この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

クドリャフカの順番。

2009-07-02 23:17:56 | 読書
 米澤穂信の古典部シリーズ、『愚者のエンドロール』と『クドリャフカの順番』を立て続けに読む。
 うん、いいね、米澤穂信の古典部シリーズは。
 っていうか米澤穂信という作家がいいと言った方がいいのかもしれない。
 『ボトルネック』を読んだときは正直イマイチかな、とも思ったけれど、それ以外の作品はどれも及第点を超えていると思う。
 どの作品も文章は読みやすいし、構成は巧みだし、結末は意外だしね。
 誰が読んでも損をしたとは思わないんじゃないかな。

 と、べた褒めしておいてなんだけど、件の『愚者のエンドロール』と『クドリャフカの順番』は残念ながら傑作!!とまではいかなかった。
 というのも、どちらの作品にも作品の根幹の部分で不自然な箇所や疑問点があるからで、、、
 まず『愚者のエンドロール』でいえば、未完成の映画の結末を推理するというお話なのだけれど、そもそも映画の脚本を書いた人物が死んでしまったわけでも、面会謝絶の重態にになったわけでもないのだから、その人物に結末を聞けばいいわけで、それが出来ないということはどういうことなのかということに気づけば早々と真相にはたどり着けるはず。
 作者は上手く誤魔化してはいるけれど、やっぱり探偵気質である主人公のホータローが気づかないのは変だよな、って思う。
 また『クドリャフカの順番』では古典部のメンバーの一人、伊原摩耶花が中学校のころ、カンヤ祭で買った同人漫画に感銘を受け、その後神山高校に入学し、漫画研究会に入会している。であれば当然作者が誰か調べるのが自然ではないか?
 調べようとしたが壁にぶち当たり、諦めざるを得なかったというのならともかく、まるきり調べようともしなかった、というのは明らかに変である。
 もちろん彼女が同人漫画の作者を知っていれば、そもそもお話が成り立たないので、彼女が作者探しをしなかった、何らかの理由を用意するべきだったと思う。

 あと、『クドリャフカ~』ではわらしべ長者的な物々交換が面白いのだけれど、ホータローが最後に手に入れたのがアレでは上手くオチがついていないように思う。
 もしかしたら次巻への伏線なのかもしれないが、、、どうなのだろう。

 というように重箱の隅を突付くことは出来るけれど、米澤穂信の古典部シリーズはミステリーとしても青春ものとしても充分高いクォリティを有しているので、そういったお話が好きという方は読んでみたらいいと思う。
コメント
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