先日の記事で、『ガタカ』の考察記事に荒らしがコメントをつけたが、自分はそのコメントで腹が立ったり、落ち込んだり、傷ついたりすることはなかった、と書きました。
それは決して嘘ではありません。
強がっているわけでもないです。
ただ、それとは別に、自分の『ガタカ』の考察記事が相変わらず誰からも支持されることがないという現実には憂鬱な気分にさせられます。
地動説を認められなかったガリレオ・ガリレイもこんな気分だったのかなぁと思いますね(←レベルが違い過ぎる)。
というわけで、もういい加減『ガタカ』の考察記事を書くのは止めようと一度ならずは思っているのですが(今も収拾がつかない状態なので)、誰からもそれが支持されないという現実には耐えがたいものがあるので、今日は『ガタカ』で検索してこのブログにやってきた人に最初に考えて欲しいことを書きます。
それは、もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはその勝負を受けますか、ということです。
受けないですよね。
少なくとも受けたくはないはずです。
家族であるとか、兄弟であるとか、そういったことは関係なく、いつ心臓が止まるかわからない相手と夜の海での遠泳勝負なんて誰もしたくはないはずだからです。
アントンは例外だった、とは考えられません。
アントンはヴィンセントとの遠泳勝負をしたくはなかったのです。
しかし実際にはアントンは勝負を受けてますよね。
なぜ彼は勝負を受けたのでしょう。
勝負を受けたからといって、また勝負に勝ったからといって大金がもらえるわけでなし、勝負をするのが嫌だったのであれば受けなければいいのに。
アントンが勝負を受けたことには今度はヴィンセントが家族であり、兄弟であることが関係してきます。
いつ心臓が止まるかわからない相手から夜の海での遠泳勝負を挑まれたとしても、それが赤の他人であれば、アントンも「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳勝負なんて出来ない」とストレートに断っていたでしょう。
しかし実の兄であるヴィンセントにも同じように断ることが出来たのか。
出来なかったんですよ、彼は。
もしそのように断っていたら、ヴィンセントを深く傷つけることがわかっていたから。
ヴィンセントを傷つけることを良しとしなかったのであれば、アントンはヴィンセントのことを愛していたことになります。
家族といえど愛していないのであれば、傷つけることを躊躇うはずはないからです。
この仮説を否定することはさほど難しいことではありません。
この仮説の出発点は「アントンはヴィンセントとの遠泳勝負を望んでなどいなかった」ということです。
そこを否定すればいい。
果たしてアントンはヴィンセントとの遠泳勝負をどのように考えていたのでしょう。
出来損ないの兄貴のくせにこの僕に勝負を挑むとは生意気だ、全力で叩き潰してやる、とでも考えていたのか。
アントンがそのような人でなしであるとは自分には到底考えられないのです。
ここまで懇切丁寧に説明しても自分の仮説を受け入れられない人は受け入れられないのでしょうね。
助けて、ガリレオ・ガリレイ…。
それは決して嘘ではありません。
強がっているわけでもないです。
ただ、それとは別に、自分の『ガタカ』の考察記事が相変わらず誰からも支持されることがないという現実には憂鬱な気分にさせられます。
地動説を認められなかったガリレオ・ガリレイもこんな気分だったのかなぁと思いますね(←レベルが違い過ぎる)。
というわけで、もういい加減『ガタカ』の考察記事を書くのは止めようと一度ならずは思っているのですが(今も収拾がつかない状態なので)、誰からもそれが支持されないという現実には耐えがたいものがあるので、今日は『ガタカ』で検索してこのブログにやってきた人に最初に考えて欲しいことを書きます。
それは、もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはその勝負を受けますか、ということです。
受けないですよね。
少なくとも受けたくはないはずです。
家族であるとか、兄弟であるとか、そういったことは関係なく、いつ心臓が止まるかわからない相手と夜の海での遠泳勝負なんて誰もしたくはないはずだからです。
アントンは例外だった、とは考えられません。
アントンはヴィンセントとの遠泳勝負をしたくはなかったのです。
しかし実際にはアントンは勝負を受けてますよね。
なぜ彼は勝負を受けたのでしょう。
勝負を受けたからといって、また勝負に勝ったからといって大金がもらえるわけでなし、勝負をするのが嫌だったのであれば受けなければいいのに。
アントンが勝負を受けたことには今度はヴィンセントが家族であり、兄弟であることが関係してきます。
いつ心臓が止まるかわからない相手から夜の海での遠泳勝負を挑まれたとしても、それが赤の他人であれば、アントンも「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳勝負なんて出来ない」とストレートに断っていたでしょう。
しかし実の兄であるヴィンセントにも同じように断ることが出来たのか。
出来なかったんですよ、彼は。
もしそのように断っていたら、ヴィンセントを深く傷つけることがわかっていたから。
ヴィンセントを傷つけることを良しとしなかったのであれば、アントンはヴィンセントのことを愛していたことになります。
家族といえど愛していないのであれば、傷つけることを躊躇うはずはないからです。
この仮説を否定することはさほど難しいことではありません。
この仮説の出発点は「アントンはヴィンセントとの遠泳勝負を望んでなどいなかった」ということです。
そこを否定すればいい。
果たしてアントンはヴィンセントとの遠泳勝負をどのように考えていたのでしょう。
出来損ないの兄貴のくせにこの僕に勝負を挑むとは生意気だ、全力で叩き潰してやる、とでも考えていたのか。
アントンがそのような人でなしであるとは自分には到底考えられないのです。
ここまで懇切丁寧に説明しても自分の仮説を受け入れられない人は受け入れられないのでしょうね。
助けて、ガリレオ・ガリレイ…。