たる年配の刑事が若い刑事に話しかける。

「人間だれしも、長い苦労の末、人生の終点に近い駅路に来たとき、はじめて自分の自由というものを取り戻したいのではないかね。家庭への責任を果たして、やれやれ、後の人生は俺の勝手にさせてくれ…」

 大金を持って失踪した小塚の行方は一向に見えてこない。
果たして、小塚は家族を捨て別の人生を歩み始めたのか。
刑事は小塚の過去にまでさかのぼり、
彼の見えない部分に光を当てていく……

定年を迎え駅路に立った男の人生を描いていく。

 
ブックデーター
 駅路(傑作短編集六) 

  新潮文庫 1965(昭和40)年刊行 第49刷
    表題作他 白い闇 捜査圏外の条件 ある小官僚の抹
    殺 巻頭句の女 誤差 万葉翡翠 薄化粧の女 偶数 

    陸行水行
             (2017.6.4記)  (読書案内№101)

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読書案内「春の血」 松本清張著

2017-06-04 09:16:03 | 読書案内

読書案内「春の血」松本清張著

つかの間の幸せ

新原田恵子は48歳。
5年前に医師だった夫を亡くしている。
積極的で聡明な田恵子の友人・海瀬良子とは違い、何事にも控えめで消極的である。
良子より2歳上なのに積極的な良子に甘えるような友人関係だ。
以下重要な部分を引用します。

 田恵子は良子の耳にささやいた。
「ねえ、あなた、まだあれあるの?」
声にはならずほとんどささやきだつた。
「あるわよ。どうして?」
「あがったらしいわ、もう」田恵子は微笑していたが、予期せぬ狼狽はかくれもなかった。
「そうかしら?五十四、五にならないと来ない筈だけどね」
良子は疑るようにいった。
「早い人だと四十五、六からそうなんですってよ」
田恵子は悲しそうに反駁した。

 女性の月のものがなくなって3カ月たつという。
女の役割を終わるということは、故人の差こそあれ、ショックに違いない。
人によってはホルモンのバランスを崩し、体調を崩す場合もある。

やがて田恵子は再婚する。
亡くなった夫の財産で十分生活できるだけの財産を持っているはずの田恵子が再婚を決意したのは、子どものいない寂しさがあったのだろう。

金持ちだが無骨な男と田恵子は結婚した。
お嬢様育ちの田恵子の相手としては不釣り合いな夫婦だ。
三カ月後、遊びに来た田恵子は夫にも可愛がられ、幸せそうだった。

 「ご心配かけたけどね、あれ、あったのよ」と田恵子は嬉しそうに言う。清張はここの情景を次のように描写する

奇跡が起こったのだ。
田恵子の精神が遂に身体の生理をねじ伏せたのであろうか。
すすみよる老敗の浸食を押し戻したのである。…
()
「子供が欲しいわ。この年齢になって笑われるかもわかんないけど」田恵子の陶酔は、果てしがなかった。

 だが清張はこれで終わりにしない。(ここから先はネタバレになります)
1.年後、田恵子の夫から良子宛に一通の死亡通知が届いた。
田恵子が子宮筋腫で亡くなった知らせだった。

「あれ、あったのよ」と喜んでいた言葉が良子によみがえってくる。
青春を奪い返した兆(しるし)ではなかった。
彼女の喜びの血は、彼女の生命を奪う前触れの出血であった。

 
最後の数行で田恵子を哀れな女に突き落とし、
無邪気な友を失った良子の悲しみを描いて見せる清張の手腕が光る好短編だ。

 作品にまつわる裏話
 清張が小倉市に居たころ家裁調停委員の丸橋静子さん(故人) から聞いた話を文藝春秋に発表したところ、「春の血」は「魔の山」の作者トーマス・マンの「欺かれた女」をそのまま取った、いわゆる盗作だといわれた。(この話は松本清張全集42巻の「着想ばなし(7)」に載っているが、清張はこのことがあって何の弁明もせず、「全集」(第一期)からも削除してしまった。時を経て清張の生前最後に刊行された角川文庫の「延命の負債」(短編集)に収録した。丸橋静子さんが故人となられた時点で、上記の経緯を発表した。

 短編集角川文庫 1987(昭和62)年刊行
短編集 表題作他に、湖畔の人 ひとり旅 九十九里浜  賞 春の血 生き物の殻 
津ノ国屋 子連れ 余生の幅 三味線 月を含む。
                                 (2017.6.3記)  (読書案内№100)

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