アンドレア・ライズボロー主演、ブランドン・クローネンバーグ監督、『ポゼッサー』、キノシネマ天神にて鑑賞(スタンダード会員鑑賞料金1300円)。2022年9本目。
2021年は62本劇場で映画を観ました。
なぜそんなにたくさん映画を観賞したかというと少しでも鑑賞する映画の本数を減らすためです。
たくさん映画を観賞するのは鑑賞する本数を減らすため、矛盾していることを言っているようですが、そうじゃないんですよ。
わかりやすく言うと面白くない映画を観たくないんですよね。
面白くない映画の鑑賞本数を減らしたいのです。
観た映画を面白いかどうか判断するのは(当たり前ですが)そんなに難しいことではありません。
でも出来れば観る前にそれを判断したい、、、まるで超能力のようですが、出来ないことではないのです。
その映画を観賞した人のレビューに目を通し、その映画が自分に合うかどうか、考慮すればいい。
そうすることで駄作を観る可能性は減りますが、同時にネタバレを目にする可能性は増えます。
それに他人のレビューに目を通してからとなると当然鑑賞するのも遅くなります。
そして自分が観る映画は自分で決めたい、誰の意見も聞かずに決めたいという欲求もあります。
『ポゼッサー』、面白そうだって思ったんですよね。
別の人間の人格を乗っ取って殺人行為を行わせる暗殺者、そして乗っ取ろうとする暗殺者と乗っ取られまいとする人間の攻防、何とも面白そうじゃないですか。
しかし実際観賞してそのあまりの面白く無さにガッカリしました。
「別の人間の人格を乗っ取って暗殺行為を行う」、この設定はすごく面白いと思います。
しかし言うまでもなく、ひどく面倒臭い暗殺の仕方ではありますよね。
何しろ一人の人間を暗殺する前に別の人間の人格を乗っ取らなくちゃいけないのですから、通常の暗殺より一手間多くかかります。
なので自分はそうするからにはそうしなければならない理由があるのかと思っていました。
暗殺のターゲットが最重要人物で、通常のやり方では近づくことも出来ない、みたいな。
ないんですよ、そういった必然的な理由が。
ひどく面倒臭いやり方で暗殺する割にはその理由がないんです。
理由がないことは他にもあって、乗っ取られた人間は暗殺の対象に対して、その場にあるもの、例えばナイフや火掻き棒を使って行為に及びます。
そう聞くと乗っ取られた人間は武器を現場に持ち込むことは出来ないんだと思うじゃないですか。
でもそういうわけじゃないんです。
乗っ取られた人間は拳銃を所持しているんですよ。
だったら最初からその拳銃を使えよ、って話です。
こういった理由がないことに強いて理由を挙げるとすれば、監督であり、そして脚本を書いたブランドン・クローネンバーグがそれを面白いと思ったから、といったところではないでしょうか。
重ねて言いますが、「別の人間の人格を乗っ取って暗殺行為を行う」、「その場にあるもので殺人行為に及ぶ」という設定自体はとても面白いと思います。
でも設定は面白いというだけじゃダメなんですよ(面白い設定を思いつくだけなら中学生にでも出来ます)。
なぜその設定があるのか、なぜ登場人物はそうするのか、きちんとした理由付けがなければ、映画は映画ではなく、作り手のただのマスターベーションに過ぎません。
他人のマスターベーションなんて気持ち悪くて見ていられません。
お気に入り度★、お薦め度★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
2021年は62本劇場で映画を観ました。
なぜそんなにたくさん映画を観賞したかというと少しでも鑑賞する映画の本数を減らすためです。
たくさん映画を観賞するのは鑑賞する本数を減らすため、矛盾していることを言っているようですが、そうじゃないんですよ。
わかりやすく言うと面白くない映画を観たくないんですよね。
面白くない映画の鑑賞本数を減らしたいのです。
観た映画を面白いかどうか判断するのは(当たり前ですが)そんなに難しいことではありません。
でも出来れば観る前にそれを判断したい、、、まるで超能力のようですが、出来ないことではないのです。
その映画を観賞した人のレビューに目を通し、その映画が自分に合うかどうか、考慮すればいい。
そうすることで駄作を観る可能性は減りますが、同時にネタバレを目にする可能性は増えます。
それに他人のレビューに目を通してからとなると当然鑑賞するのも遅くなります。
そして自分が観る映画は自分で決めたい、誰の意見も聞かずに決めたいという欲求もあります。
『ポゼッサー』、面白そうだって思ったんですよね。
別の人間の人格を乗っ取って殺人行為を行わせる暗殺者、そして乗っ取ろうとする暗殺者と乗っ取られまいとする人間の攻防、何とも面白そうじゃないですか。
しかし実際観賞してそのあまりの面白く無さにガッカリしました。
「別の人間の人格を乗っ取って暗殺行為を行う」、この設定はすごく面白いと思います。
しかし言うまでもなく、ひどく面倒臭い暗殺の仕方ではありますよね。
何しろ一人の人間を暗殺する前に別の人間の人格を乗っ取らなくちゃいけないのですから、通常の暗殺より一手間多くかかります。
なので自分はそうするからにはそうしなければならない理由があるのかと思っていました。
暗殺のターゲットが最重要人物で、通常のやり方では近づくことも出来ない、みたいな。
ないんですよ、そういった必然的な理由が。
ひどく面倒臭いやり方で暗殺する割にはその理由がないんです。
理由がないことは他にもあって、乗っ取られた人間は暗殺の対象に対して、その場にあるもの、例えばナイフや火掻き棒を使って行為に及びます。
そう聞くと乗っ取られた人間は武器を現場に持ち込むことは出来ないんだと思うじゃないですか。
でもそういうわけじゃないんです。
乗っ取られた人間は拳銃を所持しているんですよ。
だったら最初からその拳銃を使えよ、って話です。
こういった理由がないことに強いて理由を挙げるとすれば、監督であり、そして脚本を書いたブランドン・クローネンバーグがそれを面白いと思ったから、といったところではないでしょうか。
重ねて言いますが、「別の人間の人格を乗っ取って暗殺行為を行う」、「その場にあるもので殺人行為に及ぶ」という設定自体はとても面白いと思います。
でも設定は面白いというだけじゃダメなんですよ(面白い設定を思いつくだけなら中学生にでも出来ます)。
なぜその設定があるのか、なぜ登場人物はそうするのか、きちんとした理由付けがなければ、映画は映画ではなく、作り手のただのマスターベーションに過ぎません。
他人のマスターベーションなんて気持ち悪くて見ていられません。
お気に入り度★、お薦め度★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。