この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

反省もしない、悔い改めもしない、でも…。

2012-01-01 23:53:47 | 日常
初めに断わっておきますが、自分は他人様の助言を素直に聞き入られるような、そんな器量のある人間ではありません。
例え自分のことを気遣ってくれた上での真摯な助言であったとしても、聞き入れられないものは聞き入れられないし、反省できないものは反省できないし、悔い改められないものは悔い改められません。
コイツ、懲りずにまた同じことを書いてるよ!と思われるかもしれませんが、そう思われるであろう方は最初からこの先の文章を読まれない方が良いです。
お互い時間の無駄ですから。

「せぷさんは私のことをただの知り合いとしか思ってないんですよ」

その言葉が楔となって前に進めない。
「せぷさんは私のことを~」の先が、まさか「私はせぷさんのことを特別な存在だと思ってますけどね」とは続かないだろうから、「せぷさんは私のことをただの知り合いとしか思っていない」というのは、つまり「せぷさんは私のことをただの知り合いとしか思っていないし、私もせぷさんのことをただの知り合いとしか思っていない」ということなのでしょう。
一番親しくしていた友人から、不意にそんな言葉を投げかけられ、自分はひどく動揺しました。

一番親しいと思っていた友人が「あなたは私のことをただの知り合いとしか思っていないし、それは私も同様である」というのであれば、当然他の人も同じように考えている、ということになるのではないか。
誰からも、お互いにただの知り合いとしか思っていない、と思われているのであれば、そんな人間は、果たして生きている価値があるのだろうか。そしてそんな人生に生きる意味があるのだろうか。

だから自分はその言葉を絶対に受け入れられなかったし、その人には何としてもその言葉を撤回してもらわなければいけなかった。
しかし、その言葉を撤回してもらおうと思ってやり取りしたメールはその人との溝を徒に大きくするだけだった。
結局自分はその人から絶交をされてしまった。

そして自分の一連の行動は(控えめに言って)一部の人から非難されました。
曰く、自分勝手すぎる、相手のことを気遣う気持ちがない、そもそも顔も知らないネットの相手を特別だと思うこと自体間違っている、などなど。

正直それらの非難の言葉が自分にはよくわからなかった。
撤回を求めた一連の行動は、そうしてもらわなければ自分が耐えられないと思ったからで、それが自分勝手で相手を気遣う気持ちがないというのであれば、自分はその通り自分勝手で相手を気遣う気持ちがない人間ということなのでしょう。

ある人から、実際会ったこともない人を特別だと思うことなんて自分には出来ないですね、百万円でももらえたら話は別だけどwみたいなことを言われました。
はっきり言わせてもらいます。
百万円でももらわない限り誰かのことを特別だとは思えないという、その考えは、貧しい。

確かにネットの友人は、所詮はネット上だけの繋がりであり、出来ることは限られています。
それでも限られた出来ることの中で、誰かのことを特別だと思うことは出来るはずです。
自分はそう思うし、そう信じたい。
福島で被災した友人のブログが八月末の記事を最後に更新が滞っています。
でも自分はその人のブログをほぼ毎日覗いています。
その人が記事を更新したら、いの一番にコメントをしてあげたいから。
自分にとってその人は特別な存在なのです。
だからどうした、と思われる人もいるかもしれませんが、というか、ほとんどの人がそう思うのかもしれませんが、自分が言いたいのはそういうことです。


また臨床心理士を自称する輩から、あなたは私がお目にかかったことがないくらいの被害妄想の持ち主です!!と診断されもしました。
これはちゃんちゃらおかしかった。
まず自分には被害妄想の精神疾患はありません。
件の発言にしても悪意や害意がなかったことは充分承知しています。
というか、悪意や害意のない、何気ない発言だったことが問題なのです。
自分は、見ず知らずの他人の悪意や害意で傷つくことはほとんどありません。
どうでもいい人が何を言おうがどうでもいい、というスタンスだからです。
しかし、親しい人の何気ない一言にはひどく傷つくことがあります(今回がそう)。
親しいからこそ、その一言が無視しえないのです。

まぁ頭のおかしい人間が「俺はまともだ!!」と主張するのは常だから、百歩譲って自分が極度の被害妄想を有しているとしましょう。
だとしてもこの自称臨床心理士は本物の臨床心理士ではない。
問われもしないのに自ら臨床心理士であると打ち明け、頼まれもしないのに人のことを極度の被害妄想だと勝手に診断を下し、いざ手におえないとわかるとさっさと店仕舞いをする、そんな人の心を平気で土足で踏みにじるような、無責任極まりない、職業倫理が著しく欠けた臨床心理士なんているわけがない。

そのような診断を下される覚えのない自分としては当然の権利として、その自称臨床心理士に対して反論記事を書いたのですが、今度はその記事に常連の方から「こんな記事を書くなんて異常だ」というコメントがありました。
ここで心が折れました。
言いたいことはいろいろあったし、反論しようと思えば反論も出来た。論破だって出来たかもしれない。
けれど、言いたいことを言って、反論をして、論破をして、それでどうなる?と思うと何もする気が起こらなかった。
正確には何をどうすればいいかがわからなかった。
今こうしてこの記事を書いてること自体正しいのかどうかもわかりません。
一時期はこういった記事は書くべきではない、とも思いました。
間違いないのは、書かない方が賢いということでしょう。

断っておくと、根幹にある考えが揺らぐことはありません。
正しいと思うことを正しいと主張することが正しいかどうかがわからないのです。
確かに今回の件でいろいろミスも犯しました。
一番のミスはミクシィのつぶやきで「これが最後のつぶやきです」などと馬鹿なつぶやきをしてしまったこと。
あれはよくなかった。
無関係な人に余計な心配をさせてしまったし、結果ミクシィでの居場所をなくすことになってしまったし、第一あのつぶやきは筋が通らない。

ただ、あのときは、ああでもしなければ気が収まらない気分だったんです。
もし自分が酒を飲めていたら浴びるほど酒を飲んでいただろうし、ボクシングをしていればぶっ倒れるまでスパーリングをしていたでしょう。
しかし自分はそのどちらでもないので、何か一つめちゃめちゃなことをしたくなって、あのような行為をしてしまった。

だから、ミスだったと思うし、無関係な人に迷惑をかけたとも思うし、筋が通らないとも思うけれど、でもあの時の自分を否定したくはない。
どれほど多くの人があの時の自分を非難したとしても、せめて今の自分はあの時の自分の味方でいてあげたい。
そうじゃなければ、傷つき、落ち込み、自暴自棄になった自分が、あまりにも可哀そうすぎる。
まぁ自己憐憫の極致ですね。笑。

そんなわけで今回の件では反省もしなければ悔い改めもしません。
ただ、感謝をしたいと思うことはあります。

今回のことでいろいろ失って落ち込んでいた自分に、すべての事情を知った上でマイミク申請をしてくれた人がいました。
それがとても嬉しかった。
百万円もらえなければ特別な相手だとは思わないという人もいるけれど、自分は、苦しんでいる時に手を差し伸べてくれる、それだけでもう充分ですよ。
その人の顔も知らないし、声を聞いたこともないし、たぶん一生実際に会うこともないのだろうけれど、それでも自分にとってその人は特別ですよ。
その人が苦しい時にはぜひ手を差し伸べてあげたい、そう思っています。
コメント (11)
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