毎年映画秘宝の三月号では前年公開された劇場映画のベスト10とワースト10(秘宝での呼称は「トホホ10」)が選出、発表されるんですが、その記事が2chなどでちょっとした話題になっているようです。(こちら)
簡単にいうと、ワースト映画を選ぶこと自体がナンセンスだ!!(ベスト映画だけ選べばいい)、『△△』が選ばれないのはおかしい!!、(逆に)『○○』がトホホ映画に選ばれるのはおかしい!!、といった感じで叩かれていました。
まず、ワースト映画を選ぶことについてですが、自分はとても意義があることだと思いますし、ナンセンスだとは思いません。
例えば、年間100本映画を観る人が、その年に観た映画のベスト10を選ぶことには誰も文句をつけたりはしませんよね。
ベスト10がベスト20だったとしても、それは同様だと思います。
じゃ、ベスト100では?
やっぱり文句をいうことではないはずです。時間と労力がベスト10の10倍かかるだろうな、っていうだけで(鑑賞した映画をすべてランク付けしてる人がいたとしたら、自分はむしろ「偉いな~」と感心します)。
そしてワースト10っていうのは、単にベスト100の最下位から10作抽出したに過ぎないんですよね。
つまり、自分に言わせれば、ベスト10を選ぶこともワースト10を選ぶことも作品にランク付けしていることには変わりなく、ベスト10を選出することは有意義だが、ワースト10を選出するのはナンセンスだというのは、理屈も意味もよくわかりません。
『△△』がトホホに選ばれないのはおかしい、という意見も多かったのですが、これも別段不思議なことでも何でもないです。
なぜなら、選者の多くは(職業としての)映画評論家でも何でもなく、タレントや漫画家や作家など一映画ファンに過ぎず、彼らは面白くないと思われる映画は最初から観に行かなかっただけのことです(一部、あえて面白くないと思われる映画をあえて観に行ってる選者もいたが、それはあくまで例外)。
『△△』がトホホに選ばれないのはおかしい、というのは、面白くないと思われる映画でも観に行くべきだ、といってるようなもので、それは一映画ファンには無理、というものです。
また、『○○』がトホホ映画に選ばれるのはおかしい!!という意見はそれこそナンセンスですよ。
だって万人が満足できる映画なんてこの世にないんですから、たまたまその映画をつまらないと思った人が選者に多ければ、選出されるのは道理でしょう。
重要なのは、選出された“こと”ではなく、選出された“理由”だと思います。
今年の映画秘宝では、『SUPER8/スーパーエイト』がトホホで1位だったのですが、この作品をトホホとして選んだ人の理由は、映画秘宝本誌を読めば、別段理解できないものでも何でもなかったですよ。
一言でいえば、この作品への鑑賞前の期待度が高かったから、です。
この心理はよくわかります。
自分は『SUPER8/スーパーエイト』は60~70点の出来で、可もなく不可もなくといったところだったんですが、鑑賞前の期待度が200点であれば、そりゃ70点の出来だって、ものすごくつまらなかった、と思うでしょうね。
こんな理由でこの映画がトホホに選ばれるなんておかしい!!というならともかく、(理由の如何は問わず)この映画がトホホに選ばれるのはおかしい!!というのは視野が狭い、としかいいようがないです。もしくは物事を表面的にしか判断できない。本質で判断していない。
世の中、表面だけを見て物事を判断する方が楽だし、手っ取り早いです。それでオッケーという場合も多々ある。
でも、それでは不十分だという場合も少なくないと思います。
今回の件でそのことを強く痛感しました。
自分への教訓にしたいと思います。
簡単にいうと、ワースト映画を選ぶこと自体がナンセンスだ!!(ベスト映画だけ選べばいい)、『△△』が選ばれないのはおかしい!!、(逆に)『○○』がトホホ映画に選ばれるのはおかしい!!、といった感じで叩かれていました。
まず、ワースト映画を選ぶことについてですが、自分はとても意義があることだと思いますし、ナンセンスだとは思いません。
例えば、年間100本映画を観る人が、その年に観た映画のベスト10を選ぶことには誰も文句をつけたりはしませんよね。
ベスト10がベスト20だったとしても、それは同様だと思います。
じゃ、ベスト100では?
やっぱり文句をいうことではないはずです。時間と労力がベスト10の10倍かかるだろうな、っていうだけで(鑑賞した映画をすべてランク付けしてる人がいたとしたら、自分はむしろ「偉いな~」と感心します)。
そしてワースト10っていうのは、単にベスト100の最下位から10作抽出したに過ぎないんですよね。
つまり、自分に言わせれば、ベスト10を選ぶこともワースト10を選ぶことも作品にランク付けしていることには変わりなく、ベスト10を選出することは有意義だが、ワースト10を選出するのはナンセンスだというのは、理屈も意味もよくわかりません。
『△△』がトホホに選ばれないのはおかしい、という意見も多かったのですが、これも別段不思議なことでも何でもないです。
なぜなら、選者の多くは(職業としての)映画評論家でも何でもなく、タレントや漫画家や作家など一映画ファンに過ぎず、彼らは面白くないと思われる映画は最初から観に行かなかっただけのことです(一部、あえて面白くないと思われる映画をあえて観に行ってる選者もいたが、それはあくまで例外)。
『△△』がトホホに選ばれないのはおかしい、というのは、面白くないと思われる映画でも観に行くべきだ、といってるようなもので、それは一映画ファンには無理、というものです。
また、『○○』がトホホ映画に選ばれるのはおかしい!!という意見はそれこそナンセンスですよ。
だって万人が満足できる映画なんてこの世にないんですから、たまたまその映画をつまらないと思った人が選者に多ければ、選出されるのは道理でしょう。
重要なのは、選出された“こと”ではなく、選出された“理由”だと思います。
今年の映画秘宝では、『SUPER8/スーパーエイト』がトホホで1位だったのですが、この作品をトホホとして選んだ人の理由は、映画秘宝本誌を読めば、別段理解できないものでも何でもなかったですよ。
一言でいえば、この作品への鑑賞前の期待度が高かったから、です。
この心理はよくわかります。
自分は『SUPER8/スーパーエイト』は60~70点の出来で、可もなく不可もなくといったところだったんですが、鑑賞前の期待度が200点であれば、そりゃ70点の出来だって、ものすごくつまらなかった、と思うでしょうね。
こんな理由でこの映画がトホホに選ばれるなんておかしい!!というならともかく、(理由の如何は問わず)この映画がトホホに選ばれるのはおかしい!!というのは視野が狭い、としかいいようがないです。もしくは物事を表面的にしか判断できない。本質で判断していない。
世の中、表面だけを見て物事を判断する方が楽だし、手っ取り早いです。それでオッケーという場合も多々ある。
でも、それでは不十分だという場合も少なくないと思います。
今回の件でそのことを強く痛感しました。
自分への教訓にしたいと思います。