ビル・マーレー主演の『恋はデジャ・ブ』(傑作!好きな映画を10本挙げろと言われたらそのうちの1本はこれです。)を指して、SFではない、と言ってる人がいて、「え?」と思ったことがあります。
自分から見れば、『恋はデジャ・ブ』は立派なSFですけどね。
何しろ同じ1日が繰り返される町で、一人の男が神になるというお話ですから、SFでないわけがない。
などと偉そうなことを言いつつ、自分もSFというジャンルが好きではあっても、SFを定義せよ、と言われたら後ずさりしてしまいますけどね。
ロックンロールとは何か?と聞かれてもそう簡単には定義できないのと同じようなものだと思います。
なので、SF作家である山本弘の言葉を借りると、SFとはマインドだそうです。ロボットや宇宙船やタイムマシンが出てこなくても、SF的精神に満ちた作品であれば、これ皆SFなんだそうです。
乱暴な定義だな、と思わないでもないですが、なるほど、とも思います。
そういった意味でもやはり『恋はデジャ・ブ』はSFなんですよ。
さて、SFとはマインドであると定義した山本弘が自身の最高傑作だと称する『詩羽のいる街』が文庫になりました。
これは、『恋はデジャ・ブ』がSFでないと思った人にはさらにSFだとは認められないでしょうね。
何しろ『恋はデジャ・ブ』には繰り返される1日いうSFギミックがあったのに比べ、『詩羽のいる街』にはそれすらないですからね。
それでも著者である山本弘に言わせれば、この作品は紛れもないSFだそうです。
詩羽(しいは)という女性が主人公です。
彼女の仕事は他人に親切にすることです。
仕事である以上、彼女は親切にした人に対価を求めます。
対価を求めると聞いて眉をひそめる人もいるかもしれません。親切とは無償でするものだ!それなのに金を要求するなんて!と。
違うんですよ。
彼女の求める対価とは金品ではないのです。
彼女の求める対価とは何かというと…。
以前、このブログで、ボランティアが嫌いだという内容の記事を書いたことがあります。
でも自分は、ボランティアは嫌いだけど、献血は欠かさずしています、と続けて、それでオチをつけたつもりでした。
しかし、ある人に、ボランティアが嫌いだなんて公言する人は好きになれません、と言われました。
その人にとって、ボランティアが嫌いだという発言の不愉快さの前では、欠かさず献血をするという事実は、ノミのくそほどの意味もなかったみたいです。
今でもボランティアは嫌いです。
正確には一方的に助けられることが、という意味ですが。
やっぱり誰かに助けられたら、すぐにではなくていいし、直接でなくてもいい、その借りを返さなくちゃいけないと思うのです。
詩羽は言います。
自分のやっていることはボランティアではない、仕事だと。
そして彼女の仕事はやがて街に奇跡を起こします。
どのような奇跡かというと、、、それは本書を読んでのお楽しみってことで。笑。
自分は、自分が理想とする互助活動が、小説の中とはいえ具体化されていて、本書を読んでいてすごく気持ちよかったです。
ただ、残念なのは詩羽のような人間は現実世界にはおらず、詩羽のいる街は現実社会にはない街だということ。
現実社会にはない街を舞台にした、現実世界にはいない人間を主人公とした物語なのですから、『詩羽のいる街』は間違いなくSFなのだと思います。
自分から見れば、『恋はデジャ・ブ』は立派なSFですけどね。
何しろ同じ1日が繰り返される町で、一人の男が神になるというお話ですから、SFでないわけがない。
などと偉そうなことを言いつつ、自分もSFというジャンルが好きではあっても、SFを定義せよ、と言われたら後ずさりしてしまいますけどね。
ロックンロールとは何か?と聞かれてもそう簡単には定義できないのと同じようなものだと思います。
なので、SF作家である山本弘の言葉を借りると、SFとはマインドだそうです。ロボットや宇宙船やタイムマシンが出てこなくても、SF的精神に満ちた作品であれば、これ皆SFなんだそうです。
乱暴な定義だな、と思わないでもないですが、なるほど、とも思います。
そういった意味でもやはり『恋はデジャ・ブ』はSFなんですよ。
さて、SFとはマインドであると定義した山本弘が自身の最高傑作だと称する『詩羽のいる街』が文庫になりました。
これは、『恋はデジャ・ブ』がSFでないと思った人にはさらにSFだとは認められないでしょうね。
何しろ『恋はデジャ・ブ』には繰り返される1日いうSFギミックがあったのに比べ、『詩羽のいる街』にはそれすらないですからね。
それでも著者である山本弘に言わせれば、この作品は紛れもないSFだそうです。
詩羽(しいは)という女性が主人公です。
彼女の仕事は他人に親切にすることです。
仕事である以上、彼女は親切にした人に対価を求めます。
対価を求めると聞いて眉をひそめる人もいるかもしれません。親切とは無償でするものだ!それなのに金を要求するなんて!と。
違うんですよ。
彼女の求める対価とは金品ではないのです。
彼女の求める対価とは何かというと…。
以前、このブログで、ボランティアが嫌いだという内容の記事を書いたことがあります。
でも自分は、ボランティアは嫌いだけど、献血は欠かさずしています、と続けて、それでオチをつけたつもりでした。
しかし、ある人に、ボランティアが嫌いだなんて公言する人は好きになれません、と言われました。
その人にとって、ボランティアが嫌いだという発言の不愉快さの前では、欠かさず献血をするという事実は、ノミのくそほどの意味もなかったみたいです。
今でもボランティアは嫌いです。
正確には一方的に助けられることが、という意味ですが。
やっぱり誰かに助けられたら、すぐにではなくていいし、直接でなくてもいい、その借りを返さなくちゃいけないと思うのです。
詩羽は言います。
自分のやっていることはボランティアではない、仕事だと。
そして彼女の仕事はやがて街に奇跡を起こします。
どのような奇跡かというと、、、それは本書を読んでのお楽しみってことで。笑。
自分は、自分が理想とする互助活動が、小説の中とはいえ具体化されていて、本書を読んでいてすごく気持ちよかったです。
ただ、残念なのは詩羽のような人間は現実世界にはおらず、詩羽のいる街は現実社会にはない街だということ。
現実社会にはない街を舞台にした、現実世界にはいない人間を主人公とした物語なのですから、『詩羽のいる街』は間違いなくSFなのだと思います。