せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

建築の新陳代謝〜新旧横浜市庁舎の建築家展に学ぶ、考える〜

2020年12月14日 | ものづくり

モダニズム建築の代表的建物。旧横浜市庁舎。現在の様子。

暮れである。

もう今年は、本音をぶちまけてしまっても
良いだろうと
ここに来て、日頃の想いを以下、
吐露するようなブログとなっています。(御容赦下さい)

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封じ込められた想いや活動

今年は、様々なオンライン研修会、
セミナーが開催される中、
珍しく会場へ足を運んだ。
(2部構成のシンポジウムで、
そして、建築家展も同時開催)



今年新しくなった、会場である
横浜市の新市庁舎の空間を
肌で感じたかった為でもある。

新市庁舎建設については
横浜に設計事務所を構える身としては
ずっとモヤモヤ感を残す出来事である。

それは、日本の建築家の中でも、
巨匠と言われる
村野藤吾の設計による旧横浜市庁舎が、
解体の憂き目にあった時、

反対、保存活動を始めたJIA(日本建築家協会)

その後、我々の協会の会長で建築家の槇文彦が、
新市庁舎の設計監修の立場となり

大きな声を上げての保存活動ができなくなるままに、
新市庁舎の建設が進み、

旧市庁舎は、横浜市が採用した
ディベロッパーの駅前再開発の案に
飲み込まれる形で決着されたからだ。

建築家不在の建築の増殖。

むしろ、新市庁舎の設計者に私たちの
トップである建築家が、選ばれたのであれば

まだ、私たち建築設計を専業とする会員も
納得がいったであろう。

しかし、大手ゼネコンの設計施工で行われた
新市庁舎は、私が学生の頃、心震えるほど
憧れた建築家、槇文彦の形跡を残すものではなかった。

建築の新陳代謝といえばそれまでだが、、、
建築の風景は均質などこまでも同じになっていく。。。

↓横浜新市庁舎


その地域らしさ、
その場の「地の力」を吸い上げて設計されるような
建築は、もはや生まれないのか。。。

建築家不在の建築のものづくりが加速する日本

AIが発達しても無くならないと言われている
建築家の職能だが、
すでに、役割が曖昧にぼかされている現代。

必要とされるのは、職能ではなく
看板か?ネームバリューか?と感じる。

成熟社会は、消費社会か?

真に、持続可能な社会を目指すのであれば

今ある建築の価値を、
古くて使いにくい、時代遅れ、手狭である、、、
など機能面だけで、使えないと、決めつけることなく

建築の歴史的、文化的価値を検証し、
空間を使い続ける手法が、
議論されるべきだからだ。

ここにも、経済優先の
民主主義の矛盾が見えて来る。

人が少なくなる=税収が少なくなる
だから、人を増やす。

そのために、お金を落としてもらう場所を作る
=賑わいが必要。

そんな構図だけで、
建築をつくり、街をつくっていく
今の日本のものづくりの流れに、
疑問を大いに感じている。
開港160周年のプロジェクトである
駅前再開発者の説明も
終始「商業中心」であった。

今年、コロナの影響で、
空間は3蜜を避けることが必須となった。

悲しいかな。
その、賑わいを示す、再開発の建築パースは
まさに、3密の図柄。
パースを拝見したJIAの仲間と苦笑いである。

旧市庁舎の建築家を研究する学者からは、
海外の事例として、商業というよりも
文化施設をうまく利用して
文化的な賑わいを活性化した例が紹介された。

う〜む。

市民の文化的知性が日本人は少ないの?
西洋的であればなんでもOKな日本人なの?
新しい方が古い方より価値があると考える日本人なの?

我が市民性、国民性までも問われるなぁと、
学者先生方の話を伺った。

それとも、私も含めて、建築的知識がないのが
圧倒的多数だからか?

結局、そこに立つ建築は、
やはり国民性を示している部分は
大いにあるのだと思う。ふぅ。

個人の矛盾と社会の矛盾

今の横浜の私の周りは、

個人がまともに関わってはいけないのか?
と、思わせるほどの、

大きなマネーゲームのような
建設ラッシュ。高さを競う建物群。

復興が一向に進まない故郷の熊本と対比すれば
なおさら、その開発スピードは、
まるで、瞬きしている間に、進んでいくようだ。
(官民問わず)

月一度のフライトで、熊本から羽田に降り立つ度、
東京、横浜の風景が一変している。
あちらこちらで大きな工事が進んでいく。



私自身、開発の恩恵を受けている矛盾。
羽田までの高速道路の時間が10分縮んだ。

湾岸を走る時、私という小さな存在が、
そのうねるようなマネーゲームの流れに
飲み込まれていく感覚を得て、
酔いそうになる。

工場の機械の塊が、黙々と煙を上げ
大型の建物群が目の前に迫る時、

持続可能な社会
森林を大切に
環境に優しく、、、、

などという言葉が、
ちゃんちゃら、おかしく思えてくる瞬間。

私だって、フライトで、石油エネルギーを
大量消費している。

大きな脱力感に苛まれながらも、
帰宅する頃には

家族を、クライアントを守ること、
目の前の、森と樹と暮らしを繋ぐプロジェクトに、
諦めず集中しようと、氣を奮い立たせている。

疲れるとは、こういう時なのである。
理想と、現実のギャップが大きすぎる時だ。

だから、疲れないようにするには、
大きな問題に目を背けるのではなく、
意識しつつも、

今、自分ができることに
焦点を当てるしかない。

そんな風に感じてきた、この数年である。

今回のシンポジウムの1部では
建築家の生き方から、
建築の価値が、 少し深堀されたので
その点は、勇気を頂いた。

次回は、そのことを綴ります。
今日は、前談でした。(失礼!)