漫画家西原理恵子氏の著書「この世で一番大事なカネの話し」を読んで
「地方で終わるか!」とがむしゃらに進んで来たという共通点を見つけて喜んだ話しです。
なぜ私が、子どもの時「ロビンソン・クルーソー」を少しも面白いと思わなかった理由が分かった。
サイバラさん曰く、「冒険家なのに設定が甘すぎる!」
そうか、そうだった!
過酷な状況で大人なんか無視して、自分の知恵でなんとかする「長靴下のピッピ」の方が面白かった。
でも、彼女にはお金だけはあった。
だから、やっぱり自由を手に入れるには「カネ」なんだと、私は潜在的に思っていたのかもしれない。
西原さんは、とにかく手に職付けて稼ぐぞ~という学生時代からの売り込みが凄い。
私は売り込みはしなかったけど、図面描きのアルバイトは、2年生からやった。
貧乏学生でドラフター(製図板の良いやつ)を持たないので、学校で課題を終わらせてからそこでコッソリ描いた。機械部品ものもお金になったので描いていたら同級生が「お前、違うの描いてないか?」って、慌てて隠したけど。
家からの仕送りが少なく、(凄まじいご実家のサイバラさんより少なかったことも分かった。)とにかく時給の高いアルバイトをした。あらゆるバイトもした。という辺りが共通点2点目。
小さい頃のお金に関するせつないエピソードを覚えているところが共通点3点目。
お小遣いのなかった小学生の私は、お友達の誕生日会に持っていくプレゼントが買えないから呼ばれない。
友達と文房具店に行っても、見るだけで何も買わない。
いつも外で遊んでいた仲良し3人組だった内の二人が、今日は外に居ない。家に呼びにいっても居ない。
どうしたのかなと思ったら、二人は新しく出来たファンシーショップに行っていた。ショックだった。
どうして誘ってくれなかったのか?と聞くと、「みきえちゃんはいつも何も買わないから。」だった。
お金がないことで買えない惨めさを味あわせたくなくての友情による配慮だと思いたかった。
それから私の母への春闘?が始まった。とにかくいくらでも良いから小遣いをくれと!
その後、おやつを家で食べなかったら50円。ということになった。
誕生日にはケーキを食べられるだけ幸せ~が、お友達がプレゼントをもらうということが分かり、
何をもらったか?という会話でまた話せなかったことから、何でも良いからくれ!という要求を通した。
もちろん、お金で解決しなかったからこそ、得られたものも大きい。その話しはまた次回。
両親の苦労も見てましたから、お金、お金、お金~の話題が家庭からなくならないことも。
そんな私が、なぜ、森林通貨(地域通貨)?
う~ん、自分でも変。
そんなに稼いでいる訳ではないけれど、お金で買えないものは、もはやこの世にないけど、
お金で産み出せないものは、沢山あることに気がついたからだよね、きっと、多分。