憂鬱な月曜日という言葉もあるけれど、私は週の中で月曜日が一番好きである。
なぜ私が月曜日が好きなのか?
理由は単純、月曜日が週刊少年ジャンプの発売日だからだ。
私はおそらく日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生に違いない。
私にとって、月曜日の放課後、行きつけのコンビニで週刊少年ジャンプを立ち読みするのは、何物にも代えがたい至福の時間なのだった。
ちょっと、待て、そんなにジャンプが好きというなら立ち読みなどせず、毎週ちゃんと買えばいいじゃないか、そう仰る御仁もいるかもしれない。
まったくもってその通りである。
だが、バイトも、援助交際もしていない女子高生が月々の小遣いの中で毎週のジャンプ代を捻り出すのは決して容易なことではないのだ。
特に夏はアイス、冬は豚まんをコンビニで買い食いすることにもやはり無上の悦びを見出す私には尚更である。
いつも私はジャンプを立ち読みしながら、店員さんに向かってひたすら「ゴメンなさいゴメンなさい」と平謝りしている。心の中で。
立ち読みしながら不思議に思うのは、日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生を自認する私であるけれど、決してジャンプが好きな女子高生は私だけではないはずなのに、本屋であれ、コンビニであれ、私以外の女子高生がジャンプを立ち読みしている姿を見かけたことがない、ということだった。
不思議だ。とても不思議だ。
私以外のジャンプ好きな女子高生はどうやって毎週ジャンプを読んでいるというのだろう。
毎月の小遣いの中で毎週のジャンプ代をやりくりしているのだろうか。
だとしたら私は日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生であると同時に、日本で一番やりくりが下手な女子高生であるのかもしれない。
それともジャンプ好きな女子高生には、毎週欠かさずジャンプを買ってきて、自分が読み終わった後妹にも快く貸してくれる兄がいるというのだろうか。
私は一人っ子で、いや、正確には一人っ子ではないのかもしれないのだけれど、ともかく、生まれてこの方兄がいたことがない。
でも、毎週妹にも快くジャンプを貸してくれる、そんな心優しい兄であれば無性に欲しい。
是非「お兄ちゃん」と呼ばせて欲しいものである。
どうか是非。
前置きが長くなったけれど、始まりは私が行きつけのコンビニでいつも通りジャンプを立ち読みしていた、ある月曜日のことだった。
つづく
なぜ私が月曜日が好きなのか?
理由は単純、月曜日が週刊少年ジャンプの発売日だからだ。
私はおそらく日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生に違いない。
私にとって、月曜日の放課後、行きつけのコンビニで週刊少年ジャンプを立ち読みするのは、何物にも代えがたい至福の時間なのだった。
ちょっと、待て、そんなにジャンプが好きというなら立ち読みなどせず、毎週ちゃんと買えばいいじゃないか、そう仰る御仁もいるかもしれない。
まったくもってその通りである。
だが、バイトも、援助交際もしていない女子高生が月々の小遣いの中で毎週のジャンプ代を捻り出すのは決して容易なことではないのだ。
特に夏はアイス、冬は豚まんをコンビニで買い食いすることにもやはり無上の悦びを見出す私には尚更である。
いつも私はジャンプを立ち読みしながら、店員さんに向かってひたすら「ゴメンなさいゴメンなさい」と平謝りしている。心の中で。
立ち読みしながら不思議に思うのは、日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生を自認する私であるけれど、決してジャンプが好きな女子高生は私だけではないはずなのに、本屋であれ、コンビニであれ、私以外の女子高生がジャンプを立ち読みしている姿を見かけたことがない、ということだった。
不思議だ。とても不思議だ。
私以外のジャンプ好きな女子高生はどうやって毎週ジャンプを読んでいるというのだろう。
毎月の小遣いの中で毎週のジャンプ代をやりくりしているのだろうか。
だとしたら私は日本で一番週刊少年ジャンプを愛する女子高生であると同時に、日本で一番やりくりが下手な女子高生であるのかもしれない。
それともジャンプ好きな女子高生には、毎週欠かさずジャンプを買ってきて、自分が読み終わった後妹にも快く貸してくれる兄がいるというのだろうか。
私は一人っ子で、いや、正確には一人っ子ではないのかもしれないのだけれど、ともかく、生まれてこの方兄がいたことがない。
でも、毎週妹にも快くジャンプを貸してくれる、そんな心優しい兄であれば無性に欲しい。
是非「お兄ちゃん」と呼ばせて欲しいものである。
どうか是非。
前置きが長くなったけれど、始まりは私が行きつけのコンビニでいつも通りジャンプを立ち読みしていた、ある月曜日のことだった。
つづく