この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

悲しみを半分こ。

2009-07-15 22:20:38 | 戯言
 ここ二、三日、ミクシィでいつになくたくさんの足跡が残されていて、それは間違いなくオフ会効果なわけだけれど、そのオフ会でHNを聞かなかったものだから、せっかく足跡を残してくれてもそれがオフ会で話した人のものなのか、そうでないのか、さっぱりわかりません。
 プロフィールを覗いてもやっぱりわかりゃん。
 これじゃオフ会に参加した意味ないよ。
 やっぱりオフ会で話が合う人がいたら、最低限きちんとHNを聞かねば!って思いました。


 オフ会がお開きになり、駐車場までの帰り道を、ある男性参加者の人とオフ会の反省会をしながら(つまり一方的にダメ出しをされながら)歩きました。
 いっちゃなんだけど、垢抜けてないんだよねー、とか、もっと積極的にならないと!とか、脈がないと思ったら、それ以上しつこくしない!とか、そういうオフ会で勝者になるコツみたいなものを教えてもらいました(一々もっともだと思いましたよ。笑。)。

 それで、話がミクシィ日記のことになったんですよね。
 その人は、日記のネタは読んでて楽しくなるものだけにしている、明るいネタにコメントをもらえたらそれが明日への活力になる(だから暗いネタの記事は書かない)、みたいなことをいってました。
 そうなんですか~と相槌を打ちながら、それはちょっと違うんじゃないかなと思いました。

 随分前のことなんですが、このブログで、ある人のブログを個人攻撃をしたことがあります。しかもご丁寧なことにそのブログのアドレスまできっちり晒して(一応断っておくとそういったことをしたのは後にも先にもそのときだけです。)。
 なぜそんな個人攻撃をしたのかというと、その人が書いた記事が気に入らなかったため、、、いや、気に入らなかったなんて生易しいものじゃないですね、許せなかったんです。
 その記事はブログのアクセス数を増やすためのハウツーについてのもので、その一項に「ブログの記事は人が読んで不愉快になるようなネガティブなことは書かない」というようなことが書かれていたんですよ。
 その一項に自分はカチンときて、反論記事を書いたのです(その記事も削除はしてないけれど埋没してどこにあるかわからない。。。)。

 今でも間違ったことを書いたとは思いません。
 ただ、今もし同じような記事を読んだとしてもスルーでしょうね。
 大人になったから、というより、あの頃よりももっとはっきりとブログの記事でネガティブなことを書いてはいけないなんてことはないという考えが自分の中で確立しているから。

 毎日ハッピーなことばかりで、だからネガティブなことを書かない、というのであればいいですよ。
 でも現実はそういうわけにはいかないじゃないですか。
 つらいこと、悲しいこと、苦しいことがこれでもかってぐらいにどーんと目の前に立ち塞がっている。
 それを自分の中で消化出来てればいいけれど、それだって限界がある。
 親しい友人に愚痴を言ったり、悩みを打ち明けられたら、それですっきりするかもしれないけど、そういう友人がいない人だっているわけです(かくいう自分がそうなんですが。笑。)。
 そんなときブログで(もしくはミクシィの日記で)つらいこと、悲しいこと、苦しいことを(不特定多数の人たちに)打ち明けたっていいじゃないか、そう思うのです。
 そうすることで悲しみを半分こに出来ることもあるんじゃないかって思うのです。

 付け加えていえば、何を読んで不愉快な気分になるかは人それぞれなわけで。
 少なくとも自分は、他人の書いたネガティブな文章をネガティブだからという理由で不愉快に思ったことはないですね。
 どちらかというと自分が不愉快になるのは、今日ダーリンとTDLに行ってきたー!!とか、うちの相方が何ちゃらとか、オノロケ記事ですが、、、それって自分だけですかね。すみません。汗。

 まぁともかく、ブログを書いていればアクセス数向上を狙うのはごく自然な欲求だと思いますが、アクセス数向上のためにネガティブなことは書かない、というのはちょっと違うんじゃないの、と思うわけです。
コメント (2)
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